国王フランシスのたくらみ ⑤
ジョハナはこめかみを押さえて、扉を拭いていたエルシーに視線を止めた。
「お妃様、ここのあと始末は陛下にお願いして手配していただきますので、お掃除は結構です。これは一度礼拝堂の中のものを出さなくてはどうしようもないでしょうからね」
「でも……」
「お妃様、そもそも礼拝堂のお掃除はお妃様のお仕事ではありません。どうかここはお引き取りください。お妃様がいては、ほかのものも仕事がやりにくいでしょう」
幼少期に捨てられたエルシーは「お貴族様」ではないのだが、ここでは伯爵令嬢セアラの身代わりだ。確かに妃候補の伯爵令嬢がいつまでも居座っていては、ほかの人がやりにくいかもしれない。
礼拝堂の中のものを一度出すというのには賛成だが、エルシーの腕には重すぎて一人では運び出すこともできないだろう。
ここはジョハナの言う通り、お任せした方がいいのかもしれないけれど、どうしても納得できなかった。神様のために、せめて何かがしたい。
「それでしたら……グランダシル様の像をわたくしの部屋の庭まで運んでいただけないでしょうか? 綺麗にお掃除したいんです」
ジョハナは少し悩んだようだったが、まあそのくらいならば邪魔にならないし構わないだろうと許可をくれた。
クライドたち騎士団がグランダシル神の像をエルシーの住居の庭まで運んでくれる。ジョハナに掃除用の石鹼をもらい、エルシーはワンピースの裾をぎゅっと縛ると、像にこびりついている赤い絵の具をせっせと落としはじめる。
ダーナとドロレスがおろおろしつつも手伝ってくれた。
そうして二時間かけてグランダシル神の像を磨き終えたエルシーは、乾いたタオルで像の表面の水分を拭きとったあとで両手を組んでお祈りを捧げる。
(グランダシル様、申し訳ございません。礼拝堂が綺麗になるまで、すごしにくいでしょうが、ここで我慢してください)
ジョハナによると、礼拝堂の掃除は一日では終わらないらしい。泥を掃きだし、壁を拭き、そして乾かさなくてはならないから、二、三日はかかる想定だという。
グランダシル神の像に祈ったあとで、エルシーはせっせと運び出した長椅子を掃除してくれている騎士団の面々の姿を見て、ほかに何か自分にできることはないだろうかと考えた。
ジョハナが許してくれたのはグランダシル像の掃除までで、それ以外は手出し無用と言われている。
エルシーは空を見上げて、そろそろ昼になるなと思った。騎士団の面々は日が暮れるまで掃除をしてくれるのだろうが、食事はどうするのだろう。
「ねえ、ダーナ、食材はまだたくさんあったわよね?」
「ええ。今朝追加で届いたものもありますし……お妃様は無駄遣いなさいませんから、たくさん余っておりますよ」
自分では豪快に食材を使いこんでいるつもりだったが、ダーナに言わせると全然らしい。
(それなら、たくさん使っても大丈夫よね?)
掃除の手伝いが無理でも、差し入れならいいのではないか。
そう考えたエルシーは、さっそくキッチンへ向かった。エルシーたちの昼食を作るついでに、多めに作って騎士団の方々に差し入れしよう。
ダーナとドロレスは、エルシーがキッチンへ行くのを確認すると二階へ上がっていく。料理では役に立たないと自覚している二人は、エルシーの料理中には刺繍をしていることが多いのだ。
キッチンを確認したエルシーは、ジャガイモが多く残っていることに気が付くと、それを一口大に切って油で揚げて「揚げジャガ」を作ることにした。これは修道院の子供のおやつにも出していたもので、簡単でとても美味しい。パンの数があまりないから、その分ジャガイモで我慢してもらおう。
(それからトマトのスープと、リンゴが五つあるから……アップルケーキはどうかしら?)
メニューが決まると、エルシーはさっそく調理に取りかかる。
せっせとジャガイモを揚げていると、いつもより料理に時間がかかっていることに気が付いたのか、ワンピースに刺繍をしてくれていたダーナとドロレスが下りてきた。そして、エルシーが揚げているジャガイモの量にギョッとする。
「お妃様、どうしてこんなにたくさん作っているんですか?」
「礼拝堂を掃除してくださっている騎士団の方に差し入れをしようと思って。ちょうどよかったわ。揚げたジャガイモに塩を振って、そこに置いてある、底に紙を敷いた籠の中に入れてくれるかしら?」
「わかりました……ってお妃様、この紙、手紙用の紙ですよ」
「ええ。ちょうどいい厚みと大きさでしょ?」
「そうかもしれませんが……こちらは陛下にお手紙を書くためのものですが、よろしいんですか?」
「いいのよ、使っていないもの」
「…………そう言えば、お妃様は陛下にお手紙を一度も出されていませんでしたね」
今ごろ気が付いたダーナが
ドロレスも「お妃様がお手紙を書くところを見たことがありませんわ」と隣で頷いている。
「皆さま、こぞって陛下にお手紙を書きたがるものですが……お妃様は陛下にお手紙は書かれませんの?」
「お手紙? お手紙ねえ……」
そうは言われても、国王陛下への手紙なんて何を書けばいいのかわからない。悩んでいると、ダーナがこめかみを押さえながら言った。
「せめて一通だけでもお出しくださいませ。このままですと、早々に陛下のお心が離れてしまいます」
そういうものなのだろうか。エルシーとしては国王陛下の心が離れようとどうしようとまったく構わないが、エルシーはセアラの痣が治るまでの身代わりだ。セアラと入れ替わったときに国王陛下の心が離れてしまっていたら、のちのちセアラが困るだろう。
(なんだかとても煩わしいけど、わたしは身代わりなんだから、役目はきちんと果たさないといけないわよね?)
すべては修道院への寄付のためだ。
顔も知らない人にどんな手紙を書けばいいのかはわからないが、あとで考えてみよう。
わかったわと頷くと、ダーナとドロレスがホッとしたように胸を
エルシーは残りのジャガイモを揚げて、並行して作っていたスープの味を見ると、自分とダーナとドロレスの三人分だけ小鍋に取り分けて、大きなスープ鍋をよいしょと抱える。
「お妃様!?」
「何をしていらっしゃるんですか!?」
「なにって、差し入れを持って行くって言ったでしょ? あ、ダーナはそこのジャガイモの籠を持って。ドロレスは食器を入れたそっちの籠ね!」
「ちょっ、お、お待ちください!」
さくさくと鍋を持って歩き出すと、揚げジャガの籠と食器の籠をそれぞれ手に持ったダーナとドロレスが慌てて追いかけてきた。
「そんな重たいもの、危ないです!」
二人は心配そうだが、修道院ではもっと重たいものを抱えていたから、これくらいの鍋はどうってことはない。
大丈夫大丈夫と言いながら礼拝堂まで歩いて行くと、作業をしていた騎士たちがギョッとした。
「お妃様!? どうされたんですか!?」
「差し入れを持ってきました」
慌てたように駆け寄ってきたのはトサカ団長こと、クライド副団長である。
エルシーの手から鍋を奪おうとしたので、エルシーはさっとその手をよけつつ、ぴしゃりと言った。
「汚れた手で食べ物に触ってはいけません!」
つい修道院の子供たちに言うような口調になってしまった。
クライドはハッと自分の手のひらを見つめて、それから急いで手を洗って戻ってくる。
「そんな細い腕でそのような重たいものを持ったら腕が折れてしまいます!」
大げさな、と思ったけれど、重たいのは間違いなかったので、素直にクライドに鍋を預ける。
「皆さん、礼拝堂をお掃除していただきありがとうございます。簡単なものですけど食事を持ってきましたので、よろしかったらどうぞ」
ダーナとドロレスも持ってきた籠を、手を洗ってきた騎士たちに渡すと、やはり朝からずっと作業をしていてお腹が空いていたらしく、みんな作業を中断して嬉しそうに食べはじめた。
「クライド副団長も鍋を置いて、よかったらお食べください」
「今度はトサカ団長って呼ばないんですね」



