国王フランシスのたくらみ ⑥
クライドはプッと吹き出して「それでは俺もいただきます」と言うと、鍋を礼拝堂から外に出した長椅子の上に置いて、食器の入った籠から深皿を取ってスープをよそう。一口飲んで、「
「これはどなたが? すごくうまいですよ」
貴族たちの肥えた舌にはエルシーの作る食事は質素すぎるかと思ったが、ちゃんと美味しいらしいのでホッとする。
ドロレスがにこりと微笑んで「すべてお妃様がお作りになったものですよ」と告げると、クライドをはじめ、食事をとっていた騎士たちが驚いたように顔を上げた。
「お妃様が!?」
「本当ですか!?」
どうしてそんなに驚くのだろう。じろじろ見られて、まるで珍獣にでもなった気分だ。
「か……簡単なものしか、作れませんが……」
「いえ、めちゃくちゃ美味いです!」
「スープもジャガイモも最高です!」
「そ、そうですか。よかったです。……あ、まだ作り途中のものがあるので、取りに帰りますね」
わらわらとごつい騎士たちに取り囲まれてひるんだエルシーが逃げ腰になれば、スープを飲み干し、揚げジャガを三つほど口の中に入れたクライドが皿を置いた。
「では俺も手伝いましょう。何を運べばよろしいですか?」
「ええっと……もうすぐアップルケーキが焼き上がるので、それを……」
「アップルケーキ!」
クライドがぱあっと顔を輝かせた。十六歳のエルシーよりも十歳も年上のはずのクライドなのに、まるで少年のようにキラキラした笑顔だった。
「俺、好物なんです!」
「そうなんですか? それはよかったです!」
トサカ団長はアップルケーキが好き、と心のメモに書き記しておく。そのメモを使う日が来るかどうかはわからなかったが、一応、覚えておこう。
クライドとともにキッチンに戻り、オーブンを覗き込めば、アップルケーキはちょうどいい焼き加減だった。粗熱を取るためにオーブンから出し、上に軽くシナモンをかける。
あとは人数分に切り分けるだけだが、クライドがすごく食べたそうな顔でアップルケーキを見つめていたので、先に味見程度に分けてあげることにした。
「どうぞ。まだ熱いですけど」
「いいんですか!?」
トサカ団長はどうやら鶏ではなく犬属性だったらしい。満面の笑みの向こうに、しっぽをブンブンと振っている大型犬の幻覚が見える。
「美味い美味い」ともぐもぐとアップルケーキを食べながら、クライドはふと思い出したように言った。
「そう言えば、陛下もお好きですよ。アップルケーキ」
いいものをたくさん食べていそうな国王陛下は、意外や意外、素朴なアップルケーキがお好きらしい。しかしこの情報が必要になる日は絶対に来ないだろうと、エルシーはそちらの情報は心のメモに書き留めなかった。
(陛下に会うことなんて一生ないでしょうからねー)
身代わりエルシーは里帰りのときまでしかここにいない予定だ。国王陛下に会う機会はないだろうから、彼の好物を覚えておいてもなんの役にも立たない。
──そう判断したエルシーだったけれど、その日の夜、国王陛下も出席するという王太后のお茶会の招待状が届いて目を丸くすることになったのだった。
◆
王太后フィオラナ。
言わずもがな、国王陛下の生みの母である。御年四十一歳になるそうだ。
届いたお茶会の招待状を前に、エルシーは茫然としていた。
(お茶会? え? ケイフォード伯爵は王宮でおとなしくしていればいいって言わなかった? お茶会なんて聞いてない!)
招待状を読む限り、妃候補は全員出席が義務付けられているようだ。
幸いにしてドレスは最初に支給されたものがあるけれど、着るものがあるからいいという問題でもなかった。
(お茶会の作法なんて知らないわよ?)
エルシーは困惑したが、招待状に目を通したダーナとドロレスはエルシーとは逆に嬉しそうだった。
「よかったです。陛下はちっとも王宮側に来られませんし、来られてもお妃様は一番左のお部屋を使われていますから、なかなかこちらまでお渡りにはならないでしょうから……。陛下に印象付ける絶好の機会ですわね」
陛下? と首を傾げて招待状を読み返したエルシーは、そこに国王陛下も出席すると書かれていたことに気が付いてさらに茫然とした。これはまずい。とにかく無難にお茶会を乗り切らなくては、失敗したら国王陛下に悪印象を植え付けてしまうことになる。そうなればきっとケイフォード伯爵は激怒するだろう。
(セアラと交代するまでの間、のんびりやり過ごすつもりが、なんて厄介な……)
招待状によると、お茶会は十日後の午後。場所は城の庭だそうだ。侍女は一人まで連れていくことができるようだが、お茶会の席では侍女は離れたところで待機しているという。……つまり、何か粗相をしてもフォローしてくれる人はいない。
エルシーは頭を抱えたけれど、ダーナとドロレスは鼻歌でも歌いそうなほどに上機嫌。
妃候補は全員出席とあるので逃げることも
(……腹をくくるしかないのかしら?)
とにかく、お茶会では目立たず無難にやり過ごす。気が重いけれど仕方ない。お茶会当日の支度はダーナとドロレスがきっと整えてくれるだろうから任せておいていい気がした。というか、貴族令嬢のおしゃれについてはエルシーはさっぱりわからないので、任せるしかないのだ。
「お妃様、陛下にお手紙を書かれるんですよね? お茶会の席でお
なるほど、お茶会はちょうどいい話題かもしれない。しかし、余計なことを書いてお茶会の日に話しかけられたりしたら大変だ。目立たずおとなしくしてやり過ごすことを目標にしているのだから、失敗のもとになりそうな国王陛下との接触は極力避けるべきである。
エルシーは期待のまなざしを向けるドロレスに「そうね」とニコリと笑みを返して、ライティングデスクに向かうと、彼女にチェックを入れられる前に手早く手紙を書き上げることにした。
余計なことは一切書かない。
(礼拝堂のお掃除の手配をしていただきありがとうございました。これでいいでしょ)
礼拝堂の掃除は騎士たちがやってくれたけれど、指示をしたのはジョハナから詳細を聞かされた国王陛下だという。だったら国王陛下にお礼を言っても間違いではない。
本日、泥と絵の具を落とし終えた礼拝堂は、明日、床や壁が乾くのを待って長椅子とグランダシル神の像を運び込めば掃除は終了だ。犯人が誰なのかはまだ目星もついていないけれど、必ず見つけ出して反省させる。
さらさらさらっと便箋一枚に六行ほどの短い手紙を書いて、エルシーは封筒に入れた。
ずいぶん早い仕上がりにドロレスが「もうおしまいですか?」と訊ねてきたが、エルシーは笑顔で頷いて、さっさと
「できたわ。時間があるときにでも陛下に届けてくれる?」
ドロレスはエルシーが何を書いたのか、内容を確かめたいようだったけれど、封をされては仕方がないと、諦めたように受け取った。
そして、一言釘を刺す。
「時間があるときではなく、こういうものは大至急と言わなくてはいけませんわ、お妃様」
たかが手紙なのに、そういうものらしい。
貴族令嬢の常識はやはりよくわからない。が、ここは郷に入っては郷に従え。素直に言うことを聞いておくべきだ。
「ええっと、訂正するわ。至急届けてくれる?」
ドロレスは満足そうに頷いて、手紙を持って部屋を出て行った。
エルシーは大きく伸びをして椅子から立ち上がると、作りかけだったワンピースに取りかかる。
(この生地とこの生地を重ねて……うん、ちょっとお姫様っぽいワンピースになりそうね。ドロレスに似合いそう!)
淡いピンクと白の可愛らしいデザインのワンピースに仕上がりそうだ。自画自賛かもしれないけれど、ここに来てずっとワンピースを作っているからか、裁縫の腕が上達した気がする。今ならば修道院の子供たちにももっと可愛らしい服を作ってあげられそうだ。
院長のカリスタは口癖のように「何事も経験ですよ」と言うけれど、まさしくその通りだなと思う。最初は乗り気でなかった身代わり妃候補も、貴重な経験だと思えば楽しめる。



