国王フランシスのたくらみ ⑧

 おやつにアップルケーキを焼いたから食べないかと、院長であるシスターが話しかけてきた。精神的な理由から食も細くなっていたフランシスは、日に日にやせ細っていって、シスターたちをずいぶん心配させていたようで、なんとかして食事を取らせることはできないかと、彼女たちは一生懸命だった。

 しかしフランシスにはシスターたちの気持ちをおもんぱかるような余裕はなく、その日も「ほしくない」の一言で片づけようと、そう思っていたのだ。──が。


「院長先生の作るアップルケーキはとても美味しいのよ!」


 院長の修道服の袖をぎゅっと握りしめて、五歳か六歳ほどの女の子がひょっこりと顔を出した。さっきまで院長の背後に隠れていたようだ。

 これまでここで暮らす子供たちは誰一人としてフランシスに近づこうとしなかったから、突然現れた女の子にフランシスはひどく驚いたことを覚えている。

 女の子はまるでリンゴのように頰を紅潮させて、怒っているようだった。


「せっかく作ってくれたんだから、食べなきゃダメ! 院長先生は、あなたのために作ったのよ!」

「エルシー、いいのですよ」


 そう、その女の子の名前はエルシーと言った。エルシーはフランシスが頷くまでしつこいくらいに騒ぎ立てた。とうとう根負けしたフランシスは、食堂ではなく部屋でなら食べることを了承した。

 アップルケーキが運ばれてくると、何故かエルシーまでフランシスの部屋にやってきて、隣に座って自分の分のアップルケーキを食べはじめる。


「まあまあエルシー、あまりフランを困らせてはいけませんよ」


 身分を隠して修道院に来たから、フランシスは「フラン」と呼ばれていた。もちろん院長だけは事情を知っていたけれど、ほかのシスターや子供たちは、フランシスのことを、療養に来たどこかのお金持ちのお坊ちゃんくらいにしか思っていなかったはずだ。


「でもひとりぼっちは淋しいでしょ?」


 院長がフランシスから引き離そうとしてもエルシーは頑として居座り、リスのように頰を膨らませながらアップルケーキに夢中になっていた。

 そのぷくぷくしたっぺたや、熟れたリンゴのように赤い頰を見ていると、なんだかちょっと和んでしまって、フランシスはエルシーだけはそばにいることを許してしまった。

 その日からエルシーは当たり前のようにフランシスのそばにやってきて、果ては寝るときまで張り付いて離れないほどに懐いてしまった。

 無愛想なフランシスの何がそんなに気に入ったのかは知らないが、エルシーはフランシスに臆面なく笑いかけて、一緒におやつを食べて、一緒に眠る。変な子供だなと思いながらも、フランシスは凍り付いていたような自分の心がエルシーによって溶かされていくことに気が付いていた。

 フランシスは予定通り一か月で城に帰ることになったけれど、そのときもエルシーはフランシスに張り付いて大泣きをして、なだめるのに大変だったことを覚えている。

 思えば、素朴な味のアップルケーキは、あのころからフランシスの好物だったが、いまだに、あの修道院で食べたアップルケーキの味に匹敵するものと出会えていない。


(懐かしいな……)


 エルシーは今、どうしているだろう。

 元気でやっているのだろうか。

 女嫌いのフランシスだが、エルシーを思うときだけは、心の中がほっこりすることを自覚していた。

 王となったフランシスは、エルシーとはもう二度と会うことはないだろうが、彼女がこの国のどこかで幸せな日々を送ってくれることを祈っている。

 フランシスはセアラ・ケイフォードからの手紙を、ほかの妃候補たちからの手紙が入った箱の一番上に載せると、ペンを握って仕事を再開させた。

刊行シリーズ

元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活2 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影
元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影