王太后のお茶会 ①

「無理っ、もう無理っ、無理だったらーっ」


 エルシーはベッドの柱に抱きついて叫んでいた。


「もうちょっとです!」

「だから無理っ、内臓飛び出る! 死んじゃう死んじゃうぅ!」


 何をしているのかと言えば、王太后主催のお茶会の支度の真っ最中である。

 ドレスを着るためにコルセットを締める必要があるのだが、さっきからドロレスが容赦なくぎゅうぎゅう締め上げるので、本気で内臓が飛び出そうなほどに苦しいのだ。


「もう少し我慢してください!! 柱から手を放さないでください、ねッ!」

「ぎゃああああああああ!!」


 最後の仕上げとばかりに力いっぱい締められて、エルシーはカエルを潰したみたいな悲鳴を上げた。

 ドロレスがやり切った感満載の笑顔で額の汗を拭う隣で、エルシーはじゅうたんの上に両手をついて、ゼーゼーと肩で息をする。

 コルセットをこんなに締め上げなくてもドレスは着られるのに、何故ここまでする必要があるのだろう。


「お妃様、さすがに『ぎゃあ』はないと思いますよ」


 ダーナが床にへたり込んだエルシーを助け起こしながら言う。

 コルセットが終わったので、今度はその上からドレスを着るらしいのだが、お願いだからもう少し休ませてくれないだろうか。

 しかしダーナは「時間がありませんから」と聞く耳を持たず、さあ立てとその場にエルシーを立たせて、サファイアブルーのドレスを着せた。

 お茶会がはじまるまでまだ二時間もあるのに、どうして「時間がない」のか、エルシーにはさっぱりわからないが、ここは逆らわない方がよさそうだ。

 ドレスを着せたあと、ダーナとドロレスはエルシーの周りをぐるぐると回りながら、ドレスに皺がないか、ほつれがないかと全身をチェックする。

 それが終わると今度は化粧に取りかかるそうで、鏡台の前に座らされると、化粧の粉が落ちないようにとケープをかけられた。

 ドロレスがせっせとエルシーのまっすぐな銀髪にの香油を塗りこみながらくしけずる。

 ダーナはエルシーの肌を化粧水で整えつつ、肌にシミがないかを念入りに確認していた。


(……ここまでする必要があるの?)


 貴族令嬢は、お茶会一つにここまで気合を入れなければならないのだろうか。


(確かにこれじゃあ、顔に痣を作ったセアラを王宮に入れられないわけだわ)


 小さなシミ一つで大騒ぎなのに、大きな青痣を作ったセアラだったら大変なことになっていたはずだ。

 外に洗濯物を干しに行くだけで帽子を被れと言われるはずだなと納得しながら、エルシーは今日ばかりは自分が修道院に捨てられたことを心から感謝してしまった。エルシーには貴族社会で生きていくのは無理だ。

 シミの確認が終わったら、今度は眉を抜くと言い出したからエルシーはギョッとした。


「眉を抜く!?」

「整えるだけです。全部ではありません」


 いやいや、それだとしても絶対に痛いはずだとエルシーは身構えるも、毛抜きを持ったダーナの目は怖いくらいに真剣で、背後にはドロレスもいるから逃げられそうにない。


「い、痛っ! 痛いッ! ダーナ、痛いってばッ!」


 一本一本眉を抜かれていく痛みに、エルシーは涙目になった。あまりの痛みに鼻の上の方がツーンとして、鼻水まで出てきそうだ。


「我慢してください。すべては陛下のお心に留まるためです」

「陛下のお心に留まらなくていいです!」


 だから眉を抜くのをやめてほしい。


「何をおっしゃっているんですか!?」


 つい本音がぽろりと出てしまったエルシーに、ダーナがキッとまなじりを吊り上げる。


「今日を逃せば陛下にいつお会いできるかわからないんですよ?」


 正直言って別に陛下に会いたいわけではないが、これを言ったらさらに怒られそうなのでエルシーは涙目で口を引き結ぶ。


「お妃様はもともと眉が細い方ではいらっしゃいますが、眉の下のあたりを抜いたほうが目元がぱっちりして見えるんです」


 ぱっちりして見えなくてもかまわない。

 第一エルシーの眉毛は、髪より少し濃い銀色で、それほど目立つ色じゃないから、わざわざ抜かなくてもいいと思うのだ。

 痛みでぽろぽろと涙がこぼれはじめたところで、眉を抜かれる苦行が終わったらしい。れたタオルで眉のあたりを冷やされて、エルシーは魂が抜けたようにぐったりしてしまった。

 それなのに、今度は小顔になるマッサージをするだとかで、また痛いことをされてしまう。


「もう嫌! お茶会怖いっ!」

「はじまる前からそんなことでどうするんですか!」

「そうですよ。それにお妃様、礼拝堂を汚した犯人捜しをするっておっしゃっていませんでした?」

「もちろん犯人は捜すけど、それとお茶会になんの関係があるの?」

「なんのって、礼拝堂は王宮とつながっているんですよ? お妃様候補の中に目撃者がいるかもしれませんし、もしかしたら犯人だって──」


 エルシーはハッとした。

 確かに、犯人が外部の人間とは限らない。


(もしかして犯人がお茶会に来るかもしれないってこと?)


 それに気づくと、小顔マッサージの痛みはまったく気にならなくなった。


「そうよね! グランダシル様のためにお茶会に行かないといけないわ!」


 そして犯人を捜すのだ。

 闘志をみなぎらせるエルシーに、マッサージをしていたダーナはあきれ顔だ。


「犯人捜しもいいですが、まずは陛下とお近づきになってください。……聞いてらっしゃいます?」


 残念ながらダーナの苦言はエルシーの耳には入っていなかった。

 今日のお茶会には妃候補が全員集まる。頑張って聞き込みをして、犯人につながる手がかりを探るのだ。


「ちょっとドロレス、どうするのよ、これ」

「そうねえ……お茶会に前向きになってくれたらと思ったのだけど、妙な方にやる気になっちゃったわね。どうしましょう」

「どうしましょうじゃないわよ。この調子じゃ、陛下を無視して犯人捜しをはじめそうだわ」


 二人がぼそぼそと話をしているが、エルシーはそれも耳には入らない。


(グランダシル様の像を汚したってことは、違う宗教の方かもしれないわね!)


 きっと国で一番信仰されている神様に嫉妬したのだ。そうに違いない。


「ねえダーナ、ドロレス。お妃様候補たちに信仰を訊いても大丈夫かしら?」

「大丈夫ではありませんからやめてくださいませ」

「そうですわ。どこの世界にお茶会で信仰を確認するお妃様がいらっしゃいましょうか」


 ダメなのか。エルシーはがっくりと肩を落とす。


「じゃあ何を訊けばいいかしら。……いっそのこと、単刀直入に礼拝堂を汚したかどうか──」

「はい、落ち着きましょうね、お妃様」


 これ以上は聞いていられないと思ったのか、ドロレスが待ったをかけた。


「明らかに犯人捜しをしていると気づかれては、皆さまを警戒させるだけですわ。ここはさりげない会話の中から小さな手掛かりを探すようにしたらいかがでしょうか? ええ、当たり障りのない、お茶会らしい会話から探るのですわ」


 これはまた難易度の高いことを言われてしまった。


(でもそうよね。警戒されたら、誤魔化されるかもしれないものね)


 非常に回り道のようにも思えても、実はそれが近道であることもよくあることだ。


(修道院の裏山も、ぐねぐねしている脇道の方が実は早くたどり着くものね!)


 まどろっこしいようでも、グランダシル神のために頑張らねば。


「わかったわ! さりげない会話から怪しいところを探してみるわね!」

「その意気ですわ、お妃様!」

「はい、では、次はお化粧をしましょうね」


 いつの間にか小顔マッサージは終わっていたらしい。

 ダーナがエルシーの目元ににじんだ涙をタオルで拭い、肌に丁寧に白粉おしろいを塗っていく。

 ドロレスはエルシーの髪をコテでクルクルと巻いて柔らかいウェーブを作り出すと、ハーフアップにして、ドレスに合わせて青いリボンでとめた。

 ダーナはダーナで、白粉を塗り終えると目元に丁寧に色を重ねて、頰紅をつけ、淡い色の口紅を塗った。

 きっちり一時間のメイクを終えて、ダーナはふーっと息をつく。


「完成ですわ! これならば陛下もご興味を示されるに違いありません!」


 そうして出来上がった「エルシー」は、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだった。

刊行シリーズ

元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活2 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影
元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影