王太后のお茶会 ③
「わたくしです」
だから二人とも取らないでねと心の中でお願いしながら答えれば、イレイズは「まあ」と口元に手を当てる。
「あなたが?」
「はい。簡単なものしか作れませんが、ああいったことは得意でして……」
何せ、修道院で散々子供の服を作ったり繕い物をしてきたのである。裁縫には慣れているのだ。
「そう、なの……。まあ、うらやましいわ……」
どうやらよほど困っているようだった。
誰も服を作れないのであれば、最初に支給されたドレスで一年をすごさなければならないのだから、確かにそれは死活問題だ。
(今更だけど、ジョハナ様が王宮のルールを説明した時にダーナが怒ったのがわかる気がするわ……)
裁縫が得意なエルシーにはなんの苦もなかったけれど、イレイズのように裁縫が苦手な令嬢たちにとっては、ドレスの支給がないのは相当な痛手だ。
なんだか可哀そうになってきた。助け合いの精神はシスターの基本。ならば。
「よかったら、お作りしましょうか? 簡単なワンピースしか作れませんけど」
エルシーが申し出ると、イレイズは目を丸くした。
「まあ、よろしいの?」
「はい。でも、本当に簡単なものしか作れませんよ? ドレスとかは作ったことがありませんから」
「もちろんそれで構わないわ! よかった、本当に困っていたのよ。今日、陛下がいらっしゃると言うから、直接お願いに行こうと思っていたくらいなの……」
聞けば、イレイズはこの二週間余り、最初に支給されたドレスだけですごしてきたらしい。それは大変だったろう。ドレスは何枚もの生地を重ねているから、洗濯しても乾きが遅い。それに、何度も洗濯すると生地が傷んでしまうのだ。
イレイズが明日にでも生地を持ってエルシーの暮らしている部屋に来るというから、あとでダーナに報告しておこうと頷いたところで、侍従が王太后の到着を告げた。
イレイズと話し込んでいたから気づかなかったが、お茶会の会場には、いつの間にか多くのお妃候補たちが集まっていた。全員ではないが、お茶会の開始時間まであと十分ほどだから、もうじき集まってくるだろう。
イレイズがお話はまたあとにして王太后に挨拶に行こうと言うから、エルシーも頷いて席を立った。
王太后は一番城に近いところにあるテーブルに座った。
王太后フィオラナは、艶やかな金色の髪に緑色の瞳をした年齢を感じさせない美人だった。
イレイズとエルシーが挨拶に行くと、フィオラナは
短い挨拶を終えてイレイズとともに席に戻ると、先ほどはいなかった別の令嬢が座っていた。
(あ、この方……)
派手な金髪のこの令嬢は、クラリアーナ・ブリンクリーだった。いつぞや、礼拝堂の前で会った公爵令嬢だ。
イレイズとエルシーが席につくと、クラリアーナは細い眉を吊り上げたけれど、ばさりと扇を広げて顔を隠しただけで文句は言わなかった。
(クラリアーナ様も扇を持っているのね。いいなあ……。わたくしもほしい……)
いっそのこと、手紙を書くために支給される紙を使って自作できないだろうか。扇の骨組みがないが、何か代用できるものがあるかもしれない。
(工作は得意だもの。紙はたくさん余ってるし、手紙を書く予定もないからいいわよね?)
ケイフォード伯爵家から本物のセアラが手紙を送ってくるかもしれないが、返信用の紙など一、二枚残っていれば事足りる。ダーナとドロレスは怒るだろうが、今後フランシスに手紙を書くことはないと思うので使ってしまっても大丈夫だ。
「ごきげんよう、クラリアーナ様」
「ご、ごきげんよう、クラリアーナ様」
イレイズがクラリアーナに声をかけたので、彼女をそっくり
「ごきげんよう」
その仕草がどこか女王然としていて、エルシーは小さな感動を覚えてしまう。
そして今日も今日とて素晴らしいドレスだ。
今日のクラリアーナのドレスは前回と同様に大きく襟ぐりが開いたもので、濃い紫色だった。フリルとリボンがたっぷりついている。
エルシーに支給されたドレスはどれも露出の少ない控えめなもので、イレイズが着ているものもそうだから、きっとこのドレスはクラリアーナか彼女の侍女が縫ったものなのだろう。前回も思ったが、すごい縫製技術だ。
(やっぱり教えてほしい……)
なんとかしてクラリアーナと仲良くなってドレスの作り方を教えてもらえないかと考えていると、突然、ざわりと周囲にさざめきが走った。
どうしたのだろうかと顔を上げると、左右にそれぞれ騎士を一人ずつ従えた背の高い男がこちらに歩いてくるところだった。
顎の下ほどまでの長さの艶やかな黒髪に、エメラルドのように綺麗な緑色の瞳。漆黒のマントが風でばさりとはためいて、
(あの方が国王陛下かしら?)
威風堂々とした様は、まさしく「国王!」という感じだった。
エルシーにはよくわからないが、各テーブルからきゃあきゃあと歓声が上がっているので、国王陛下はよほど人気があるらしい。確かに、美醜に疎いエルシーでさえ整っていることがわかるほど綺麗な顔立ちをしている。
しかし、何が気に入らないのか、そのお綺麗な国王陛下はむっつりと不機嫌そうな表情を浮かべていた。
王は王太后の前を通るとき、
国王が王太后の前を通り過ぎると、王太后がふと悲しそうに眉を寄せたのが気になった。
同じテーブルのクラリアーナが「ふふっ」と小さく笑った。
「陛下がこちらへ来るのは当然よね。わたくしがここに座っているんだもの」
(え?)
なんと、国王はこの席に来るらしい。
ピクリとイレイズが肩を揺らして、ピンと背筋を伸ばしたので、エルシーも慌ててそれに倣う。
よりにもよって何故ここに来るのだろうか。
(これじゃあ自由におしゃべりできないじゃない!)
エルシーは国王に興味がないのだ。エルシーが興味があるのはここにいる妃候補たちだけである。彼女たちとたくさん話をして礼拝堂を汚した犯人の手掛かりを探すのである。正直、自由に話ができなくなるので、国王の存在は邪魔でしかない。
離れたところにいるダーナが小さくガッツポーズをしたのが見えた。喜ばないでほしい。これは想定外の事態だ。
国王がこちらへ来たから、彼についてきた騎士二人も当然ここに来る。
テーブルには椅子が四脚しかなかったので、二人は国王の背後に立ったままだ。圧迫感がすごい。椅子を理由に逃げ出せないだろうかと考えていると、クライドと目が合った。彼は片目をつむって「お気遣いなく」と口の動きだけで言った。どうやらエルシーの魂胆は見え見えだったようだ。
(まずいわ。国王陛下の名前すら
エルシーは国王の名前を知らない。当然知っているものだと思っているダーナやドロレスは教えてくれなかったし、貴族令嬢たるもの知っていない方がおかしいはずなのでエルシーも訊ねることができなかった。
話しかけられてはたまらないと、できるだけ目を合わさないようにしようと視線を下に向ける。
国王が席につくと、給仕担当たちが各テーブルにティーセットを運び、全員にいきわたったところで王太后が銀のスプーンでティーカップの縁を軽く叩いた。
「本日はわたくしのお茶会にいらしてくださってどうもありがとう。短い時間ですけど、楽しんでちょうだい」
(どこが短いのかしら。二時間もあるのに。……はあ、二時間……。陛下、早く別のテーブルに移ってくれないかしら)
国王に話しかけたくてうずうずしているほかの令嬢とは対照的に、エルシーは「どうかへまはしませんように」とこっそりと憂鬱なため息をついた。
国王の名前だが、お茶会がはじまってすぐに知る機会が生まれた。



