王太后のお茶会 ④

 クラリアーナが「うふふ」と華やかな笑みを浮かべて、国王に話しかけたからだ。たしかクラリアーナは国王のはとこにあたるらしい。なるほど、彼がこのテーブルに来たわけだ。


「フランシス様、そんな仏頂面をしていないで、もっと楽しみましょうよ!」


(国王陛下はフランシス様というのね。フランシス様。覚えておかなきゃ)


 とりあえず、フランシスの相手はクラリアーナに任せておけばいいだろう。エルシーは出しゃばらず、彼がどこかへ消えるまで目の前のお茶とお菓子を堪能することにした。

 がれたばかりの紅茶からはかぐわしい香りが漂っている。目の前の三段トレイに盛られたお菓子やサンドイッチも、どれも宝石のように美しかった。

 紅茶を一口飲んで、その美味しさにエルシーはほーっと感じ入った。紅茶の茶葉も食材と一緒に届けられるし、ダーナやドロレスは紅茶を入れるのがとても上手だったけれど、ここで出された紅茶はそれとは比べ物にならないくらいに美味しかった。おそらく茶葉の品質が違うのだろう。

 イレイズも紅茶に口をつけ、柔らかく目を細めている。そして三段トレイの下段の一口サイズのサンドイッチを手に取ると、口に入れて嬉しそうに微笑んだ。自分たちで食事を作れと命じられているから、どうしても城の料理長が作る洗練された食事は味わえない。侯爵令嬢のイレイズにとっては、久しぶりに満足のいく食事なのかもしれなかった。

 エルシーもイレイズと同じくサンドイッチに手を伸ばして、それからフランシスの斜め後ろに立っているクライドともう一人の騎士が食事に手を付けていないことに気が付いた。立ったままだから紅茶も食事もとれないのだろう。


「クライド様は食べないんですか?」


 エルシーが訊ねると、クライドが笑った。


「ここに来る前に腹いっぱい食べたんでお気遣いなく」


 礼拝堂を掃除してもらって以来、エルシーとクライドは仲良くなっていた。というか、エルシーのアップルケーキが気に入ったクライドが一方的にエルシーを気に入ったとも言える。彼は次の日、アップルケーキのお礼だと言って大量のリンゴを差し入れてくれた。こんなに食べきれないと言えば、ケーキにしてもらえば自分が食べると言った。あれは遠回しにアップルケーキをねだられたのだと確信している。

 エルシーがクライドに話しかけたからだろうか、イレイズが少し緊張した顔でもう一人の騎士に話しかけた。


「コ、コンラッド騎士団長は、いかがですか?」


 なんと、もう一人は騎士団長だったらしい。エルシーは驚いた。騎士団長にしては若い。クライドよりも少し年上──三十前後にしか見えない。

 イレイズの声が少し上ずっている。コンラッドが苦手なのだろうかと思えば、その頰がほんの少し赤く染まっていた。エルシーはもう一度コンラッドを見て、なるほどと合点する。嫁ぎ先は神様と決めているエルシーはなんとも思わなかったが、コンラッドは整った顔立ちをしていた。トサカ団長──いや、クライド副団長も精悍な顔立ちをしているが、彼とはどこか違って、騎士らしくないというか──貴公子然としている。

 ちらりとほかのテーブルを見れば、誰もがこちらのテーブルに視線を向けていた。

 フランシスも整った顔立ちをしているし、彼の後ろにいる騎士二人もそうとなれば、令嬢たちの熱い視線が注がれてもおかしくはない。

 エルシーはなおのこと居心地が悪くなって、何か適当な理由をつけてほかの席に移ることはできないだろうかと思った。このままここにいては針のむしろだ。誰か代わってほしい。

 こっそりため息をついた時、フランシスの視線がこちらへ向けられていることに気が付いた。

 どうかしたのかと顔を上げれば、目が合った瞬間に逸らされる。首をひねれば、フランシスが視線を逸らしたまま言った。


「……そなたは?」


 フランシスがそう一言発した瞬間、ざわりとけんそうが立った。

 フランシスが女性の名を訊ねることが珍しいと知らないエルシーは、なんでざわついたのかわからないが、訊ねられたら答えるべきだと、「セアラ・ケイフォードです」と双子の妹の名前を名乗る。


「セアラ……そうか。ケイフォード伯爵家の」


 フランシスが少しがっかりしたような表情をしたのが気になった。


「確かセアラと言えば……礼拝堂を毎日掃除していると聞いたが、本当か?」


 国王は王宮には一歩も足を踏み入れていないらしいのに、どうしてそのことを知っているのだろうか。不思議に思いつつも、エルシーは頷く。


「はい」

「何故だ?」

「何故?」


 どうして理由を求めるのだろう。礼拝堂を掃除することに意味が必要だろうか。エルシーはきょとんとして、修道院の教えをそのまま答えた。


「グランダシル様に心地よくお過ごしいただくためです」

「……は?」


 フランシスは虚を突かれたように目を瞬いた。何故驚くのだろう。わかりにくかっただろうか。


「礼拝堂はグランダシル様のお住まいですもの。わたくしたちのおうちだって、毎日掃除をするではありませんか。グランダシル様のお住まいを掃除することは当然のことですわ」

「グランダシル……ああ、そうか、神のことか」


 誰のことだと思ったのだろう。この国は宗教国家ではないため、神に仕える身でなければ信仰心が薄いとは聞くが、神様の名前をすぐに思い出せないとは何事だろうか。

 エルシーはちょっぴりムッとしたけれど、他人に信仰を押しつけてはならないというカリスタの教えを思い出して、深呼吸することでその怒りを鎮めることに成功した。「他人に信仰を押しつけてはならない。神様の教えが必要なときは、人の方から集まってくるものだから」。それが、尊敬するカリスタの教えだ。


「セアラは神に心地よく過ごしてもらうために礼拝堂を掃除している、ただそれだけだと?」

「ほかに何か理由がございましょうか?」

「……まあ、こざかしい」


 エルシーが頷いた直後、冷ややかな声がしたので視線を向けると、クラリアーナが鋭い視線でこちらを睨んでいた。


「神のために掃除をするですって? 見え透いたうそなどつかずとも、素直にフランシス様のお気を引くためですとお答えすればいいじゃないの」

「……え?」


 礼拝堂を掃除することが、どうしてフランシスの気を引くことにつながるのだろうか。

 しかしここで、「そんなつもりはこれっぽっちもない」と答えると、今度はフランシスに対して失礼になってしまうかもしれない。


(これはなんて答えるのが正解なのかしら……?)


 エルシーが困っていると、クラリアーナが艶然と微笑む。


「でも残念ね。礼拝堂は汚されたせいで入られなくなったでしょう? ねえ、イレイズ様?」

「え? ……え、ええ、そうだったかしら?」


 どこか上の空だったイレイズが、クラリアーナに話しかけられて曖昧に微笑んだ。


(入れない?)


 エルシーはきょとんとした。礼拝堂がいつ封鎖されたのだろうか。エルシーは今朝も掃除をしてきたばかりだけど。


「知らなかったの? 毎日掃除に出かけているのに? 今、礼拝堂は泥や絵の具で汚れているのよ。どうしてなのかしら。セアラ様が毎朝掃除なさっているはずの礼拝堂が、どうしてそのように汚れてしまったのかしらね。ねえ、フランシス様?」


 エルシーは驚いた。せっかく掃除したのに、また泥と絵の具で汚されてしまったのだろうか。こうしてはいられない。早く綺麗にしなければ。


(ああっ、お茶会はまだ終わらないの?)


 もちろんはじまったばかりのお茶会は、まだ一時間以上も時間がある。

 いてもたってもいられずそわそわしはじめると、フランシスが静かに言った。


「礼拝堂はすでに掃除されて元通りだ。立ち入りも禁止していない」


 エルシーはホッとした。もしかしてクラリアーナは、少し前に汚された礼拝堂がまだそのままにされていると勘違いしたのかもしれない。


「まあ、そうでしたの。知りませんでしたわ」


 クラリアーナが大げさに言って、ニコリとエルシーに笑いかけた。


「よかったですわね、セアラ様。汚した礼拝堂が綺麗になって」

「はい! 本当によかったです! クラリアーナ様も心配してくださっていたんですね! ありがとうございます!」

「え?」


 クラリアーナが目を丸くしたが、エルシーはにこにこと続ける。

刊行シリーズ

元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活2 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影
元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~の書影