一章 オタクは推しに還元したいんだ、と俺は言った。 ③

「わたしのつえを返しなさい──ッ!」


 銀の星が降ってきたのかと思った。

 ナマズの頭上から少女がローブをはためかせ、迫る。ステラは巨大ナマズの頭に着地するなり、手にしていたナイフをそこに突き立てた!


「グォアアアアアアアッ!」


 ナマズのくせしてやつは怪獣みたいな声を上げた。頭をもたげて左右に勢いよく振る。俺はやつの口から吹っ飛び、岸辺に転がっていた。

 ステラもひらりとナマズの頭部から岸へ飛び移る。


「びっくりだ。予想より大分早かったな。こんなすぐ拾いに来てくれるなんて──」

「違うわよ! あんたを拾いに来たんじゃなくて、偶然、こっちのほうに用事があっただけなんだから」


 そう言いつつも、ステラはさっと俺を拾い、大事そうに抱える。


「果たしてその用事とは?」とこうとしたとき、彼女の背後で巨大な影がうごめいた。


「ステラ、後ろっ!」


 巨大ナマズが俺たちを捕食しようと口を開けていた。


「くっ」とステラは横に転がって回避する。しかし、勢いよく閉じたナマズの口は、ステラのローブを挟んでいた。

 即座に彼女はローブをナイフで裂いてナマズから逃れる。ちゆうちよない動作だ。


「もしやステラは戦い慣れてるのか……? 今の動き、普通ならできないぞ。少なくとも俺はできない」

「無駄話は後よ! 今はこいつから逃げるわ!」


 起き上がったステラは俺を手に、池から離れるべく駆け出す。

 再びナマズがほうこうした。俺たちをロックオンしたナマズは、ヒレを地面にたたきつけて飛びかかってきた。


「痛た────っっ!」

「オタクっ!?」


 ナマズは俺の頭にみついていた。

 俺の叫び声にもナマズは動じず、つえをくわえたまま放そうとしない。

 ステラは俺を見捨てなかった。


「このっ、放せ! 放しなさい!」


 彼女は俺の足側を持って踏ん張っている。が、相手の重量はステラの何倍もあるのだ。綱引きでは分が悪い。

 ステラの足はズルズルと池に引きずられていく。それでも、うーん、と懸命につえを引く彼女。このままでは二人ともナマズのじきになるだけだ。


「無理するな、ステラ。俺を置いて逃げるんだ!」


 どうせ夢なのだ。ナマズに食われるくらい何だ。俺がカッコつけて言ったときだった。


「あんたを置いていく……? ふざけないで。あんたはわたしのつえなんだから……!」


 ステラの顔が泣き出しそうにゆがんだ。

 思いがけない表情に俺がたじろいだのは一瞬。

 ついにステラが池に引きずり込まれた。


「ひゃあっ!」

「ステラ……!」


 このときを待っていたとばかりにナマズはぱっくり口を開ける。俺たちをまるみにするつもりなのだ。

 つえを持ったステラがナマズの口内に吸い込まれる──。


「させないっ!」


 ステラの瞳がギラリと光った。

 くるりとつえを持ち替え、やりみたいに構える。ステラはナマズの上顎にそれを突き刺した。

 ズブッと何かを突き破った感触がした。「グォアアアアアッ!」とナマズが悲鳴を上げるが、ステラの攻撃は止まらない。


「このつえはっ、わたしのっ、ものなんだから! 誰にも譲らないわよ──!」


 ステラはナマズの口内から、ズブッ、ズブッと周囲を何度も突いている。その度にナマズはバタついていたが、やがてぐったりとなった。

 すげえ……と俺は棒だけにぼーっとしていた。きやしやで小柄だが、ステラは意外と身体能力が高いらしい。俺を遠くまで投げ飛ばしたり、巨大ナマズをKOしたり、なかなかできることではない。

 動かなくなったナマズの口内から、ステラはぴょん、と脱出する。

 ずぶれになった少女はつえを携え、池から離れて森のほうへ戻っていた。静かな夜道に一人分の足音が響く。


「拾いに来てくれて助かった。もう会えないかと思ったぞ」


 ビクっ、と彼女の肩が跳ねた。

 俺は逆さまに持たれているため、ステラの顔が見えない。頭を上にしてくれたら見えるんだけどな。


「……言ったでしょ。偶然、池のほうに用事があったのよ」

「そうだったな。ところで、その用事は何だったんだ?」

「あんたに関係ないわ」


 突き放すようにステラは言った。

 ツンデレ推しの俺はピン、とくる。これは照れ隠しだ。本当はただ俺を拾いに来たのだが、それを言いたくなくて、ステラは用事があったことにしている。


「くうう、これぞツンデレ! 俺はステラのもので幸せだー!」

「バっ、バカじゃないの!? わたしはオタクなんて大嫌いなんだから」

「嫌いなら俺を放っておいてもよかったんだぞ」


 素直じゃないなあ、と俺はふふ、と笑う。珍しくステラは反論してこなかった。


「……あんた、怒ってないの?」


 怒る?

 俺は心の中で首をかしげてしまった。


「どうして俺が怒るんだ?」

「わたしが投げたせいで、あんた魔獣に食べられるとこだったのよ。魔獣は人を骨ごと食べるんだから、つえでも無事じゃ済まないわ」

「何だって!?」


 叫んだ俺に、ステラはふん、と鼻を鳴らす。


「今さら自分の置かれてた状況に気付いたの? ……わ、わざとあの池に投げたんじゃないのよ。わたしもまさかあそこまで飛ぶと思ってなくて──」

「そうじゃない、ステラ」


 どうやらステラは、俺が怒っているんじゃないか、と不安だったようだ。しかしそれは俺がステラの羞恥心を爆発させてしまったのが原因なので、俺が怒るのは筋違いである。

 怒るなら別のことだ。


「なんでそんな危険を冒して俺を拾いに来たんだ? 危ないじゃないか!」


 今になってぞっとした。本当にステラが無事でよかった。


「俺を助けに来て、ステラが食べられたらどうするつもりだったんだ!? どう考えてもステラの安全が最優先だろ」

「見くびらないで。あれくらいわたし一人でどうにかできるわ」

「ローブ破れてるぞ。服もれてるし」

「ちょうど着替えようと思ってたとこよ」

「助けてくれたのはうれしいけど、俺はステラにしてほしくない。俺のために無茶しないでくれ」

「誰がオタクなんかのために無茶するのよ。勘違いも甚だしいわ!」

「わかったわかった。……ありがとな、ステラ」

「~~~~~っ、何もわかってないっ」


 かんしやくを起こしたようにつえを振るステラ。おかげで彼女の顔が見えた。

 夜でもわかるほど赤く染まった頰。恥ずかしそうに伏せたまつ。……やっぱりツンデレは最高だ。


「ステラ、早く着替えるんだ。風邪を引くぞ」

「言われなくてもそのつもりよ。……ヘンな精霊」


 素っ気ない声。それでも彼女の手はぎゅっと俺を握っていた。



 ステラは大きな洋館に入った。

 玄関の大広間を抜けると、規則正しくドアが並ぶ長い廊下が現れる。一番奥の部屋にステラは入った。

 室内には二段ベッドが二つと学習机が四つあった。典型的な四人部屋だ。


「いい? これから着替えるけど、絶っ対に見ないでよ。絶対の絶対の絶対だからね!」


 腰に手を当ててステラは俺を見下ろした。


「そんな念を押されるとフリみたいなんだが。これ絶対見るパターンだろ」

「フリじゃないわよ! 見たら、これからずっとあんたを変態と呼ぶから」

「それじゃごほうだ」


 美少女に「この変態っ!」と罵られて喜ばない男がいるだろうか? ステラはまだ男という生き物を知らないようだ。

 ステラははっとした顔になる。


「忘れてた、あんた本物の変態だった!」

「俺に着替えを見られたくないなら、ベッドの中にでも入れるといい。つえの俺は自力でとんから出られない」

「そうね」と、ステラは素直に俺をベッドの中に押し込んだ。

 柔らかい布地に包まれる。これがステラのベッドか……スーハースーハー、ここは天国か? とてもよい匂いがする。つえだけど嗅覚がちゃんとあってよかった。

 少ししてステラがとんめくった。


「終わったわよ」


 ステラは私服になっていた。飾り気のない衣服だが、それがかえってステラの素材のよさをきわたせている。ささやかな膨らみのある胸元にスカートからのぞく生脚。ナマズとの戦闘で乱れた髪も整えてある。

 彼女は新しいローブをクローゼットから出して羽織った。


「あーあ、動いたからおなか減ったわ。広場で何食べよっかなー」

「待ってくれ、ステラ」

「何?」

「そろそろ俺は現実に帰りたいんだが……」


 ステラに言うことじゃないとわかっていても、俺は言わずにはいられなかった。実のところ少しあせっている。

 この夢は妙にリアルなのだ。まったく覚める気配がない。普通、ナマズのくだりで目覚めるだろ?


「現実って……あんたまさか、まだ夢の中にいるつもりなの?」

「この世界が夢だという決定的な理由を言おうか」


 はあ、とステラはろんげになる。


「まず俺の身体からだつえだということ」

「精霊がつえに宿るのは至って普通のことよ」

「次に日本語で会話が通じていること!」


 どうだ、と俺は心の中で胸を張った。

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ツンデレ魔女を殺せ、と女神は言った。3の書影
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