外伝~リンの気持ち~
……本当に不思議な方だ。
机に突っ伏して『だるいよぉ〜』と言っているマルス様……。
口では面倒と言いつつも、とっても優しい方。
私が同族を救ってほしいと頼むか迷っていたのに……。
この方は、何も言わずに救いの手を差し伸べてくれた。
まるで当たり前で、自分のことのように……。
そんな姿を見ていると、当時のことを思い出す。
私は、気がついた時には奴隷だった。
親に捨てられたのか、それとも
どっちかはわからないが、事実は変わらない。
私が生きる価値のない奴隷だということは。
「お、お腹すいた……」
「ほら! 働け! まだまだ荷物はあるんだぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
この日も朝から晩まで、荷物を運んだり、人がやりたがらない仕事をさせられていた。
私は力も弱く、先に行くみんなからいつも遅れていた。
どうして、私がこんな目に? 私がなにをしたの? ……誰か助けて……!
「あぁ!? なに見てんだよ? お前みてえな何処にも売れない奴、雇ってもらえるだけ有り難く思え!」
「ヒィ!? ご、ごめんなさい!」
当時の私はガリガリで、薄汚れていて、いわゆる買い手がつかなかった。
見た目が良い者は、貴族に買われていったが……今思えば、そうならなくて良かった。
「ねえ、どうして殴ってるの?」
だ、誰だろう? 小さい男の子? 綺麗な目……。
「あぁ!? なんだ……マ、マルス様!? ライラ様まで……」
「うん、そうだよ。どうして、彼女は殴られてるの? 何か悪いことしたの?」
「マルス、彼女は奴隷なのよ」
「奴隷……ライラ姉さん、それは知ってるけど、それが殴っていい理由になるの?」
「それは……いえ、そうね。貴方、もう少し優しくしてあげなさい。雇ったというなら、最低限のことはするべきだわ。質の悪い商人は……消すわよ?」
「へ、へい! 申し訳ありません!」
「姉さん、僕が買い取っても良い?」
へっ? この男の子は、今なんて……?
「えっ? まあ……奴隷が欲しいのかしら?」
「うーん……そういうわけじゃないんだけど。なんか、ほっとけなくて」
「優しい子ね……でも、彼女一人を救ったところで、なにも変わらないわよ?」
「偽善者ってこと? ……それでも良い。僕が口を出したことで、あの子が叱られるかもしれないし」
「わかった上での発言ね……そうね、その可能性はあるわ」
「お、俺は、そのような……」
「うん、かもしれないだよ。ねえ、買い取っても良いかな?」
「も、もちろんです!」
「マルス、お金はどうするの?」
「今日の買い物はやめにします。あと、しばらくはおやつ抜きにするよ」
「あらあら……それはすごいわね。わかったわ、周りやお兄様は私が説得するわ」
「姉さん! ありがとうございます! だから姉さん好きです!」
「まあ! 可愛い!」
「痛いよ!? 潰れるぅ……」
えっ? 何が起きてるの? どういうこと?
「あら、ごめんなさい」
「ふぅ……君、名前はあるの?」
「な、名前……?」
名前ってなんだろう? いつもお前とか、番号でしか呼ばれてないよ……。
「マルス、名前はないわ。買った者がつけるのよ」
「そっか……君、僕のところにくる?」
「い、行きます! な、なんでもします!」
「まあ、おいおいね。じゃあ、今日から君は……リンだ」
「リン……? 私の名前ですか?」
「うん、そうだよ。自信を持った、凜とした女性になれるようにね」
私が……? なれるかな……ううん! なってみせる!
「が、頑張ります!」
「じゃあ、これからよろしくね」
……そうだ、私はあの日名前をいただいた。
そして身を綺麗してもらい、温かいごはんを食べさせてくれた……。
あの日の味を忘れることはない。
その後、マルス様の境遇を知って……決めたのだ。
私は誓った……その名に恥じない女性になろうと。
礼儀作法や厳しい稽古、格闘訓練などを受けて、この方のために生きようと。
「マルス様、今回のこと本当にありがとうございます」
「んー?」
机にグデーンとしたまま、返事をするマルス様は……可愛い。
そういえば、最近は尻尾も触ってくれない……ち、違う、そういうアレではない。
私は、凜とした女性なのです。
「同族を救ってくださった件です」
私の想いは悟られるわけにはいかない。
シルク様がいらっしゃるし、私では釣り合いが取れない。
「ああ、それかぁ。だから、気にしないで良いって。それに、まだまだ救ったとはいえないし」
「ですが……」
「リン、俺はね……ダラダラしすぎてしまったのさ」
「ええ、よく知っていますよ」
「ウンウン、そうだよね。まあ、少し心境の変化というか……少し働いてみようかなって。ほら、俺って今まで
「ふふ、王都の者が聞いたら驚きますね。何か、心境の変化でも?」
あの日から、マルス様は少し変わった。
魔法を使うようになったり、色々と自分でするようになった。
「まあ、成人したしね」
そう言って、頰をかいていますが……あの仕草は、なにかを誤魔化す時ですね。
どうやら、私に教えてくれる気はなさそうです。
でも、良いんです。
貴方が変わらず優しいままでいるなら、私はそれだけでいい。
そして、私に救いの手を差し伸べてくれた貴方を、この身をかけてお守りいたします。
それが、出会ってからずっと思っている──私の誓いですから。



