一.旅の始まり ①

『どこかへ行くのか? それともここで暮らすのか?』

「この国を出ようと思っているよ。ここにいて、万が一にでもあいつらに知られたくない」

『そうか』


 アルがいるのはユークリッド公爵領にある森の中だ。というのも、アルが創った転移の魔法陣は、自身が【印】を置いたところにしか転移できないからだ。アルはこの転移の【印】を置くために、自力で森の奥地まで来て転移用の基地を作った。

 この森で生活すれば、いずれアルがここにいることが公爵家や王家に知られてしまうかもしれない。森の奥地といえども全くの未開の地ではないのだ。優れた冒険者なら辿たどけるだろう。


「ブラン、物資はちゃんと保存してあるね?」

『当然であろう。我がきちんと守っておったぞ』

「ありがとう」


 偉そうに胸をはるブランの頭を撫でる。


「よし、全部そろっているね。……あ、ブラン、僕公爵家を除籍になったから、アルとだけ名のることにするね」

『お前は元々アルだろう?』


 荷物が揃っていることを確認して、ブランに思い出したことを告げると、不思議そうに首をかしげられた。人間以外にとっては、家名とか本名だとかはどうでもいいのだろう。そもそもアルとしか覚えていなかったようだ。


「ちゃんと名のったはずだけどな。……まあ、いっか」

『早く行くぞ』

「うん」


 既に捨てたもののことを気にしても仕方がない。

 アルは自身が作ったアイテムバッグを背負って歩きだした。このアイテムバッグは、そのサイズの千倍ほどのものを収納できる革かばんだ。内部の時間経過を停止させているため、食料の保存にも便利な代物で、アルの自信作だ。この中に長年かけて用意したアルの全財産が入っている。

 アルが歩きだすと、ブランはアルの首に巻き付くようにしてだらりと垂れた。自分で歩く気はないらしい。


「ブラン、僕を乗せて帝国まで連れていってくれる気はない?」

『嫌だ。そんな疲れること。道中でうまいもんがないか探しながら行くぞ』

「……はぁ、食い意地がはっているんだから。美味おいしいものにつられてさらわれないでよ」

『我を害そうとするならば食い殺すまで』

「人間って美味しくないらしいよ」

『そうなのだ。だから我らは食わん。ゴブリンと人間は同じくらい不味まずい』

「ゴブリンと同じかぁ。微妙に嫌な評価だな」


 さくさくと森を歩く。今は魔物を避けながら歩いているが、どこかで美味しそうな魔物を捕まえるべきだろうか。保存食は十分用意しているが、それだけでは味気ない気がする。


『お? シラドリの匂いがするぞ』

「え、シラドリなんてこの森にいたの」

『うむ、あれは隠れるのが上手うまいのだ。我もあまり食べていない。アル、今日の晩飯にはシラドリの丸焼きを所望する』

「えー……まぁ、僕も食べたいかも」


 食欲に負けて、ブランの指示する方へと方向を変える。特に目的がある旅ではないのでままに動けるのだ。


『そこだ。その木のウロ』


 ブランの示す先に白い耳が見えた。シラドリはウサギのような長い耳を持ち、聴覚に優れた中型の鳥の魔物である。さほど凶暴ではないが、逃げ足が速い。

 腰元にいていた魔法筒を静かに構える。警戒心が強いシラドリは少しの物音で逃げてしまうのだ。ブランの声は念話によるものだから、物理的な音は発生していない。

 魔鉄で作られた直径三センチメートルほどの円筒の魔法筒をのぞいて狙いを定め、側面に刻まれた魔法陣に魔力を流す。その瞬間、無色の魔力弾が発射された。


『お、上手くいったな』

シラドリを狙ったのは初めてだったけど、何とかなったね」


 シラドリの後頭部を狙ったが、上手く一撃で仕留められたようである。近づいてみると、頭の部分が潰れていた。


『だが威力が強すぎたのではないか?』

「……まあ、血抜きが必要だしね」


 ブランから注がれるジトッとした眼差しから目をそらしながら、シラドリを逆さに持った。早く血抜きしないと肉の味が落ちるからだ。


シラドリってどんな味なの」

『うむ。淡白だが脂がのっているのだ。臭みがなく食べやすい』

「へぇー、じゃあ丸焼きでも美味しいんだね?」

『ああ、だが、お前が作った素晴らしき粉をかけるとさらに旨かろう』

「……ミックススパイスね。変な呼び方しないでよ」

『うむ。それだ』


 血が抜けたところでアイテムバッグから解体用のナイフを取り出す。羽根をむしったあとナイフで丁寧に皮を剝ぎ、使わない内臓を捨て、ついでに心臓に埋まった魔石を取った。魔石は魔道具作りに使えるのだ。


「この魔石、結構濁っているね」

シラドリは珍しいがあまり強くない。魔石の質は悪かろう』

「ああ、そうなのか」


 アルが改めてシラドリかんていがんで見ると、魔物としてのランクはEであると示されていた。魔物ランクはAからGまでありAが最も強い災害級の魔物だ。Eランクは中級の冒険者がよく狩るランクである。


「魔道具の燃料にはなるかな」

『うむ? お前が作る魔道具に魔石が必要だったか?』

「常時起動のものには魔石を使った方が安定するんだよ。一般向けに売り出すのは、魔石が必須だしね」

『そうか。ならば良い魔石を狩りに行くか? この森のさらに奥には暴風をつかさどるドラゴンがいるのだ』

「……それ狩っちゃダメなやつじゃない?」

『ドラゴンは死ねば新たなものが生まれるから無限狩りできるぞ』

「それなんか非道すぎるな」


 ブランの言葉に顔をひきつらせて、シラドリをアイテムバッグに放り込み、森の浅い方へと歩きだす。必要もないのに世界の番人を狩りに行くなんて罰当たりなことはしたくなかった。

 ドラゴンはこの世界で森羅万象を司るものと言われている。気候や自然に影響を与え、この世界を神が望む環境に整えているのだ。時に神の使徒とも呼ばれるのは、ドラゴンが死ねば瞬く間に同じ事象を司る新たなドラゴンが生まれるという伝承によるものだった。

 そんなドラゴンを殺せば神にたたられそうだ。


『なんだ、狩らんのか。つまらんな』

「なんで狩らせようとするんだよ」


 森歩きはアルにとって慣れたもので、魔物の気配を探りながらもさくさくと進む。魔物が近くにいる気配はなかったので、手持ち無沙汰にブランの頭をクシクシと撫でた。その手のひらの下でぶつくさと文句が放たれる。


『お前には冒険心が足らん。人の命は短いのだ。もっと楽しめ』

「今は楽しいよ。ブランと一緒に旅できるし」

『……ふん、もっと早くに旅立てば良かったのだ』

「人間にはしがらみがあるんだよ」


 貴族としての暮らしはつらいことばかりだった。血の繫がった者たちも、アルを虐げ搾取するだけで心の支えとなり得ない。そんな中で出会ったブランは、アルに安らぎと活力を与えてくれた。


『……ところで、いつシラドリを焼くのだ』

シラドリは夜ご飯だよ?」

『もう日が陰る。早く焼くのだ!』

「まだだよ」


 木々の合間から見える太陽はまだ傾いてきたばかり。野営の準備をするには早すぎだ。頰をバシバシとパンチする肉球を無視して先に進む。夜は魔物が活発化するので、明るいうちにもう少し森の浅いところまで行くつもりだ。


『焼けー! シラドリを焼くのだー!』

「うるさいよ、ブラン」


 ブランと話しながら森を歩き、野営に良さそうな場所を見つけてテントを張った。その半径五メートルの空間を覆うように結界の魔道具を設置して、とりあえずの野営準備は完了だ。

 ブランが魔道具をちょんちょんつついて遊んでいるのを見ながら火を起こし、シラドリを焼きやすいようにさばいた。


「それ面白い?」

『お前が作る道具は変わっているな』

刊行シリーズ

森に生きる者4 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者3 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者2 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影