三.川の傍でのバーベキュー ①

 闇が覆っていた森に朝の日差しが降り注ぐ。森は夜の顔を隠して静まった。どこからか鳥の鳴く声が聴こえる。


「う~ん、もう朝か……」

『ぐぅ……』


 アルの腕の中で大の字で寝転がるブランを見て笑う。完全に野生の本能を放棄した姿だった。


「なんだか、懐かしい夢を見ていた気がするなぁ」


 うっすらと残る夢の気配を探るも、どんな夢だったのか思い出せなかった。しかし、心が温かく感じるのできっと良い夢だったのだろう。


「朝ご飯の仕度をしないとな」


 ブランをそっと寝床に残してテントを出る。朝の澄んだ空気が気持ちよくて、大きく深呼吸した。アイテムバッグから取り出した魔道具でおけに水をめ、顔を洗ってさっぱりする。


「朝は軽めにしようかな。昨日はお肉をたらふく食べたし」


 火を起こし、鍋の水と鉄鍋を温める。鍋にはイモと昨夜のあまりのアスパラガスを刻みいれた。味はスープ用のハーブと塩であっさりと。鉄鍋には甘めのかんきつオイルを垂らし、ベーコンを敷き、卵を割りいれる。蓋をして蒸し焼きだ。卵が焼けるのを待つ間にパンをスライスし、バターを塗って焼く。


『いい匂いだ』

「おはよう、ブラン」

『うむ』


 食欲を誘う匂いで起きてきたのか、ブランがアルの隣にやって来て、料理をガン見しながらうなずいた。口の端から涎が落ちそうになっている。


「ほら、ブランの分」


 スープを深皿に注ぎ、しょうをかけてプルプルの目玉焼きをパンにのせてブランの皿に置く。アルの分はパンでベーコンと目玉焼きを挟み込んで手に持ち、スープはマグカップに注いだ。


『旨いな! この汁はハーブがきいていい。この肉は塩味と肉汁のバランスがいいな。パンにも肉汁がしみている』

「美味しいね」


 ゆっくり食べるアルとは違い、ガツガツ食べきったブランは名残惜しげに皿を舐めている。あまりに惜しげなので、おかわりのスープを入れてやった。昼用にでもしようと思ってたくさん作ったのだが、この分だと食べきってしまいそう。

 鳥のさえずりが聞こえる澄んだ空気の中で食事をすると気持ちがいい。今日は良い一日になりそうだ。

 ブランがスープを完食したところで片付ける。火を消し、テントも仕舞えばすぐに旅立つ準備が整った。


「よし、行こうか」

『ああ』


 ブランがアルの肩に跳び乗ってだらりと身を垂らす。その頭を撫でて北に向かって歩き出した。


『今日は何を食う? もう少し北に行けば、黒猛牛がいるぞ』

「朝ご飯食べたばっかりなのにもうご飯の話なの?」

『肉食わんのか? お前はもう少し肉をつけた方がいいぞ』

「うるさいよ。僕は食べても太らないんだ。……なんでだろう」

『……まあ、お前は常に力を放出しているからな』


 自分で言って落ち込んだアルはブランの言葉を聞き逃した。聞き返しても何でもないと言って答えてくれない。大して重要なことではなかったのだろう。


『それより、肉だ、肉! 我は晩飯に黒猛牛を所望する!』

「はいはい。黒猛牛かぁ、あれ大きいんだよね。捌くのが大変そうだな」

『しっかり捌けば角も皮も爪も高くで売れるはずだぞ』

「そっか。もっと北ならこの国から出て小国ノースに入るから、そこで売ろうか。魔石は使い道が多そうだし手元に残すけど」


 黒猛牛はCランクの魔物だ。どうもうで鋭い角で頭突きを繰り出す。また何故か水魔法を使うことで知られている。すいせいの魔物じゃないのに。

 水魔法を使う魔物の魔石は、水を扱う魔道具と相性がいい。この国は海に面しておらず、強い水棲の魔物は多くないので、黒猛牛は魔道具職人にとってありがたい魔物だ。それを狩る冒険者にとっては黒き死の使いと言われるぐらい強くて厄介な存在だが。


『そういえば、人は国を渡るときに手続きが必要なのだろう?』

「まあね。でも北の小国ノースとの間にある森を通れば手続きなんて必要ないし、ノースも暗黙の了解で許容しているみたいだよ。それが他国の暗部じゃなければね」

『どうやって相手の身分を知るのだ』

「森を渡ってすぐのところに町がある。両端が高い崖に囲まれた町で、そこを通らないとノースの中心には行けない。町では結界を張って出入りを制限しているから、こっそり忍び込むことはできないんだ。その結界は国への害意を判断してはじくらしいよ」

『……そんな結界が存在するのか』

「ね。古代えいの傑作らしいけど」

『我は聞いたことがないな』


 永く生きているらしいブランが不可解そうに言うので、これは信用に値しない情報かもと判断する。アルもそんな結界がどうやって作られているのか想像もできない。だが、実際にこの国の暗部の者は、ノースに入国できなかったようなので、何かしらの対策があるのだろう。まあ、アルにはノースを害する気持ちなんて無いので関係ないはずである。


「ん? なんか、魔物が来るね」

『強き者を知らない若い個体だろう』

「ふーん」


 アルは基本的に魔物に避けられる。魔物は相手との力量差を見極めて勝てない戦いは挑まない。

 だから、アルは狩りのときは自身の気配と魔力の放出を抑えるが、移動時はむしろ存在を主張するように魔力を放つことにしていた。食べるでも無い魔物を倒すことに意義を見いだしていないからだ。それがどこかの村を襲う魔物だろうと、命有るものが死ぬのは弱肉強食の自然の摂理としか言いようがない。それが親しい者ならば手の届く限り守るだろうが、今のアルにそんな存在はいない。ブランはアルが守る必要はないくらい強いし。


「よいしょっと」

『む。戦わんのか』


 風の魔力を集めて近くの大木に飛び乗る。アルは魔力が放つ光が好きで、子どもの頃よく風の魔力を集めては散らして遊んだ。普通の人には見えないらしい魔力の軌跡は、アルの魔力眼にはキラキラと光って見える。そうして遊んだお陰か、アルは風の扱いが得意だった。


「食べるでもないのに倒す必要ある? これでも襲って来るようなら倒すけど」

『ふん、若い個体を倒すくらい片手間でできように』

「面倒臭くて言っているんじゃないんだよ?」


 首元にあるブランの頭をグリグリと撫でたら、嫌がって身をよじり肩で起き上がって、頭をバシバシとたたいてきた。撫でられるのが好きなくせに。


『我は愛玩動物ではないぞ!』

「分かっているって。ちょ、もう、進むから、大人しくして」

『むぅ』


 再び伏せてしがみつくブランをつれて次の木へと跳び移った。


 木々を跳んで進むと、アルに向かって来ていた魔物が木に突進してきた。黒い巨体に大きな角。頭突きで大木が揺れる。


「え? 黒猛牛に見えるんだけど」

『我にもそう見えるな』

「なんでここにいるの」

『さて、はぐれものか?』

「黒猛牛って群れをつくるんだっけ」

『黒猛牛が群れをつくったら、生息圏で暮らす人間はひとたまりもないな』

「……はぐれものってなに」

『生息圏からのはぐれものだ。何かこやつの生息圏に強大な魔物がおりたったのやもしれん』

「えー、黒猛牛を追い出すような魔物って何さ。この辺にBランクとかAランクっていないよね?」


 アルが木で立ち止まりブランと話す間も黒猛牛は木に突進し続けている。次第に揺れが大きくなってきた。この木が倒れるのも近そうだ。


『それより早く倒したらどうだ。これは今日の晩飯だ』

「そういうならブランが倒せばいいのに」

『我が手を出すほどのものではないだろう』

「どういう魔物相手なら相手するの? まあ、いいけど」


 ブランがアルの肩からひらりと枝におりる。さっさと行けと言うように、脚をパシパシと叩かれた。

 その促しに従ってとりあえず魔法筒から魔力弾を打ち込んでみるが、さすがCランクであるからか、その皮すら傷つけることはできなかった。しかし、少なくない衝撃を感じさせたらしい。黒猛牛が警戒して数歩あと退ずさりする。


「う~ん、やっぱり魔法筒を使うと、魔法を使うより簡易で正確に狙えるけど、威力は低下するな。込めた魔力を十全に発揮できてないね」

『魔道具を分析する前に倒したらどうだ。晩飯が逃げるぞ』


 黒猛牛がさっきよりも離れている。だが、ここから立ち去る様子はない。ただ見えない攻撃を警戒しているようだ。

刊行シリーズ

森に生きる者4 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者3 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者2 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影
森に生きる者 ~貴族じゃなくなったので自由に生きます。莫大な魔力があるから森の中でも安全快適です~の書影