第3章 庭の改装は劇的に ③

 山神からの口添えもあり「もう十分です。これ以上いらない。持ってきても受け取りませんよ」と言いながら、もらっておくことにした。だが。


「さすがに申し訳なさすぎる。ちょっと待っててください」

「……ああ」


 いったん家の中へと入り、ペンを取ってきた。「手を貸してください」といえば、素直に片手を出してくる。


「あんまり効果は変わらんらしいけど、これで」


 きゅきゅっと手の甲に油性ペンで図を描き上げた。


「陰陽師といえば、やっぱりぼうせいでしょ。思いを込めまくって書いたんで、どうですかね」


 手の甲に星印、せいめい桔梗ききょう紋がくっきりと刻まれた。ちょっとやそっとでは消えそうにない頑固な油性インク製。湊には視えていないが、翡翠色の光を放つ強力な祓う力が込められている。

 半開きの口でぼうぜんとなった播磨に反して、湊は満足げに笑い「やべえ、すんげえねみい」と油性ペンを持ったまま緩慢にもとをこすった。



 どこか黄昏たそがれた風情の陰陽師が去り、急激な睡魔に襲われた湊は、縁側でうたた寝をしてしまっていた。

 ふと目を覚ますと、亀に真横から顔をのぞき込まれている。


「うおっ」


 思わずった。辺りはもう夕暮れも近く、幾重にも色を変えた空が広がっていた。随分長い時間、寝ていたようだ。

 起き上がると、亀が期待のこもる眼を寄越してくる。時間も時間だ、酒の催促だろうか。それとも他に何か言いたいことがあるのか。亀は言葉も鳴き声も発しない。山神が代弁してくれない時は、首を振ることで返答と意思を伝えてくれる。


「どうかした?」


 亀が庭へと首を長く伸ばす。何事かとよくよく観察すれば、見慣れないひょろりと細い木が一本あった。


「あれって、この前植えた種のやつ?」


 縁側を下り、小径を渡って若木へと近づく。昨日まで芽も出ていなかったはずが、今や湊の目線の高さまで急成長していた。青々とした若葉がしげってはいるが、これは果たしてどうなのか。


「もうこんなに……神様の力のおかげか。すげえとは思うけど、こんな急激に伸びて栄養は足りてるのか」


 足元の亀が細い幹をねぎらうように優しくでた。

 新たなお仲間、神木クスノキ。それを前に「とりあえず、水! 水あげよ」と一人と一匹が慌てふためく。縁側で寝起きの山神が、大欠伸あくびをしながら眺めていた。



 連日降り続けていた雨は、小休止に入ったようだ。

 入梅を迎え、長々と空に居座っていた雨雲がようやくどこかへと去っていき、待ちに待った晴れの日。湊は朝から縁側の片隅で洗濯物を干していた。

 パンッとタオルが空気を切る音が庭に響く。


「やっぱり洗濯物は外に干すのがいいよな。乾燥機はありがたいけど」


 傍らの竿さおにかけたシーツが風をはらみ、大きく膨らむ。幾分日差しが弱く心許ないが、極力太陽光と自然の風で乾かしたい。束の間の晴れ間を嬉しく思う気持ちはあれど、晴れた空に反して、湊の顔は曇りがちであった。

 物憂げにタオルを叩き、皺を伸ばす。


「山神さん、どうしたんだろ……」


 梅雨入りと時同じくして、山神は訪れなくなった。

 なんの前触れもなく、突然ぱったりと姿を現さなくなった。前日まで変わりなく、仲よく食卓を囲んでいたというのに。己が何か粗相してしまったのかと随分気にやんだが、心当たりは一切なく、いい加減悩むのはやめにした。

 その間、亀がずっと傍にいてくれたおかげで慰められた。労いの気持ちを込めて山型甲羅をブラシで磨いてやれば、いたく喜んでもらえた。そんな風にのんびり過ごす一人と一匹だったが、やはり存在感の際立つ大狼が急にいなくなったのは、妙に寂しく心配でもあった。日々、山へ向けて山神の無事を祈願している。


「……元気に過ごしていてくれれば、いいけど」


 ちゃぷん。池から水面を叩く音。振り返ると、裏門から白い巨躯が粛々と歩み寄ってくるのが見えた。至ってしっかりとした足取り、毛の輝き。なんら変わらぬその姿に「山神さん!」と湊が弾んだ声をあげる。


「久しぶり。元気そうで、よかっ……!?」


 なんと山神、子連れであった。

 目を見張りあんぐりと口を開けた湊の手から、ぼとっとシャツが落ちる。

 驚愕する湊のもとへと大狼が向かっていく。その後ろに三匹の白い獣たちが付き従う。うっすらと発光したその体は通常の動物ではないと主張し、山神と同種のモノなのは明らかだった。

 思いもよらぬ光景に、湊が狼狽うろたえる。


「え、え? まさか産んだ? 出産のために来られなかった? 山神さんは女神様、だった!? いや、でも、声がおっさん、」

「おっさんなんて失礼ですよ!」

「せめて、おじさまと言ってくれ!」

「ジジイ言うな!」

「いや、そこまではっきり言ってない。ん? 狼じゃなくて、イタチ?」


 一様に後ろ足で立ち上がり、幼く甲高い声で抗議してきた。全体的に白い毛で覆われた細長い体躯、短い四肢、太い尻尾。尾の先端が朱、青、黄色とそこだけ色違いだ。山神と比較すれば小柄だと感じるが成猫ほどの大きさはあり、それなりに大きい。ハキハキと話す口調、俊敏な動作から、赤子ではないのかもしれない。

 山神御一行が縁側に上がる。早速大狼が定位置である中央に、大儀そうに寝そべる。動作が前以上にゆったりとし、随分お疲れのようだ。

 大きな息をつき、ふっさりとした尻尾を振った。


「こやつらは、テンだ。我がけんぞくよ」

「眷属って子供? で、産んだの、産んでもらったの」

「そうさな、産んだようなものだ。我は一柱だけで子と言える分身を創り出せる。ちと時間はかかったが」

「そっか、お疲れ様でした。みんなよろしく、菓子食う?」


 山神の傍らに並んで控える三匹がいぶかしげに同じ方向へと小首を傾げた。動作が大変愛らしく、狼とはまた違った魅力があるな、と湊の表情も緩む。


「あ、食べたことないのか。山神さん、あげてもいい?」

「うむ、問題ない。無論、我にも」

「はいよ」


 山神がいつ訪れるかわからず、生菓子の買い置きはない。日持ちのする焼き菓子しかないが仕方あるまい。特急で残りの洗濯物を干し終え、カステラを切り分けて振る舞えば、山神は何も言わないが、やや不満そうだ。視線でびると、苦しゅうないとばかりにおうように頷かれた。

 大狼が口をつけた後、三匹のテンが顔を見合せ、前足で持ったカステラの匂いをくまなく嗅ぐ。躊躇いながらそろってかじりついた。くわっと見開かれる黒い眼。キラキラと星が散るようだ。お気に召していただけたらしい。予想通り山神の眷属は、甘党のようで夢中で食らいつく。


「いっぱいあるから好きなだけ……や、足りるか……?」


 一切れ、ものの数秒しかもたなかった。三対の期待のまなしに冷や汗をかく。なくなった時はクッキーをあげようと思い、三匹にそれぞれカステラを渡していく。


「やあ、それうまそうだねえ」

「ねえ、アタシたちにもくれないかい」


 突如、斜め上から声が降ってきた。肩を跳ねさせた湊が振り仰ぐと、そこには屋根から逆さまに顔を出した二人の小鬼の姿。一本角が生えた額。赤と青の鮮やかな肌色。到底人ではあり得ない異形たちだった。

 ぎょっとして山神を見るも、我関せず、そうぼうを閉じて甘味を堪能中。池を見れば、亀は岩の上で甲羅干しの真っ最中、久々のお日様を存分に満喫しているご様子。二柱の気にもしていない様子から、小鬼たちは悪いモノではないと胸をろした。

 ぐるぐると首を巡らせて焦る湊を、愉快げに眺めていた赤鬼と青鬼がくるりと反転。宙に胡座あぐらを搔いて浮かぶ。人間の三歳児程度の幼児に似た姿。対の存在であろう、ほぼ同じ容姿。上半身裸、腰布だけの心許なさがやや気になる。見かけによらず、落ち着いた大人の涼やかな男性声をしていた。

 にかっと赤鬼が屈託なく笑う。


「く~ださいな~」

「はあ、どうぞ」

「お邪魔するよ」


 青鬼が快活に笑い、ともに音もなく縁側に舞い下りた。皆で車座になる。カステラをむ眷属たちが、興味深そうに新たな客たちを眺めている。

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