第4章 本領発揮 ①

 ダイニングにて。

 テーブルに広げた家計簿を前にして、湊が頭を抱えていた。その力なく曲がった背中が悩みの深刻さを物語る。


「金がなあ……」


 家計はひっぱくしている。まさに火の車。なんとも由々しき事態に陥っていた。

 他県のとある山間の温泉郷にある実家近辺は、近所付き合いが濃厚な地域である。いつの間にか家の中で隣家の者がくつろいでいたり、湊も他家の一家だんらんの夕食に参加していたり。近隣の年の近しい者は、まとめて育てられ、至って仲もいい。

 地域ぐるみで仲のいい場所で育ってきた湊にとって、まるで馴染みのない土地、近所に知り合い皆無の現状況は正直つらい。けれども庭にさえ行けば、とても安心できた。

 大抵、縁側で大狼が揺るぎなくどっしりと構えている。さすが本体は、山。安心感が半端ないといつも思う。さらに、いかにも御利益がありそうな亀が、御池でのんびり過ごしているのもいい。見ているだけで、心が安らぐ。

 何より山神とその眷属たちとは、会話までできるのだから。山神たちがいてくれるのは素直に嬉しい。

 だが、金がかかる。

 遠慮を知らない神々は思う様、好物を貪り食ってくれる。しかも、いささかお高めの物を。彼らは安物を出しても決して文句は言わない。しかしながら明らかにテンションがダダ下がり、食の進みも段違いというわかりやすさ。

 美味しい、と喜んでもらいたくて、つい高級品の方を買い与えてしまうのは致し方ないことだろう。とはいえ管理人として振り込まれる給金など微々たるものだ。収入もそうない今、貯蓄を切り崩すのは不安でしかない。

 如何いかんともし難い。非常に悩ましい。ペン先で家計簿をつつきながら唸る。


「一度実家に帰って稼いで……いや、遠いし。ここから近いとこに働きに……俺、資格とか何も持ってないしな。あー、どーしよ……」


 ペンをノート上に投げ出す。組んだ両手の甲に額を乗せ、肺の中が空になるほど重いため息を吐き出した。


 庭にて。

 縁側の中央に寝転ぶ大狼の耳がピクリと動く。閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がり、黄金が徐々にあらわになっていく。さながら山間から昇る御来光のごとく。その色彩はますます輝きを増し、瞬くたび、金粉が舞うようだ。

 力を取り戻した山の神にとって、防音完璧な室内の呟きであろうと、聴き取る程度のことは造作もない。

 視線が、池へと流れる。御池にせり出す大岩の上、真珠色の甲羅が陽光を弾き、乱反射した。にょろりと勢いよく頭部と四肢が飛び出す。

 子亀の名は、レイ

 その正体、は吉祥をもたらすずいじゅう、〝れい〟。

 四霊の一角を担う霊亀が、やおら立ち上がった。力強く四本足で岩を踏みしめ、そうてんへと向けて首を長く長く伸ばす。

 そうして、大口を開いた。



 カランカラ~ン! 澄んだベルの音が人でごった返す商店街にとどろく。


「おめでとうございまーす! 出ました、一等でーす!」


 声を張り上げた店員が掲げるのは、福引きクジ。一等の金文字がさんぜんと輝く。爆発的などよめきが起こった。箱から引いたクジを店員へと手渡した湊が、ポカンと口を開ける。


「やったな、兄ちゃん!」


 後に並んでいた中年男性から景気よく背中をぶっ叩かれ、我に返った。


「え、あ、はい。どうも……?」


 振り向き、呆けたまま応える。そうすれば、たいしょうされて一段強めに叩かれた。地味に痛いが、おかげで現実の出来事だと認識できた。

 商店街のくじ引きで、まさかの一等大当たり。

 かつて当たったことがあるのは、せいぜい参加賞のポケットティッシュくらい。なんたる幸運か。酒、和菓子を頻繁に購入するため、たまりにたまった引換券を使っての一発目だった。

 一等の景品が何かも知らず、差し出された封筒を受け取る。頭に鉢巻きを巻いた法被姿の店員が、にこやかに告げた。


「金券十万円分です」

「じゅ、十万!?」


 どもって目を剝く。随分太っ腹な商店街だ。ともあれ、金券とは喜ばしい。皆には申し訳ないが、酒と菓子のランクを落とそうと思っていたところだった。

 顔を綻ばせた湊がきびすかえした。


 パアンッ! 弾けたクラッカー音とともに沢山の紙吹雪が頭上から降ってくる。驚いた湊が酒屋の出入り口で立ち止まった。


「おめでとうございま~す! 我が丹波たんば酒屋さかや創業三百三十三年記念日である本日、三百三十三人目のお客様!」


 店の扉をくぐった瞬間だった。狭い店内を埋める笑顔の人々から、拍手を送られ、身の置き場に困る。すかさず扉の脇から店員が進み出てきた。


「いつもごひいにありがとうございます。ささっこちらへ」

「はあ」


 今一つ状況を理解できぬまま、満面の笑みで促され、店レジ横の丸テーブル前へ。その上には日本酒がぎっしりと置かれていた。


「ささやかなプレゼントですが、どうぞお受け取りください」

「えっ、こんなに」

「はい、三十三本です」


 のんの父が、なかなか手に入らないと嘆いている有名酒蔵の物もあるな、とぼんやり思う。到底持ち帰りは不可能なため、配送してくれるという。流れるようにサクサク動く店員に煽られ、気がつけば配送用紙に住所を記入し終えていた。



 いつも通り縁側で夕食会。

 山神と湊が差し向かいで座卓を囲む。その傍ら、霊亀が深皿を傾け、日本酒の泉に顔を突っ込んでいる。楽しげな湊が、今日の幸運を報告していた。


「──で、今日、すっげえ運がよかったみたい。とりあえず日本酒一本だけ持って帰ってきたんだ。な、亀さん旨い?」


 ずいっと湊へと向け、前頭部で小鉢を押し出す。そこには一しずくすら残っておらず、聞くまでもなくご満足いただけたようだ。


「残りは明日届くから、楽しみにしてて」


 小さな尻尾を揺らす霊亀の小鉢へと豪快に注ぎ、山神のボウルにも同様に注ぐ。


「よかったではないか」

「うん。山神さんの和菓子も、たまたま物産展がやってたから、買ってきた。俺の地元の有名銘菓なんだけど」

「うむ。しろあんもよいものよな。しっとりとした食感、大層美味である」

「よかった。眷属たちにも買ってきたから、持っていってよ」


 眷属たちは時折訪れる程度で、今日も来ていない。洋菓子好きの彼らの分も、もちろん買ってきていた。


「お主の、」

「あ」


 山神が何か言いかけたと同時、座卓上のスマートフォンが着信を告げる。視線で促され、見れば画面に『実家』の文字が表示されている。目礼し、スマホを耳へと当てた。


「はい、あ、母さん。うん、元気だよ。そっちは──」


 しばし互いの近況報告が続く。家族はとりわけ変わりがないようだった。心配性な母の質問攻めにへきえきしつつ、応えを返し続けた。


「──うん。大丈夫大丈夫、ちゃんとしてるよ。いや腹は出して寝てないって、子供じゃないっての。それに雷様来たから聞いてみたけど『やっだ、アタシがヘソなんか取るわけないじゃない』って言ってたし、あ、や、なんでもない気にしないで。で、用件は? ……えっ!? ……あ、はい。お願いします」


 通話を切ったスマホを持つ腕が段々下がり、胡座をかいた片膝に置かれた。ぼうぜんと暗くなった画面を眺めている。

 尻尾を揺らめかせた山神が「どうした」と首を傾げた。


「……俺がここに来る前応募した懸賞で百万円当たったから、口座に振り込んでおくって」

「ほう」

「ええ、こんな連続で幸運が続くって、あり得なくないか? いや、実際起こってるけど」

「よいではないか。日頃の行いのたまものであろうよ」

「そうか……な?」


 別に何も大したことしてないような、と顎に手をやり、不可解そうに小声で呟く。しかしまあ、これで当分の間、神々に満足してもらえる品々を買えそうだ、と胸中で安堵した。

 スマホを卓上に置き、グラスを手に取る。


「でも仕事は探すよ」

「左様か」


 吞んだくれている霊亀をどこか愉快げに見ながら、大狼がちろりと酒を舐めた。

刊行シリーズ