第4章 本領発揮 ②

 そんな会話をした翌日、再び陰陽師の播磨が菓子折り持参で訪れる。湊に護符作成を依頼するためだった。


「よろしくお願いします」


 播磨が座卓を挟み、深々と頭を下げた。前回と違い、皺一つないブランド物であろう黒スーツを纏い、血色もよく、髪も綺麗に整えられている。草臥れたところなどどこにもなく、さも仕事できますといった風情。体型に沿うスーツを隙なく着こなし、眼鏡をかけた人には、概ねそんな感想を抱く湊である。

 仕事に精を出すのは大いに結構だが、健康を損なうまで闇雲に働くのは如何なものかと、いささか思うところがあった。ひとまず大丈夫そうだ。

 さておき、願ってもないチャンス到来である。己の特技らしき能力が活かせるこの仕事、是非とも引き受けねばなるまい。



「お仕事、お受けします」


 両手で差し出された菓子箱を笑顔で受け取った。箱の移動に合わせて卓の一角を陣取る山神の強烈な視線も、ともに移動する。剝がれない、決して剝がれない、あっつい視線。箱に穴が空きそうだ。

 品のある桜色の包装紙から中身を推測せずとも、山神の反応からして高級和菓子なのは明白。案の定、顔を上げた播磨から「和菓子好きだろう」と皆まで言うなとばかりに、確信を持って告げられた。前回メモに書いたのはすべて和菓子名だったことからか、よほど和菓子好きだと思われているらしい。

 山神が、だが。

 ちらりとよだれの垂れかった大狼を見やり「ええ、まあ」と澄まして答えた。

 実は湊、辛い物好きである。甘い物はそこまで好きでもない。されど山神のためならば、次回からも手土産に期待ができる取引相手に、多少の噓をつくくらい許されるだろう。

 胡散くささに定評がある愛想笑いを浮かべた。



 デカデカと和菓子名が書かれたメモ紙を受け取った播磨はすぐに帰っていた。

 浮かれた山神にかされ、早速、頂いた菓子箱を開ける。ふわりと鼻先を掠める桜の香り。ずらりと並ぶ二枚の桜葉に包まれたつやめくどうみょう生地の桜餅。それを前にした大狼の涎、滝のごとし。前足前にたきつぼが生成されている。

 できる限り、精一杯の速度で小皿に並べて「お待たせしました」と卓上に置いた。

 一つずつ、一つずつ。ゆっくりと。丁寧に口へと含み、幾度も、幾度も、嚙みしめ、こうこつの表情で、うっとりと呟く。


「鼻に抜ける、この、さ、桜の香りが、た、たまらぬ。粒も程よく柔らかく、塩気もよきあんばい。ぬぅ、やりおる。なんとうても、この舌の上でとろける、まったり、こし……ぁ、……」


 彼方へと旅立っていく。その対面でバリバリと小気味いい音を立て、煎餅をくだく湊が握る袋に書かれた文字は『徳用大袋、激辛せんべい』。


「うめえ」


 安上がりな男である。その言葉に噓偽りなく、至極満足げだ。「あっつ。身体熱くなってきた」と薄手の上着を脱ぎTシャツ一枚になる様を、山神が複雑そうな顔で眺める。


「人の好みは千差万別。お主がよいのなら、もう何も云うまいて」

「俺、甘い物はそこまで好きじゃないから。気にしなくていいよ」


 桜餅をかたくなにいらないと固辞したのを気に病んでいるようだ。実際、あまりお菓子にこだわりもなく、毎回不毛なやり取りをしていた。


「ともかく、仕事見つかって安心したよ」


 瑞獣に招かれて向こうからやってきたのだが。何も知らぬ湊が嬉しげに笑い、ジンジャーエールを呷る。山神が今度は隠さず、あきれをにじませて深く嘆息した。


「少しは、己がために使えばよかろう」

「特にほしい物ないし。別にいいよ」

「無欲が過ぎるわ」

「そんなことないって。あ! そういえばあった、ほしいやつ」

「ほう」

「明日買いに行ってくるよ」


 さて、何を求めるのやら。

 大狼は最後の桜餅を舌の上で名残惜しげに長く転がし、霊亀は小鉢に盛られた塩を舐めた。


 翌日、庭にて湊の感嘆の声があがる。


「さすが新品、ここまで違うとは」


 新調した竹箒の使い心地のよさを心から喜ぶ。着古したジャージとサンダル姿の若者を、高価なお供え物を前にした神々は微妙な気持ちで眺めるのだった。



 リビングの床に置かれた段ボールのガムテープを、湊が勢いよく剝がした。それを縁側に寝そべる山神が眺めやる。


「それは、なんぞ」

「実家から送ってもらったんだ」


 一番上に入っていた地元銘菓の箱を、テーブルに置いた。鼻を鳴らした大狼の両眼が弧を描く。


「こし餡か」

「鼻がよろしいことで」


 体を起こした大狼が室内に向かい、畏まって座った。その視線の先で、次々と出てくるのは、衣類。来る冬に備え、主に冬服を詰めるよう、母に頼んでいたのだ。最後に靴箱を取り出し、蓋を開けると、中には登山靴が入っていた。靴を掲げて回す。


「ちょっと傷が入っているけど、まだまだ大丈夫でしょ」


 数年前、吟味に吟味を重ねて選んだお気に入りの靴だ。かかとにやや大きな傷はあれど、底は減っておらず、へたってもいない。

 不思議そうな山神に笑いかけた。


「登山用だよ。最近運動不足だし、ちょうど山神さんもあることだしね」

「我の山は、遊び気分で登れるものではないぞ」

「わかってるって。ちゃんと準備していくよ」

「中腹辺りにほこらがあるな。その辺りまでならば、さして労せずとも行けるであろう」

「へえ、そんなのあるんだ。じゃあ明日、そこまで登ってみるよ」

「昔は絶えず人が訪れておったが、今では誰も来ぬ。すっかり荒れ果てておるがな」


 山神の言葉に湊の動きが止まった。


「……そうなんだ」


 何も気にもしていない山神は、菓子箱に幾度も視線を送る。「眷属たちに案内させよう」と言いながらも、雄弁な眼が訴えてくる。どうやら、地元銘菓を早く食べたくて仕方がないらしい。極力急ぎ、段ボールを片付けた。



 初夏の山中は緑鮮やかだ。

 こずえの合間から陽光が差し込み、なだらかに流れる渓流が虹色に煌めく。耳に心地いいせせらぎの音。湿った土と木の独特ながらも心落ち着く芳香。湊が新鮮な山の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。眼前には、反射光で光る水面に、こけむした飛び石が等間隔に浮かぶ。

 キャップのつばを摑んで被り直した。慎重に足を乗せると、石周辺で体を揺らめかせていた魚たちが、流れに逆らって泳いでいく。


「足元に気をつけるのですよ」

「あいよ」


 忠告してくれたのは、先に渡った対岸に後ろ足で立つ眷属のテン。しっかり者の最年長セリである。

 後ろから、面倒見のいい年長トリカが石を跳んでついてくる。


「この川を渡れば、もうすぐだ」

「わかった」


 そしてもう一匹。湊の背負うリュックサックの上、器用に後ろ向きに乗る天衣無縫の末っ子ウツギ。吞気にフィナンシェを食べている。


「うんまい~」

「しっかり嚙んで食えよ。喉に詰まらせないようにな」


 詰まらせ、のたうち回った山神の二の舞いはさせたくない。

 双眸を眇めたセリがいらたしげに腕を組む。


おのが分をいつ食べようと勝手ですけど、そこで食べるなんて、どういう了見ですか」

「ウツギ、下りて己が足で歩け。湊に負担がかかるだろう」

「大丈夫だって、大した重さじゃないし」


 年長二匹にたしなめられる末っ子を湊が庇う。


「もお、甘やかして」


 セリが仕方なさそうに息をつく。その横へ「よっと」最後の石を踏み越えた湊が降り立った。



 湊とテン三匹は、山神から聞かされた山の中腹にある祠へと向かっていた。早朝から迎えに来てくれた彼らと道なき道を進む。

 やはり、彼らは獣。到底人が選ばない道を当然のごとく選択してくれる。膝近くまでうっそうと草が生い茂る薮、落ちたらだけではすまないであろう際どい崖っぷち。おかげで、ほとんど気を抜く暇がない。

 山神の御神体は、標高千メートルを優に超える高山である。鼻歌交じりにハイキングとはいかないだろうと覚悟していたが、まさかここまでとは。想像以上だった。

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