第4章 本領発揮 ④

 そんな湊だが、穢れ耐性は一級品である。触れなければどうという被害もない。しばし物珍しげに眺め続けた。ほんのわずか薄くなったり、濃くなったり。広がったり、狭まったりしている、ような気がする。


「……ふうん、こんなもんか」


 さして感慨もない。視界の端に何かちらつき、顔を上げれば、三匹がせかせかと動いていた。

 なんでいつまでも眺めてるの! 早く祓って! とばかりに必死の形相で地団駄を踏み、前足で宙を搔いている。

 躍っているみたいだな、と不謹慎にも笑いそうになった。気持ちを引き締め、手元を見やる。メモ帳を捲れば、字がわずかに薄くなっていた。


「これでいける、かな……どうなるんだろ」


 己の能力には興味津々だ。なんと言っても、現役陰陽師が大枚をはたいて買ってくれる代物なのだから。


「持ったまま直接当てるのは……やめとこ」


 以前弾かれた時の痛みを思い出し、メモ帳から一枚の紙片を破り、真上から落とす。ふわりと舞い落ちて腰付近を過ぎれば、完全に字が消えた。


「綺麗さっぱり消えたよ。……でも、黒もやは何も変わってないような気がするけど……」


 首を捻る湊には、いまいち変化がわからなかった。


 一転、眷属たちには。


「うわあ、ほぼ吹っ飛びましたね」

「すごいな、木っ端微塵だった」

「山神が言ってた通りだね!」


 塊を成した悪霊集合体の半分以上が一気に霧散する様が、ばっちり視えていた。三匹が興奮して、はしゃぐ。だがしかし頑固な悪霊はいまだ残存している。うごめくしつこい穢れに震え上がり、毛を逆立てて身を寄せ合った。



「全部いっとくか」


 湊は文字で埋まったメモ用紙をメモ帳から束で引き千切り、雨のごとくばらまく。途中から文字が消え、次々に岩へと落ちる白い紙。最後に落ちた一枚だけは、文字が残っていた。

 どうやら祓えたとみえる。ここにきてやっと、薄黒い塊がなくなったのが視認できた。己の能力を目の当たりにした瞬間だった。

 湊がほう、と息をつく。


「ちょっと感動したかも」


 そうして、うっすら滲むように白いモノが現れた。


「……これ、鹿? いや違うな」


 鹿に似て非なるモノ。うろこで覆われた体躯。長い背毛。牛の尾。二本角が生えた頭部は龍。その瞼は閉ざされており、全体的に淡く儚い印象が拭えない。


「怪我とかは……ないみたいだけど」


 様々な方向から眺めていると、テンたちも近づいてきて大岩に上がってくる。周囲は今し方まで瘴気が渦巻いていたのが噓のように、通常通り山神の清浄な気で満ちていた。

 滝が流れ落ちる水音をすぐ傍で聞きながら、皆で輪になって中心を覗き込む。見守っていると白いモノが徐々に色を濃くしていき、存在感を増していく。


「大丈夫そうです。そろそろ意識を取り戻すでしょう」


 セリが力強く太鼓判を押してくれた。

 やがて閉ざされていた瞼が開かれ、その眼に湊とテンたちの顔を映す。パチパチと瞬きを繰り返し、緩慢な動きで頭部を持ち上げた。湊たちが距離を取り、輪が開く。

 身を起こし、揺るぎなく四本足で立ち上がった。淡いクリーム色の真珠の輝きを帯びた風雅な御身。長いひげが風に揺れる。


「だいじょ、」


 最後まで言わせてもらえず。予備動作なしで飛び上がり、頭上に空いていた穴を突き抜け、上空へと逃げていった。あっという間。ロケット弾もかくやの爆速ぶりだった。

 ぜんと口を開けた一人と三匹が、丸く切り取られた青い空を仰ぐ。キャップのつばを引き上げた湊が、目を凝らす。もはや白い点にしか見えない。


「はっや、もうあんな遠くに。まあ、元気になったならいいか」

「礼を述べてしかるべきでは」

「だな。礼儀がなっとらん。そこそこ永く存在しているだろうに」

「ばいば~い」


 吞気に笑う湊、苛立たしげに腕を組む年長組、両手を振って見送る末っ子。三者三様の反応を示す一行に向かい、枝から外れた数枚の青葉が、ひらりひらりと舞い落ちていった。

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