Ⅱ ④
だが俺は、斬る動作を体に染み込ませるのが重要だと考え、昔からずっとこの訓練をやっている。
一振りごとに刃筋を整え、しっかりと振り抜く。
全身に玉の汗が浮かび、腕が上がりづらくなってくるころ、日が昇る。
日が昇ったら訓練を切り上げ、井戸で体を
馬舎では、エミリーの馬を手入れして飼い葉を与える。
それから馬を歩かせて、馬房の清掃も行う。
終わったら、エミリーの起床時間に合わせて彼女の部屋の前で待機する。
「おはようございます」
「お、おはよう、ロルフ。じゃあ……これ。お願い」
「はい」
エミリーが出てきたら、彼女から剣を受け取り、後を付いて歩く。
エミリーが腰に佩く剣とは別に、予備の剣を俺が持つのだ。
それから、その日の予定に沿ってエミリーに付き従う。
会議ではエミリーの後ろに立って待機し、訓練では訓練場の端に立って待機する。
馬での移動がある時は、エミリーの乗る馬を引いて歩く。
「ロ、ロルフ! ずっと歩きづめだし、少し休まない? あのへんの木陰で……」
「俺は問題ありません。夜までに西側の戦域を確認して本部に戻る予定になっていますので、ご命令でなければこのまま行きたいのですが」
「う、うん………じゃあ、このままで……」
エミリーが私室のデスクで執務に当たる時は、その脇で待機する。
エミリーの場合デスクワークはまだ少なく、簡単な報告書の作成が主だが、幹部として、騎士団の運営に関わる種々の書類にも目を通す。
書いてあることがよく分からないらしく、エミリーから質問されることもしばしばだ。
その時は求めに応じて説明し、どう考えるべきか話す。
「このケースでは、
「でも前回の予算も同じぐらいズレてたけど」
「今回は決算期なので、前回と同じに考えては駄目なんです。中央への
「えっと……つまり?」
エミリーは大体いつも難しい顔をして理解が追い付かないと訴えるが、かみ砕いて根気よく説明すれば最後には理解してくれる。
エミリーの装備の手入れも俺の仕事だ。
剣は時々研ぎ直す。
鎧はもう少し大変だ。
必要に応じてプレート部分のへこみを直したり、革を張り替えたりし、全体に油を塗布する。
「ロ、ロルフ。ベルトのところはどうせまたすぐに傷むから、そんなに頻繁に替えなくても私は気にしないよ」
「可能な限り、装備は最善の状態にしておかなければなりません。それが命に繫がることもあります」
「そ、そう、だよね」
そして一日の予定がすべて消化されたら、明日、また起床時に迎えに来ることについてエミリーから許可を得る。
口頭で許可を得るだけの、このプロセスを省いてはならない。
エミリーら幹部の私室があるフロアには、幹部の許可がない限り俺は立ち入れない。
翌日も立ち入ることの許可を、一日の最後に得ておかなければならないのだ。
「明日も本日と同様の時間にお迎えに上がってよろしいでしょうか」
「うん……それで構わない……」
許可を与える時、エミリーは、いつも目を伏せていた。
◆
こうして一日の仕事がすべて終わったら、朝と同じく剣を持って本部棟の裏へ向かう。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
月明かりの下、何度も何度も剣を振る。
子供のころから、何十万回、何百万回と繰り返してきた動作。
一振りごとに全霊を込めて振り抜く。
乱雑な千振りより真剣な十振り。真剣な十振りより真剣な千振り。
剣先まで気持ちを通して振り続ける。
少しでも雑念が入って刃筋が乱れたら、最初からやり直しだ。
水面の月を、水を乱さぬまま両断するイメージで縦に振り抜く。
落葉樹の下、乱れ散る落ち葉に触れること無く幹を斬るイメージで横に振り抜く。
嵐の中、剣の風切り音で暴風の音をかき消すイメージで斜めに振り抜く。
「ロルフ」
背後から声をかけられる。
近づく足音がエミリーのものであることには気づいていた。
「いつも、ここで訓練してるの?」
手を止めて振り返り、荒くなった息を整えつつ答える。
「はい」
「そう……」
しばらくの沈黙のあと、エミリーは言う。
「あ、あのね! また報告書が良く書けてるって団長に褒められたよ!」
「そうですか」
「あと、この間の作戦計画書への指摘も、戦術理解が良くできてるって!」
「それは良かったです」
エミリーは、長い
またもしばらくの沈黙。
「……全部ロルフのおかげだよ。でも、そう言っても団長はとりあってくれない」
「それは言うべきではありません。エミリー様の立場を悪くするだけです」
「でも、ロルフの助言があるから私はやれてるんだよ? 本当の手柄はいつもロルフにあるのに」
「従卒の功が騎士に帰属するのは当然です。俺は意見を具申しているだけであって、それを採用しているのはエミリー様です」
「………………」
エミリーは
「その、〝エミリー様〟っていうの」
「はい」
「私たち二人しか居ない時は、そんな言い方する必要ないよね? やめよう? 敬語も」
「しかし、どこかで誰かが聞いていないとも限りません」
「そうだけど………」
悲しそうな顔をするエミリー。
騎士団に来てから何度も見た表情だ。
俺がエミリーにそんな表情をさせている。
婚約者だった人を、かつて幸せにする予定だった人を、他の誰でもない俺が悲しませている。
「ロルフ……ほかの従卒たちは、騎士のことを普通にさん付けで呼んでるよ。どうしてロルフだけが〝様〟だなんて……」
「団の方針ですので」
「ちゃんと
エミリーの綺麗な目から涙がぼろぼろと
涙が、月の下で
俺はエミリーに近づいて、彼女の頰に手を当て、指で涙を拭う。
そして大きな目をじっと見て言った。
「エミリー、平気じゃないよ。俺だって悔しいし、何より君を泣かせたくなんてなかった」
「ロルフ………」
「本当に済まない。君にはとても迷惑をかけてしまっている。婚約破棄の件にせよ、この騎士団での日々にせよ」
「そ、そんなこと」
「でも、俺にはもう、騎士の夢の他に何も無いんだ」
エミリーから目を
「加護なき身では、どこにも行けない。ここで耐え続けるしか無いんだ。耐えて、耐えて、いつか騎士になる。子供のころからの憧れだった騎士に。それができた時、初めて俺は救われるんだと思う。君を悲しませるだけ悲しませておいて、勝手なことを言ってるのは分かっている。でも、他にどうすることもできない」
「………………」
「済まない、エミリー」
俺がそう言うと、エミリーは手の甲で顔を擦ってから見上げてくる。
「ううん。私こそごめんね。ロルフが………」
擦った両目から、また涙があふれ出す。
「ロルフが……いちばん………いちばんつらいのに………」
月夜にすすり泣きが響き続ける。
先輩騎士たちの面罵よりも、よほど俺の胸に痛みを与えるエミリーの
加護なき男は、女の子ひとり笑わせることもできないのか。
騎士団に来て何度目か分からない、自分の未熟さへの
◆
「おらぁっ!」
正面から横
これは防ぐより避けた方が、次の攻めに繫げやすい。
半歩下がり、胸のすぐ前を剣が通り過ぎた直後、すかさず距離を詰めて相手の懐に入る。
「くっ!」
今までの攻め筋から言って、この相手は中間距離の上段に頼ることが多い。
ここで詰められたら右後ろに
俺は相手に体を密着させたまま、相手の足が来るであろう地点に、先に左足を置く。
「えっ!?」



