Ⅱ ⑤

 思うように足運びができなかった相手がたいを崩す。

 鼻が付くような近接距離での差し合いは、しばしば陣取り合戦になるのだ。

 先に地面を制圧し、相手の足運びをコントロールすることで優位に立つことができる。

 俺は重心を崩した相手の腹に剣のつかを叩き込んで転倒させた。

 そして仰向けに倒れた相手の喉に剣先を突き付ける。


「……参りました」


 相手がそうぼうゆがめて降参すると、周囲がどよめく。


「おいおい、また加護なしの勝ちじゃねーか。しかも相手はニコライだぞ?」

「落ち着きなさいよ。こんなのまぐれに決まってるでしょ?」

「いや、身のこなしを見る限りまぐれってことはないような気がするけどな……」

「まあ、加護が無くても剣は振れるか」


 入団から一年が過ぎた。

 いまだ従卒の俺は今日、他の部隊と合同の剣術訓練に参加していた。きょうかく部隊の者は俺以外参加していない。

 魔力は無くても、剣術訓練では力を示せる。剣技で相手を圧倒すれば、僅かではあるが、俺を認めるような声も聞こえてくる。

 いま倒した相手が起き上がって人垣の方に戻っていくと、入れ替わりに別の男が出てきた。


「次は俺とやろうか」

「……お願いします」


 確か第二騎兵隊の部隊長だ。

 幹部のあかし、銀の鎧に身を包んでいる。

 そしてその顔には、底意地の悪い笑みが張り付いていた。


「はじめ!」

「せいっ!」


 開始の合図を聞くや、俺は一気に踏み込んですねに下段を振り入れる。


「む……?」


 部隊長はまったく反応できていない。

 そして、俺の剣は部隊長の脛の直前で止まった。


「でああっ!」


 剣を引き、部隊長の側面に回り込みながら、全力の気合いを込めて、袈裟斬りを振り下ろす。

 これも障壁に阻まれ、ぴたりと止まる。

 部隊長は俺の剣を見てもいない。


「いあぁっ!」


 一度下がり、すかさず全体重を剣先に伝えながら踏み込んで刺突を繰り出す。

 そしてこれも、部隊長の胸の直前で止まる。


「よっと」


 それを見て、部隊長が右下段から斬り上げてくる。

 大きく距離を取ってかわすと、部隊長の舌打ちが聞こえた。

 すかさず距離を詰め、剣筋を正中に定めた上段斬りで切り込む。


「はぁっ!」


 その上段斬りがまたもや止まると、部隊長は横斬りを放ってくる。

 すぐさま剣を引いてガードするが、鎧と同様、銀の剣にも当然魔力は通されている。

 ガードした剣の上から強大な力を体にねじ込まれた俺は、吹っ飛ばされ、地面を二度三度と転がる。


「げふっ……はっ……かはっ……」

「降参しようにも声出ないだろうから、いいよもう」


 部隊長が人垣に戻っていく。

 満足したのだろう。


「かはっ……はぁっ……はっ……」


 俺だけが知っている、魔力なき身に魔力をねじ込まれる感覚。

 熱と痛みと前後不覚が全身を襲う。

 体中の臓器をかくはんされているかのようだ。

 倒れ伏してのたうつ俺を嘲笑する声が聞こえる。


「あいつ、届かないって分かってるのに、どうして何度も斬り込んでるんだ? しかもあんな全力で」

「いや、届かないことを理解できてないんじゃないか?」

「魔力のことは何も分かってないでしょうから、それもあり得るわね」

「わははは! それ残念すぎるな!」


 げらげらと笑い声が巻き起こる。

 剣を杖になんとか立ち上がると、目の前にさっきとは違う男が立っていた。


「よし、次は俺だ! よろしくな! モルフくんだっけ?」


 男の体を銀の鎧が彩っている。


「おっ、次はマックスさんか」

「マックスさん、そいつはホルフですよ」

「加護なしの訓練に付き合うなんて、みんな優しいなあ。おい、ホルフ! 感謝しろよ!」


 笑い声の中、俺は全身の痛みを抑え込みつつ剣を構えた。


「かはっ…………。よ、よろしく、お願いします」





「よし、本日の訓練はここまで。この後は夕食だ。各自食堂へ移動するように」


 訓練終了の号令がかかる。

 ぼろぼろの体で膝をつく俺の横を、皆がガヤガヤと通り過ぎていく。

 ひとり取り残される中、どうにか立ち上がり、訓練場を出ようとすると、そこに見知った少女の姿があった。

 長い黒髪と赤い目を持った俺の妹、フェリシアだ。


「兄さま………」


 今年入団してきたフェリシアは、しんの秘奥で、エミリーほどではないものの、図抜けた魔力を得たらしい。

 魔導部隊に配属され、訓練ではすでに非凡な才能を見せているそうだ。


「見てたのか、フェリシア」

「はい……。あの、おが………」

「大丈夫。たいした怪我じゃないよ。だからそんな顔をしないでくれ」


 笑顔を作って見せるが、フェリシアの表情はすぐれないままだ。


「私が回復魔法を使えれば良かったんですが……」

「そんなことを気にかけるなよ。フェリシアは攻撃魔法を修めているところだろう?」


 フェリシアが配属されたのは攻撃魔法を専門に扱う第一魔導部隊だ。

 フェリシアには、攻撃魔法への強い適性があったらしい。

 配属初日に基本魔法の『火球ファイアボール』を教わり、先輩の部隊員が見せた手本の三倍ほどもある火の玉をいきなり作り出したことが団内のうわさになっている。


「あの、兄さま」

「うん?」

「どうして、あんなに何度も斬り込んでいくんですか? あんな風にしなければ、そこまで傷を負わされることも無いのでは……」


 俺のやりようは、フェリシアの目にも奇異に映ったようだ。

 届かないと分かっているのに何度も全力で斬り込み、その結果、より彼らの不興を買い、痛めつけられる。

 俺が全力で剣を振るかぎり、「まだ元気じゃないか」とばかりに新しい相手が出てきて俺を吹き飛ばす。

 確かに、俺がそこそこのところで止めていれば、こうもぼろぼろにはならないだろう。

 だがそうはしたくない。


「フェリシアが魔法を修めているように、俺は剣を修めているところだ。一振り一振りに全力を込め続けて、初めて技は進歩するというもの。そうしなければ訓練の意味が無いだろう?」

「でも、そんなになってまで……」

「なに、デカい分、頑丈にできてる。心配いらないよ」


 十六になって、俺は更に背が伸びていた。

 魔法が使えない分の訓練時間を筋力トレーニングにあてていることもあり、すでに俺の体は第五騎士団の中で最も大きかった。


「そうすることに………」

「ん?」

「そうすることに、意味が……あるんですか?」


 それは胸中を焼くほど迷ったすえに絞り出した言葉なのだろう。

 目を伏せたまま、消え入りそうな声で伝えたその言葉は、しかし確かに強い意志をはらんでいた。

 魔力が無ければ魔族と戦えはしないのだ。

 どんなに速く剣を振っても、強く振っても、鋭く振っても、決してその剣は届かないのだ。

 それなのに何故、ぼろぼろになってまで剣を振り続けるのか。

 意味が無いのに何故。

 それは傷つく俺を見ていられないフェリシアの、心底から兄を案じての言葉だった。

 父母からは、決して俺に近づかないよう言われているだろうに、エミリー同様、彼女も優しい娘だった。


「意味があるかどうかは分からない。無い可能性の方がすごく高い。でも剣を振り続けていたら、いつかどこかに届くかもしれない。それを信じるしか無い」


 フェリシアの目を見ながら言う。


「確かなのは、振らなければどこにも届かないってことだ」

「そんなの……」


 フェリシアにとって納得のいく回答ではなかったのだろう。

 俺自身、度し難いと思う。

 だが俺はこうするしか無い。

 わらわれても、蔑まれても、自分の意志に意味があると信じるしか無い。


「それより夕食だよ、フェリシア。食堂へ行ったらどうだ?」

「は、はい。兄さまも一緒に」

「いや、俺は後から行く。部隊の人たちと一緒に食べな」

「……はい」


 極力、俺とフェリシアが一緒に居るところを人に見られない方が良い。

 どこから父母の耳に入るか分かったものではない。

 俺はともかく、フェリシアの未来に影が差すようなことは控えなければならないのだ。


「傷つけてばかりだな……」


 俯いて歩き去るフェリシアの後姿を見送りながら、俺はつぶやいた。


刊行シリーズ

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煤まみれの騎士 VIの書影
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煤まみれの騎士 IIの書影
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