Ⅱ ⑥
毎夜、寝床に身を投げ出すと同時に、意識は深い闇に沈んだ。
眠りは死のように深く、したがって夢を見る間など無い。
だからその夜は珍しかった。子供のころの夢を見たのだ。
夢の中では、幼年期の俺が屋敷の書庫で本に埋もれていた。
このころ俺は、書庫に入り浸っており、暇を見つけては本を読んだ。
お気に入りは騎士物語だ。
剣を手に、主君のため、国のため、身命を賭して戦う者たち。
その姿から生きる意味が読み取れたのだ。真に迫る力を伴った生きる意味が。
子供が〝生きる意味〟とは随分マセていると思うが、とにかく俺はそんな子供だった。
貴族家の次期当主としてのレールが敷かれた人生。
それを眼前に、人生に意味を
そのレールも今となっては途切れたが。
「………………」
夢の中の俺は、文字どおり夢中で本を読んでいる。
いま読んでいるのは、数十年前の宮廷詩人が著したもので、騎士の心情を
騎士物語とは毛色が違うが、こういうものも好んで読んだ。
他に、伝記や英雄
軍記ものの色合いが濃い作などもよく読み、その影響で、戦史の記録や兵法書なども
だが、やはりいちばん好きなのは本格の騎士文学だった。
「よっ……と」
詩集を読み終えた俺は、次の一冊を手に取る。
幼い俺では、高いところにある本を取るのは一苦労だ。
「あっ! これ!」
好きな作家の本だった。まさに今読みたいと思っていた本格の騎士文学。
俺は喜んで本を開いた。
「わあ……」
ひとりの騎士の生き様を切々と
俺は時間を忘れて
一剣を抱いて故郷を出て、やがて叙任されて騎士になり、人々のために戦い抜いた男の大いなる孤独と誇り。
俺は書庫の中で、その騎士の人生を追体験した。
そして読み終わると、おもむろに立ち上がり、近くの本棚に立てかけてあったはたきを手に取った。
それを剣に見立てて構え、そして振る。
「やぁっ!」
何度も振る。
俺は心の中で騎士になっていた。
誇りを胸に戦う強い騎士に。
「えいっ! せぇいっ!」
はたきを振りながら、幼年期の俺は決心する。
剣を修めよう。
騎士たるもの、剣は完璧に扱えなければならない。
いま読んだ物語の中で、騎士は一息で踏み込み、相手の前腕に剣を叩き込んでいた。
それを
「でぁっ!」
だが、どうも上手くいかない。あの騎士のようにならない。
それが悔しくて、何度もはたきを振る。
「ていっ! せぁ……え?」
気がつくと、にこにこと笑う女の子が傍に居た。
「……エミリー」
なんともバツが悪い気持ちになり、今さらながら、はたきを後ろ手に隠す。
「いつから居たの?」
「ロルフがあの本を読み始めたあたりから」
「えっ? 声をかけてくれれば良いのに」
「ん、いいの。ロルフを見ていたかったから」
なにがそんなに
その笑顔を見ていると、俺も楽しくなって笑ってしまう。
そして次の瞬間、俺は夢から覚めた。
「………………」
数秒、大部屋の天井を見つめたのち、俺は起き上がる。周りでは皆まだ寝ていた。
剣を持ち、朝の訓練のため外へ出て行く。
俺の一日が始まった。
◆
「でぁっ!」
一息で踏み込み、相手の前腕に剣を叩き込む。
相手は短い悲鳴をあげて剣を取り落とし、それから俺を
団員たちがざわめく。
「おい、加護なしがまた勝ったぞ」
「剣だけ振れてもしょうがねえよ。あいつ攻撃魔法撃たれたら終わりだろ」
「剣の腕は確かだと思うし、学ぶべきところも……」
「
鉄の剣と鎧にも魔力は通せるが、随一の魔力伝導率を持つ銀とは比べるべくもない。
鉄の剣の攻撃は、そこに魔力が込められていても剣でガードできる。銀の剣のように、ガードしても問答無用で吹き飛ばされたりはしない。
もっとも、やはりガードの上からダメージは負わされるので、そう何度も防ぐことはできないが。
また、鉄の鎧は銀の鎧と違い、全身を魔法障壁で覆うことはできない。
何度も打ち込み、隙間を探すことで、剣を届かせることは可能だ。
だから、鉄の装備を纏った一般団員が相手なら、俺は自らの剣技を
今日の剣術訓練も、ここまでは全勝だ。
だが、そろそろだろう。
団員たちのざわめきを背景に、次の展開を予想していたら、その予想をなぞるように、銀の装備を身に着けた幹部が前に出てきた。
「よし、次は俺が相手だ」
「おお、待ってました!」
「頼みますよ隊長どの! 目にもの見せてやってください!」
「おい、加護なし! 調子に乗るのもここまでだ! 身の程を弁えていれば良いものを! 思い知れ!」
最後の
これがいつもの展開。
加護なしのくせに、愚かにも調子に乗っている男を、女神ヨナの祝福を受けた者が正義のもとに断罪する。
とても分かりやすい勧善懲悪だ。
このエンターテイメントに、団員たちはおおいに沸き立つのだった。
◆
倒れ伏す俺に降り注ぐ嘲笑。
木の葉のように吹き飛ぶ加護なし男の姿は、第五騎士団における剣術訓練の名物と言えるだろう。
俺は何度地面を転がろうと、どんなに苦しかろうと、決して剣を手から離さなかった。
その姿は皆の目にはこの上なく滑稽に映ったようで、彼らの
「おやまあ、まだ剣を握ってるよ」
「いつも
「つーかさっさと立てよ! 寝てんな!」
俺は罵声を受けながらどうにか立ち上がり、剣を構えた。
「よし、次は僕かな。よろしく」
銀の装備を身に着けた別の男が出てくる。
その表情には愉悦が張り付いていた。
◆
訓練が終わり、井戸で傷を洗う。
今日も見事にぼろぼろだ。
むかし家の書庫で見かけた、ある手記のことを思い出していた。
被虐趣味に目覚めたどこかの国の男爵の手記だ。
マゾヒズムとか言うんだったか。
心身に苦痛を与えられることに喜びを感じてしまう男爵が、自身の倒錯性を恥じながらも貴族社会を生きていく話だ。
あまり興味を覚えず、さわりしか読まなかったが、ちゃんと読んでおけばよかったかもしれない。
苦痛を味方に付ける術を、あの男爵から学びたいものだ。
そんな
「ロルフ」
この騎士団における俺の呼び名は、〝加護なし〟、〝でくの坊〟、〝カス〟と言ったところだ。
それらではなく、名前で「ロルフ」と呼ぶ人はひとりしか居ない。
「エミリー様」
「怪我、大丈夫?」
「ええ。問題ありません」
「そう……」
暫しの沈黙のあと、エミリーはぎこちない笑顔で言う。
「ロルフ、久しぶりに、夕食一緒に食べない?」
「はい。ご一緒します」
◆
「おお、エミリー。お疲れ様」
「エミリーお疲れー」
「これから食堂ですか? 私たちもです。ご一緒しましょう」
「う、うん」
食堂へ移動する最中、
エミリーが三人に囲まれるなか、俺は数歩後ろを歩く。
「エミリー、部隊長就任おめでとう」
「ありがとうイェルド。でも、いちばん新人の私なんかが」
「謙遜すんなよ。エミリーの魔法剣はとんでもねーからな。アタシとしちゃ、いちばん
「ああ、僕も同感だ。それにエミリーは戦術理解も誰より優れている。作戦計画や編制案へのその鋭い意見を、団長がいつも褒めてるよ」
エミリーが居心地悪そうに答える。



