Ⅱ ⑦

「あ、あのね、団長には何度も言ってるんだけど、その意見はいつもロルフが言ってくれてて……」

「エミリーさん、従卒の意見をいくらか参考にしていたとして、貴方の功であることは変わりませんよ」

「で、でも部隊長が必要なこと自体、ロルフの考えで……」

「エミリー。従卒のことを考えてやるのは立派だが、その男に必要以上に構うのはどうかと思うよ」

「そんなの……」


 エミリーがちらちらと振り向いて困った目を俺に向けてくる。

 そこで助けを求められてもな。

 俺としてもエミリーは部隊長に相応しいと思うし。

 きょうかく部隊には部隊長が居なかった。

 ただこの部隊にも指揮系統があった方が良い旨を、幾つかの理由と併せてエミリーに説明し、それが団長に具申されたところ、部隊長が新設されることになったのだ。

 初代部隊長はエミリーだ。

 「発案者の貴公がやってくれるよな」と団長は言っていた。言い出しっぺの法則というやつだ。

 だが能力的にもエミリーが部隊長を務めるのは妥当だ。

 イェルドはいささか理屈倒れで、教練書の内容はよく理解していても、それを超えた柔軟な発想はできない。

 ラケルは軍略には適性が無い。

 シーラには全体を見通す冷静さがあるが、人を引き付ける力は無い。

 対してエミリーにはカリスマ性があった。

 彼女は雷魔法に強い適性を見せた。

 訓練中、雷を魔法付与エンチャントした剣を振るい、広範囲に強力な雷撃を浴びせる様は、美しい容姿も相まって皆の目をくぎづけにする。

 そこに生来の人格からの人望も加わり、強いカリスマ性が形成されていたのだ。

 それは指揮官にとって重要な資質だと思う。

 彼女には将器があるのだ。

 そんなことを考えながら食堂に到着する。

 廊下まで良い匂いが漂っていた。

 シチューか。ラム肉が入っているやつ。今日は当たりだ。

 それに寒い日にはちょうど良い。

 ラケルも冷え込むと感じているようで、寒いと言い出した。


「冷えるよな。このところ特に寒くないか?」

「確かに今年の冬は冷え込みますね。朝、杖を手にすると、冷たくてびっくりします」

「と言うか、この食堂に居ても寒いんだよ。前まではこんなこと無かったんだけど」

「そうですか? ここは暖かいと思いますけど」


 どこに居ても人は、暑さ寒さを話のタネにするものらしい。

 俺は、何とは無しに彼女たちの会話を聞いていた。


「いや寒いって。なあお前ら?」

「言われてみればそうかも。前まで、食堂はもっと暖かかったような気がする」

「うーん、僕にはよく分からないな。気のせいじゃないのか?」

「ラケルさんは脂肪が薄いぶん、寒さに敏感なのかもしれませんね」

「さすがシーラ。胸部にデカい脂肪の塊を持ってるやつは言うことが違うな」

「怒りますよ?」

「ロルフはどう?」


 ふり返ってエミリーが訊いてくる。

 俺が会話に参加できるよう、気を遣ってくれているのだ。


「暖炉にすすまっています。あのせいで暖房の効き目が落ちているんでしょう」

「えっと、煤が溜まると暖まりにくくなるの?」

「はい。薪の燃焼効率が落ちますから」

「加護なし、じゃあお前が今すぐ掃除しろ」


 イェルドが事も無げに言う。

 ラム肉のシチューは食べ損ねたか。


「えっ、なんで? ロルフもこれから私たちと夕食を」

「掃除するなら早い方が良い。加護なしも、明日は朝から仕事があるんだしね」

「でも、どうしてロルフが」


 戦えもしない従卒だからだろうな。


「従卒だからだろう」

「そんなの従卒の仕事じゃないよ!」

「こいつは戦えないのだから、その分、別の仕事をしてもらうのは当然じゃないか」

「ロ、ロルフは私の従卒だよ? 勝手に命令を……」


 これは良くないな。周囲の目が集まりつつある。

 こんなところで声を荒げていては、部隊長に就くや否や強権的になったと見られかねない。


「エミリー様、掃除してきます。皆さんは夕食を」

「おーう、そんじゃアタシらは食ってるわ。よろしくな」

「そんな、ロルフ」

「エミリー様。俺は構いません。この時期の固いラム肉は好きではありませんし。では」

「あっ……」


 俺は食堂を出て、掃除道具を取りに倉庫へ向かった。

 ラム肉が固いって台詞はやや間抜けだったな。

 届かないところにあるどうを見上げ「どうせ酸っぱいに違いない」と言うきつねぐうを思い出して、少し笑ってしまった。



 皆が食事しながらする談笑を背景に、暖炉を掃除する。

 昔から掃除が好きで、気分が塞いだ時など、無心に部屋の掃除をしたものだ。

 そうすると、いつの間にか気が晴れてきて、部屋が綺麗になると同時に気分も落ち着く。

 ルーティーンと言われるもので、人によっては料理だったり散歩だったりするようだが、俺の場合は掃除だった。

 しかし暖炉の掃除は初めてだ。

 使用人がやっているのを見たことがあるので、それを思い出しながらやってみよう。

 まず暖炉内に残る大きな燃えくずを取り除く。

 灰はあとで良いだろう。煙突から煤を落としてから一緒に除去すれば良い。

 暖炉内に入り、ランタンを向けて煙突を見上げる。

 煙突の内壁に煤がこびりついている。煙突上部はそうでもない。下部の掃除をすれば綺麗になりそうだ。

 煙突内に身を押し込み、ブラシで内壁を掃除する。

 煤がぼろぼろと落ちていく。これはなかなか気持ちが良い。

 柄の長いブラシも使い、煙突中部まで掃除する。

 ブラシでこすってはランタンを向け汚れを確認する。

 そしてまだ汚れている壁面を再度こする。

 繰り返しているうちに、煙突内部も綺麗になった。

 身をよじって煙突から出て、次に暖炉を綺麗にする。

 暖炉の壁面を煙突と同じように掃除し、煤をこそぎ落としていく。

 あらかた汚れを落としたところで、いったん暖炉から出て確認する。

 だいぶ綺麗になったようだ。

 あとはもう少し暖炉の壁面をブラシでこすり、最後に底面に溜まった煤を取り除けば良いだろう。

 食堂では、皆食事を終えていて、茶を飲みながら談笑していた。


煤まみれアルガだ」


 誰かが言うと、一拍おいて大きな笑い声が巻き起こる。

 煤まみれアルガとは、しょっちゅう煤で汚れている下男下女に対する蔑称だ。

 確かに俺は全身煤だらけだ。顔も真っ黒だろう。

 笑い声は収まること無く続いた。

 涙を流しながら手を叩いている者も居る。

 エミリーがどんな表情をしているか、容易に想像がつく。

 俺と目が合えば、彼女は悲しそうに俯いてしまうだろう。

 だから俺は彼女の方を見ないようにした。



 その日の夜更け。

 俺はいつものように本部棟の裏で訓練をする。

 剣を振り続ける俺のもとにエミリーがやってきた。


「ロルフ………これ」


 彼女は手にパンを持っていた。

 夕食を摂れなかった俺に持ってきてくれたようだ。


「ありがとうございます」


 俺にパンを渡すと、本部棟の壁を指し示すエミリー。


「ここ……」


 エミリーの意図を察し、壁際にエミリーと並んで座る。

 そしてパンを食べながら、エミリーと話す。


「……今日はごめんね。あんなことをさせちゃって」

「構いません。むしろ部隊長になって今が大事な時なんですから、あまり俺をかばうようなことは言わない方が良いかと」

「部隊長になったのだってロルフのおかげなのに」

「それはエミリー様の勘違いです。エミリー様には指揮官の器がありますよ」

「でも………」


 彼女は黙ってしまう。

 俺はパンを食べ終えたが、このまま訓練を再開するのもエミリーに悪いので、黙って彼女の隣に座っていた。


「ねえ、ロルフ」

「はい」

「この自主訓練って、毎晩やってるんだよね」

「はい」


 正確には朝と晩だが。


「意味……あるのかな」


 それは以前フェリシアからも訊かれた問いだった。


「あると信じています」

「ロルフは、その、頭良いじゃない? だから軍略とか、部隊運営とか、他にできることはあると思うの。部隊長を置く件みたいに、組織を変えるような具申もしてるんだし」

「俺の意見など聞いてくれるのはエミリー様だけです。俺が部隊運営に関われるチャンスは無いでしょう」

「だ、だからそれは、私が団長を説得して……」

刊行シリーズ

煤まみれの騎士 VIIの書影
煤まみれの騎士 VIの書影
煤まみれの騎士 Vの書影
煤まみれの騎士 IVの書影
煤まみれの騎士 IIIの書影
煤まみれの騎士 IIの書影
煤まみれの騎士 Iの書影