Ⅲ ②

 どうにも良くないな。

 イェルドは、俺から出る言葉すべてを感情で否定している。

 午前中、シュウェル大森林のルートを採るべきという俺の献策を馬鹿にしていたが、そのことを思い出しているんだろう。

 羞恥心を、俺への怒りに転化している。

 だがこのままでは、この行軍は本当に詰みかねない。


「団長、ロルフが進言した行軍ルートを選んでいれば、この事態にはなっていませんでした。ここはロルフの策を用いるべきです」

「くっ……!」


 エミリーが火に油を注ぐようなことを言う。

 俺への信頼は嬉しいが、行軍ルートの件に触れたことでイェルドが爆発寸前だ。彼をいさめるのではなく、団長に直接進言したのも良くなかった。

 そう考えていたところに、別の援軍が現れる。


「落ち着けよイェルド。確かにお前の言うとおり危険はあるだろうけど、アタシらならきっと大丈夫さ。正直水が無くなっちまうのはキツい。ここは星でも見つつ、夕涼みの行軍としゃこもうぜ」

「イェルドさん、私もエミリーさんとラケルさんに賛成です」


 ラケルとシーラには理性が残っていたようだ。

 どうにも子供をあやすような雰囲気だが、付き合いが長い分、イェルドの扱いに慣れているのだろうか。

〝エミリーとラケルに賛成〟というシーラの台詞は、狙ったものではなく自然に出たものだろうが、有効だ。俺ではなく二人に賛成という体でいけば良い。


「イェルドみたいな重要な戦力が、万全な状態で戦場に着くことが第一だよ。そうでしょ?」


 エミリーの笑顔が上手く駄目押しになってくれたようだ。

 イェルドは、ひとつ息を吐いて首肯する。


「……そうだな」


 各部隊の上位に位置づけられるきょうかく部隊の意志が統一された。

 これでいけるだろう。

 団長が部隊長たちを見まわして問う。


「反対意見のある者は?」


 誰からも声はあがらない。


「では、今夜のうちに再出発だ。貴公らは夕食を終えたら、部隊員に休憩を命じたうえで、私のもとへ再度集まってくれ。以上」


 団長を含め、多くの者は苦々しい顔をしていたが、背に腹はかえられないようだ。

 こうして夜間の行軍が決定された。

 依然ピンチは続くが、エミリーが妙にニコニコしていた。



 夜間のうちに行軍し、昼間は天幕を張って休憩。

 そうしながら第五騎士団は、少しずつエルベルデ河に向かう。

 いずれにせよ気温は高く、行軍はいまだ苦難を伴ったが、それでもだいぶマシにはなった。

 団長らは物資の消費計画を見直し、必要最低限を残して荷を廃棄。少しでも行軍速度を確保した。

 疲労を蓄積させながらも第五騎士団は歩を進め、行軍開始から七日目、ベリサス平原を抜けた。

 現在は天幕で休息しつつ日没を待っている。まもなく出発だ。

 夜半には、いよいよエルベルデ河に至れるだろう。

 どうにかここまで来ることができた。

 だが、やはり団員たちは疲弊している。

 そして到着してからが本番であることは当然誰もが理解しており、それを思ってか、皆の顔には陰が張り付いていた。


「それでは出発する。今夜のうちに到着する予定だ。貴公ら、気を引き締めろよ!」


 良くない状況を理解しているのだろう。団長の号令にもどこか張りが無い。

 第一騎士団と魔族が待つエルベルデ河に向け、俺たちは往路最後の行軍を開始した。



 闇夜に黙々と馬を引く。

 きょうかく部隊は、皆、戦える体力を残している。

 さすがに実力者ぞろいだ。


「エミリー、着いたら第一と作戦会議だよな。アタシらも出席か?」

「うん。みんな出てもらうよ。よろしくね」

「めんどくせーけど了解」

「エミリーさん、どういった作戦になるのでしょうか」


 シーラの問いに、エミリーが困ったような顔で答える。


「そこまでは伝えられてないんだよね。着いてから第一騎士団の指示を仰ぐかたちになるわ」

「エミリー、僕らの部隊の指揮権を第一に移譲するわけではないんだよな?」

「ええ。ほかの部隊は第一の指揮下に入るけど、きょうかく部隊の指揮は私よ」

「ならオーケーだ」


 イェルドは、序列上の上位にある第一騎士団に対して良い印象を持っていないようだ。

 俺としては、王国最精鋭の騎士団の戦いをこの目で見るのが楽しみだが。


「ロルフ、どんな作戦になるかな?」

「渡河作戦でしょう」


 エミリーの問いに答えると、ラケルが疑問を呈する。


「アタシらが向かってるのはデゼル大橋だぞ。橋があるのにどうして渡河なんだよ」

「橋は渡れません。ここ一か月、エルベルデの戦線が膠着しているのは、両軍ともデゼル大橋を制圧できずにいるからです」


 橋をった時点で両岸を押さえることができるのだ。

 勝敗が決していないということは、橋は渡れない。

 橋上で両軍がたいしている状況だろう。


「従卒さん、だから援軍を投入して橋を突破するんでしょう?」

「いえ、いくらデゼル大橋が巨大でも、橋上に展開できる兵力には限りがあります。援軍の投入で突破できるというものではありません」

「だからって渡河はねーだろ。エルベルデは大河だぞ」


 本来ならそうだ。

 だが今なら渡れる。


「第一騎士団はチャンスが巡ってきたと言って、援軍を要請しました」

「そうだね。えっと、つまり?」

「おそらくチャンスとはこの日照りのことです。デゼル大橋の周辺は、河幅こそありますが水深は浅いので、そこから更に水位が下がれば、かちによる渡河で大軍を送り込むことが可能です」

「おい待て加護なし。出任せを言うな。なぜ水深など分かるんだ」

「デゼル大橋建設時に王国地理院が測量しています。本部の書庫に資料がありました」


 四十年前の資料だが、それをもとにデゼル大橋は無事建設されている。信頼できるデータだ。

 話を聞いていた四人が押し黙る。


「加護なし。そんなものまで読んでいたと言うのか? 三日しか無かったのに」

「はい。できる備えはしておきたかったので」

「……戦えもしないのにご苦労なことだ」


 イェルドが小さく言った。

 見上げると、月が中天を過ぎている。

 そろそろだろうか、と思っていると、先頭を行く団員たちから歓声があがった。

 どうやら着いたようだ。

 しばらく進むと、ぽつぽつと灯が見えてきた。

 第一騎士団の駐屯地のものだろう。

 その方向からひづめの音が近づいてくる。三騎居るようだ。

 やがて銀の鎧に身を包んだ騎士たちが闇夜から出てくる。

 旗を見て団長の所在を確認したのだろう。こちらに近づいてきた。


「馬上から失礼します。第一騎士団きょうかく部隊隊長、エーリク・リンデルです。遠路お疲れ様でした。援軍に感謝します。ティセリウス団長のもとへお連れしますゆえ、タリアン団長にお目通り願えますでしょうか」


 三十歳手前ぐらいだろうか。三人の中では一番若い、先頭に居た男が名乗った。

 濃い茶色の髪とせいかんな顔立ちの美丈夫だ。


「出迎え恐れ入ります。第五騎士団きょうかく部隊隊長、エミリー・メルネスです。面会の必要には及びません。このまま駐屯地に入らせて頂けますでしょうか」

「いや、大丈夫だよエミリー。エーリクとは面識がある」

「失礼いたしました。リンデル殿にもご無礼を」

「いえ、お気になさらず」


 後ろからタリアン団長が出てくる。


「久しいな、エーリク。壮健そうだ」

「おかげさまで。それで、着いた早々申し訳ないのですが、軍議への出席をお願いしたく」

「心得ているよ。では行こう」

「はっ」


 第五騎士団は、エーリク・リンデルの先導で、第一騎士団の駐屯地に入っていく。

 俺たちはようやく戦場に辿り着いた。



 これから軍議だが、両騎士団の幹部全員となると、最も大きい天幕でも入り切らない。

 そのため、第一騎士団の従卒たちが、露天に椅子と机を並べて会議場を設営する。

 タリアン団長に命じられて俺も手伝った。

 行軍で疲れているだろうから力仕事は任せろと第一騎士団側に言われたが、これぐらい問題ない。

 疲れているのは、戦っている第一騎士団もお互い様だ。

 設営が済み、幹部たちを迎える。

 団長、副団長、きょうかく部隊、それぞれ複数の部隊を束ねる総隊長たちに、各部隊長たち。

刊行シリーズ

煤まみれの騎士 VIIの書影
煤まみれの騎士 VIの書影
煤まみれの騎士 Vの書影
煤まみれの騎士 IVの書影
煤まみれの騎士 IIIの書影
煤まみれの騎士 IIの書影
煤まみれの騎士 Iの書影