Ⅲ ④
この駐屯地に入ってから、エミリーにはちらちらと第一騎士団からの視線が向けられていたが、リンデルは堂々と正面から切り込むことにしたようだ。
「〝白光〟の
「あはは……」
彼女には婚約者が居ると知ってそうなものだけどな。
そういうことを気にしないタイプの男なのだろうか。
そんなことを考えながらその場を離れ、会場の撤収を行う。
第一騎士団の従卒たちと協力して、机と椅子を片付けた。
第一の従卒たちと少し話したが、皆、半年前に入団したばかりだそうだ。
俺が二年半従卒をやっていると知った彼らは、「そうなんですか」と答え、その後話しかけてくることは無かった。
黙々と机と椅子を片付ける様を、離れたところからフェリシアが見ている。
俺が訓練でぼろぼろにされるところや、煤まみれで掃除をするところ、そしてエミリーに従属しているところを見るたび、彼女の目を失望が覆っていくことに、俺は気づいていた。
悲しませるよりは失望させる方がマシだろうか、などと情けないことを考えながら、会場の撤収を終えるのだった。
◆
天幕に入って眠る前に、駐屯地を少し歩き、高台に上がった。
デゼル大橋の戦況を見るためだ。
高台からやや遠くを見下ろすと、エルベルデ河に架かる橋が見えた。
幅二十五メートル、長さ百二十メートルの巨大な橋、デゼル大橋。
幾つもの
俺は戦場をしばらく観察した。
魔族を初めて見るが、その外見は話に聞くとおり、肌が褐色であること以外は人間と何ら変わらない。
戦い方も人間と同じように、武器と魔法を駆使して、確立された指揮系統のもとに戦っている。
良い動きだ。見るべきところがあると思う。
だが第一騎士団の動きはそれを上回っている。
俺はその用兵の妙に驚かされた。
今回、対岸を押さえたいのは王国側であり、魔族側の作戦目的は防衛だ。
したがって彼らとしては、橋を爆破してしまえば良い。
実際、それを意図した動きが見て取れる。
だが、それを第一騎士団が巧みな用兵で阻止しているのだ。
橋上に魔族軍の兵が残った状態では橋を爆破することなどできない。
そのため第一騎士団は、橋上から魔族軍が去ることを許容しない戦いをしていた。
魔族軍が退がると、第一が前線を押し上げ、距離と隊列を保ちつつ追随する。
魔族軍が前に出てくると、第一は防御しつつ退がる。
これを、橋上の部隊を交代させ、軍の回復力を効かせながら、集中力を切らすことなく行っていた。
時おり、橋の突破を狙った大火力の攻撃も行っているが、この攻撃は魔族軍が退がり切ったベストなタイミングで為されており、これによって敵にプレッシャーをかけ続けている。
あの戦いぶりを見る限り、第一騎士団は部隊長らの中級指揮官もかなり優秀なようだ。
魔族軍は、戦いは退く時が一番難しいという事実を再認識しているだろう。
「あれ、でくの坊じゃん。こんなところで何してんの?」
戦いに見入っていると、声をかけてくる者が居た。
ラケルだ。横にイェルドとシーラも居る。
「デゼル大橋を見ていました」
「戦況を自分の目で確認しておこうと思ったのですね。従卒さんが見たところで何も分かりはしないでしょうが、その心がけは大事ですよ」
「ありがとうございます。皆さんも橋を確認しに?」
「当然だ。僕たちはお前と違って常に状況を把握していなければならないからな」
そこへ人影がもうひとつ近づく。
「おや、皆さんおそろいで」
第一騎士団
「行軍でお疲れでしょうから、もうお休みになった方が良いのでは?」
「ええ、そうさせてもらいます。私たちは少し戦場を見ておきたかっただけですから。リンデル隊長も今夜はよく休まれますよう」
「そのつもりです。ただその前に、彼と話してみたかったんですよ」
リンデルは俺に目を向ける。
「エミリーさんが君をしきりに褒めていてね。ベリサス平原を渡り切れたのも、君の功績が大きいとか。従卒なのに凄いじゃないか」
「恐縮です」
「軍略に明るいようだが、どこで習ったんだい?」
「独学です。もともと書物が好きなので」
「ほう、それは立派なものだ!」
リンデルは驚きの表情を浮かべる。
「しかし、入団から間もないのにこんな遠くまで戦いに来る羽目になるとは、ツイてないね」
「いえ、俺は入団三年目です」
「え?」
「非才のうえ祝福なき身ですので、今日まで不甲斐なく従卒を続けています」
顔に疑問符を浮かべるリンデルに、シーラが説明する。
「この者は
「た、確かに第五にそういう者が居ると噂には聞きましたが、本当だったのですか。そうか、この男が」
リンデルの顔が驚きと困惑を経て、怒りに染まる。
そしてその怒りを込めた声で言った。
「
俺に詰め寄り、胸ぐらを
「なぜ貴様のような男が戦場に居る! 遊びではないのだぞ!」
「遊びでやっているつもりはありません」
「これは聖と邪の戦いだ! 神に見限られた男の出る幕は無い!」
「俺はそうとは思っていません」
「……ッ! 貴様!」
地面へ仰向けに倒されてしまう。
一線級の騎士だけあり、相当な
馬乗りになったリンデルは、両手で俺の胸ぐらを摑み、顔を近づけて叫ぶ。
「良いはずが無い! 彼女の傍に貴様のような者が居て良いはずが!」
なるほど。
彼の怒りの背景には、加護なしへの感情に加え、エミリーへの執心があるようだ。
軍議後の態度からも見て取れたが、〝白光〟に美しい容姿、そのうえ同じ
そのエミリーの口から俺の名前が出たから、見極めようと思って近づいてきたのだろう。
にも関わらず、その男はよりにもよって加護なしだった。
それは到底許せることではなかったのだ。
「俺はただの従卒です。エミリー様にとってそれ以外の何者でもありません」
「当然だ! 分かり切ったことを抜かすなァ!!」
リンデルの怒りは限界を超えてしまったようだ。
馬乗りになったまま、俺の顔に両手の拳を何度も叩きつけてくる。
その拳には殺意すら感じられた。
俺は両腕で防御するが防ぎ切れず、リンデルの拳が俺の血で染まっていく。
「貴様が! 貴様のような者が!」
エミリーへのアプローチもそうだったが、リンデルという男は万事に情熱的であるようだ。
俺としてはまったく嬉しくない状況だが。
「お、おい! よせ! 殺す気か!?」
イェルドが割って入る。
「このような男は存在するべきではない! ここで殺したところで何も問題ない!」
「無茶を言うな! うちの団員だぞ! とにかく離れろ!」
イェルドに引き剝がされるリンデル。
荒い息を吐いてこちらを睨んでいる。
「貴様のような男が……居て良いはずが無い……!!」
そう言われても、はい済みませんと消えるわけにもいかないしな。
切れた唇から流れる血を手の甲で拭いながら立ち上がる。
やがて少しは落ち着いたのか、リンデルの目から激情が薄れる。
それから俺たちを見まわして言う。
「……お騒がせして申し訳ない。失礼する」
俺以外の三人に向けた言葉だった。
俺たちはその背中を無言で見送った。
「イェルド様。ありがとうございました」
素直に礼を言っておく。
俺が抗戦していたら、リンデルは更に
「お前のために止めたわけではない」
そう言ってイェルドも立ち去った。
「なんだか凄い奴だったなあ。まあいいや。じゃ、アタシも寝るから」



