Ⅲ ⑥

 タリアン団長はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 俺はエミリーに向き直って話を続ける。


「そして何より、魔族軍は第一騎士団を相手に、橋を突破させず一か月以上、戦線を支えているんです。このまま簡単にいくとは思えません」


 俺が言い終わるのを待っていたかのように、橋上から、どん、とごうおんがあがった。

 今度は第一の戦列に穴が開く。

 魔族側の魔法部隊が前に出て、一斉に『灼槍ヒートランス』を放ったのだ。

 ティセリウス団長が退がり、前線の圧力が弱まったタイミングを狙ったらしい。

 そして第一騎士団が前進を止めると同時に、魔族軍も隊列を組み直す。

 魔族たちは、橋上の戦力をすぐさま整頓し、渡河部隊への対応要員を供給する。

 それに加え、渡河部隊は河の中ほどを過ぎたあたりで魔法の射程距離に入っていた。

 彼らに向けて、矢だけではなく、強力な魔法攻撃が放たれる。


「くっ!」


 タリアン団長のうめく声が聞こえた。

 彼の視線の先では、渡河部隊のひとりが水中に崩れ落ちている。

 魔法障壁の隙間をぬって『氷礫フロストグラベル』が腹に突き刺さったのだ。

 第五騎士団の隊列だった。

 周囲の者たちが慌てて負傷者を小舟に乗せる。

 障壁を張りつつ退がらせていくが、あれは助からないかもしれない。

 更に別の渡河部隊。こちらも第五騎士団の隊列だ。

 『水蛇スラムウィップ』が横薙ぎに襲いかかる。

 三人が直撃をくらった。

 うちひとりは首がざっくりと裂けている。即死だろう。


「ティセリウス団長は何をしているのだ! 渡河部隊に攻撃させるな!!」


 タリアン団長が憤る。

 だがティセリウス団長の動きはとんでもなくハイレベルなものに見える。

 自身も攻撃に参加して味方の損害を最小限に抑えながら、橋上の戦力を完全にコントロールし、本来防衛側が有利な橋上の戦いを優勢以上に進めていた。

 橋上では、また第一騎士団が徐々に前線を押し上げる。

 と同時に、対岸の魔族のうち三人が風に切り刻まれて倒れた。

 渡河部隊から放たれた『風刃ブリーズグリント』を受けて絶命したのだ。

 放ったのはフェリシアだった。


「フェリシア! やった!」


 喜ぶエミリー。

 渡河部隊の中ではいちばんやりだ。さすがは第一魔導部隊の隊長だな。

 フェリシアはすかさず二の矢を撃つ。

 腰まで河に浸かった不安定な体勢にも関わらず、魔力の奔流をコントロールし切って風の刃を放っている。

 これはギリギリで躱されたが、けんせいにはなった。

 敵は退がって障壁を張り直す。

 攻撃が薄くなった間に、渡河部隊はまた前進する。

 フェリシアの表情はここからでは見えないが、動きにはよどみが無い。

 相手が魔族だからか、命を奪うことに対する忌避感は無いようだ。


「いいよフェリシア! これはいける!」

「ふん。加護なし、訳知り顔で講釈を垂れてみたは良いが、ただのゆうだったな」

「従卒さん。あれは妹さんでしたよね? 優秀な妹さんが貴方の心配を払拭してくれて良かったですね」

「…………」


 何か違和感を覚える。

 いま、おかしな光景を見ているような気がする。


「従卒さん、何か仰いなさい」


 ────!!


「エミリー様! 団長! 今すぐ渡河部隊を退がらせてください!」

「な、なに言ってるのロルフ?」

「河の水位が上がっています!」

「上がってるって……どこがだよ、でくの坊。適当なこと言ってんなよ」

「確かです! 一刻の猶予もありません! すぐに退がらせないと!」

「ロルフ、いいから少し落ち着いて。渡河部隊を退がらせるなんて、そんな指揮権ここには無いよ」


 ……ああ、そうだな。

 そのとおりだ。

 戦場で冷静さを失うなんて。

 そんなだから未だに従卒なんだよ、ロルフ・バックマン。

 息を大きく吐いて頭を落ち着ける。


「エミリー様、水位は先ほどより一センチほど上がっています。これから更に水位が上がり、水流も強まります。まもなく渡河部隊は行動不能になり、そののち流されてしまいます」


 人間は、水流の強さによっては膝まで水に浸かった程度でも行動不能になる。渡河部隊はすでに全員、河に入っており、隊列の前の方は腰まで、後方も膝まで浸かっている。

 このままでは全員が行動不能になり、その後も水流は強まり、ひとり残らず濁流に消えるだろう。

 フェリシアもだ。


「その妄言に根拠があるなら説明しろ」

「根拠は水位が上がったことです。団長、支流がめられたんです」

「なに?」

「失礼します!」

「あっ、ロルフ!?」


 デゼル大橋を見下ろす高台から、転がるように滑り降りる。

 そして橋に向けて走り出す。

 地図を見た時に気づくべきだった。

 確かに上流に、魔族領側へ流れる支流があった。

 あれを堰き止められたら、エルベルデ河の水位と水流は一気に増す。

 フェリシアら渡河部隊は流されて終わりだ。

 橋の手前には第一騎士団のベルマン副団長が居る。

 だが彼に伝えても間に合わない。

 直接ティセリウス団長に伝え、橋の上から号令をかけてもらい、渡河部隊を引き返させる。

 それしか無い。

 戦闘の激しいけんそうに包まれるデゼル大橋に到達する。

 皆、死に物狂いの形相で戦っており、すさまじい熱気に俺は一瞬圧倒された。

 連携を指示する声、回復魔法を請う声、状況を報告する声。

 戦傷著しく倒れ伏す者に、必死で呼びかける声。

 俺はさっきまで彼らを高台から見下ろして、ああだこうだ言っていたのだ。

 「訳知り顔で講釈を垂れる」とイェルドは評したが、まったく言い得て妙だ。

 恥ずかしくなる。

 だが立ち止まってはいられない。

 ぶつかるように人波に押し入っていく。

 命がけの戦いを邪魔して本当に済まない。

 だがこちらも、渡河部隊全員の命と、この戦いの勝敗がかかっているんだ。


「通してください! 済みません! 緊急です! ティセリウス団長に重大な報告があるんです!」


 騎士たちを押しのけ、橋を進む。

 隙間の無いところに、無理やり体を押し込んで分け入っていく。

 人一倍大きなこの体が疎ましい。

 幾つかの怒号を浴びながら、なんとかそこへ辿り着く。

 ピンクブロンドの麗人は、最前線から退がってきたところだった。

 次の動きを前線の騎士たちに指示し、後方へ伝令を出している。


「貴様! ここで何をしている!」


 怒声はリンデルのものだ。

 彼を無視してこちらも声を張りあげる。


「ティセリウス団長!」

「キミは……確か第五の従卒か? あとにしろ!」


 当然の反応だ。

 一瞬でも気を抜けない戦闘のさなか、従卒に構っていられるわけがない。

 だが非常事態なのだ。


「あとにはできません! 河をよくご覧ください!」

「なに?」

「水位が上がっています!」

「!?」

「フザけたことを抜かすな! これ以上邪魔をするなら斬る!」


 リンデルから再び怒声があがる。

 彼の目には水位が上がったようには見えないのだ。

 さっきより更に上がっているが、それでも二センチほど。

 ここから見て分かる者はそう居ない。

 進軍中の渡河部隊にも分からないだろう。

 だが重大な事態になるまで、もう時間が無い。

 河川の増水というものは、短い時間の間に劇的に起こるのだ。

 ティセリウス団長は河を凝視し、顔に驚愕を浮かべた。

 異変に気づいたようだ。


「支流を堰き止められたんです! 一刻の猶予もありません! 渡河部隊を退げてください!」


 俺が再度叫ぶと、ティセリウス団長は剣を高く掲げて注目を集める。

 そして、その外見からは想像もつかない大音声だいおんじょうで発令した。


「全渡河部隊に告ぐ! ただちに退却せよ! 繰り返す! 全渡河部隊は退却!」


 四つの渡河部隊すべてに命令は届いたようだ。

 突然の退却命令を受け、いずれの部隊も驚きに目を見開く。

 だがティセリウス団長の声音に含まれる真剣さは伝わったようだ。

 第一騎士団の渡河部隊を皮切りに、いずれの部隊も後方へ引き返し始める。


「第六分隊は前へ! 第四を退げつつ回復! 次の交代で障壁を張り直すぞ! 魔導第三、準備せよ!」

刊行シリーズ

煤まみれの騎士 VIIの書影
煤まみれの騎士 VIの書影
煤まみれの騎士 Vの書影
煤まみれの騎士 IVの書影
煤まみれの騎士 IIIの書影
煤まみれの騎士 IIの書影
煤まみれの騎士 Iの書影