Ⅲ ⑨

 それに今日は俺の方が痛い目や熱い目に遭ってるんだ。

 そして馬を放し、四頭とも走らせる。

 炎に狂奔し、天幕に突っ込んでは火をつけてまわる馬たち。

 馬を見送った俺は、次に無人の天幕をさがしした。

 見つかったのは矢筒だ。

 さっき支流で使ったものと同じだった。

 併せて弓も拝借する。

 そして高台から次々に火矢を放つ。

 折れた腕で弓を把持するが、当然狙いは定まらない。

 だが動かない天幕に射込むのは難しくなかった。

 目的は攪乱なのだから、馬たちと同じく、天幕に引火させられれば良いのだ。

 馬と火矢により、あっという間に駐屯地後部の各所から火の手が上がり出した。

 魔族軍の前線の隊列は途端に乱れ出す。

 挟撃を受けたと思っているのだ。

 まあ実際、挟撃ではある。

 背後に居るのは腕の折れた男ひとりだが。

 乱れた隊列に、すかさず王国軍が痛撃を与える。

 先頭に立つ騎士のピンクブロンドは、ここからでもよく見える。

 ティセリウス団長はやはり前線に出てきていた。

 彼女の魔法剣が業火を噴き上げ、魔族の隊列を更に崩す。

 王国軍の中で目立っている者がもうひとり居た。

 亜麻色の髪の騎士だ。

 剣にごうらいを纏わせ、ひと振りで幾人もの敵を切り伏せている。


「エミリー?」


 なぜ彼女がこちら側に来ているんだ?

 俺が疑問を抱いていると、『氷礫フロストグラベル』が魔族に降り注いだ。

 その向こうには、杖を掲げているフェリシアの姿があった。


「良かった。無事だったか」


 あんし、大きく息を吐く。

 折れた肋骨がずきりと痛んだが、どうでも良い。

 フェリシアが無事で本当に良かった。


 そして戦いはいよいよ最終局面に向かっていく。

 陽動に兵を吸い上げられて薄くなった魔族の前線に、王国軍が切り込んでいった。


「よし……俺も行くか」


 もはや、どれがどこの痛みなのか分からないほど悲鳴をあげる体を動かし、高台を下りる。

 そこかしこから上がる火の手に、傷だらけの顔を赤く染め上げられながら、慎重にあたりを見まわした。

 この後方にも敵部隊が戻ってきているため、敵兵の姿があちこちに見える。

 見つからないよう物陰に隠れつつ静かに進む。

 そして比較的軽装で、馬に乗っていて、なるべく部隊から離れている敵兵を探す。


「あいつはムリ。あれもダメだ」


 妥協せず探し続けると、条件に合う一騎が見つかった。

 四騎の部隊の最後尾で、少し隊列から遅れている。


「あれで行こう」


 物陰から近づく。

 馬の奪取は、今日すでに一回やっている。

 あの時は火薬箱を担いでいたが、今は素手だ。

 さっきよりスムーズに行くだろう。

 いや、さっきは色んな骨が折れたりはしていなかったから、そうでもないか?

 まあいいや。やってみれば分かる。やるしか無いんだから。

 そんなことを思いつつ、横合いから一気に襲いかかる。


「!?」


 敵は驚きに顔を歪め、手に持っていた槍を反射的に振り下ろす。

 だが、すでに俺は懐に入っていた。

 槍の柄を右肩で受け、そのまま敵を馬上から引きずり下ろす。


「ぐぁっ!」


 その声に、前方の三騎がふり返る。

 俺は素早く馬に乗り、ターンして前線へ向け走り出した。


「まて貴様!」


 敵の怒号を背に走る。


「上手くいった。やはり実地の体験は活きるな」


 一回目と同じ動きで馬を奪うことができた。

 もっとも、先に懐に入れたから何とかなったが、敵の手にあるのが槍ではなく剣だったらヤバかったかもしれない。

 次からはそこも気をつけるとしよう。

 そのまま、追いすがる敵を連れて走る。

 前方に戦闘中の両軍が見えてきた。

 あそこが最前線だ。

 馬にかかとを入れて隊列へ突っ込む。

 敵は挟撃を警戒していた。だが、最前線の隊列に後方から騎馬が突入してくるという事態は想定していなかったようだ。

 虚を突かれた魔族の隊列を、真っ二つに斬り裂いて突撃する。

 頭を低くし、全速で駆け抜ける。

 自軍の隊列内で矢や魔法を向けてくる者は居なかった。

 それに後方の攪乱で前線の兵力を吸い上げた結果、やはり敵の隊列が薄い。

 結果、俺は敵軍を突破した。

 敵陣内を縦断して、自軍のもとへ辿り着いたのだ。

 王国軍の最前列に、エミリーとティセリウス団長が居た。

 そこへ近づき、馬から降りる。

 もはや足が利かず、下馬に失敗して両膝を着いてしまう。


「あの男、なんで向こうから……?」

「全身ぼろぼろじゃないか……。何があったんだ?」


 王国軍の隊列から声が聞こえる。

 エミリーは茫然としていた。


「ロルフ・バックマン……。やってくれたか」


 ティセリウス団長が言う。

 この人、俺の名前を知ってたのか。

 エミリーに聞いたのかな。

 いや、今それはどうでも良いか。

 どうにも思考がまとまらない。

 だがとにかく俺は、自軍に帰ってきた。


「ロルフ! 大丈夫なの!?」

「はい。大丈夫です、エミリー様」

「そうは見えないぞ」


 ティセリウス団長の指摘は的を射ている。

 血まみれで骨が折れている男は大丈夫じゃない。

 だが、そんなことより重要な話があるのだ。


「問題ありません。それよりティセリウス団長、左翼の部隊を下げてください」

「なに?」

「おい! 突然現れて用兵に口を挟むな!」


 怒声をあげたのは第一騎士団のきょうかく部隊隊長、エーリク・リンデルだ。

 彼も対岸に来ていたのか。


「ここに来る前に奥の高台から地形を確認しました。敵の退路は、左翼側から高台に上がり、奥から駐屯地を出るルートしかありません」

「ならばなおさら左翼は下げられないだろうが!」

「いえ、敵の退路を塞いで彼らをきゅうとしてしまえば、こちらの損害も増大します。敵を退却させるべきです」

「分かった。ボリス! 左翼を下がらせろ! 第二分隊は中央にまわし、残りは後方で再編だ!」

「はっ!」


 ボリスと呼ばれた臨時の副官とおぼしき男が左翼へ伝令を走らせる。

 これには驚かされた。

 ティセリウス団長はあっさり俺の進言を受け入れたのだ。

 エミリーとリンデルも、目をしばたたかせている。


「団長! この男の言葉を聞いてはいけません! この男はまいな加護なしです!」

「エーリク。敵は練度が高いうえ、地の利もある。せんめつ戦などしていては、こちらの損耗が許容範囲を超えてしまう。我々は敵を退却に追い込んで勝つ。これは決定事項だ」

「……っ! 承知しました」


 リンデルを納得させると、ティセリウス団長は剣を振り上げて号令をかける。


「中央の全部隊で、このまま敵を押し込む! ゆけ!」

「おおおおおぉぉぉぉ!」


 部隊を前に出すと、ティセリウス団長がエミリーに向き直る。


「左翼の部隊も中央に回るから、前線の兵力は十分だ。私は駐屯地入口付近まで退がる。メルネス隊長、従卒を連れて貴方も来てくれ」

「分かりました。ロルフ、退がろう。回復班のところへ行こう?」

「はい、エミリー様」


 回復魔法というものは、傷を塞いで出血を止めたり、体力をある程度回復したりはできるが、余程の術士でなければ、骨折などの重傷を治せるものではない。

 正直、今の俺にとっては焼け石に水でしか無い気がするが、ここは素直に従っておこう。


「ボリス、ここの指揮を頼む。敵を消耗させて左翼の撤退路へ追い立てろ」

「はっ!」

「それとロルフ・バックマン。戦いが終わったら、キミには色々訊きたいことがある」

「分かりました」


 ティセリウス団長は、自らのの一団と共に後退し始める。

 俺とエミリーもそれに従った。



 俺は後退の道すがら、エミリーに尋ねた。


「エミリー様、何故こちら側に居るのですか?」

「ロルフが急に走り出すから、私も付いてきたんだよ」

「え?」


 あの時。

 エルベルデ河の増水に気づき、橋へ向かって走り出した俺の後ろに、エミリーも付いてきていたらしい。

 そして爆発の際、俺やティセリウス団長と同様に、エミリーも対岸に飛び込んだとのことだ。


「私はロルフの上官だからね!」


 そう言って誇らしげに胸を張るエミリー。

刊行シリーズ

煤まみれの騎士 VIIの書影
煤まみれの騎士 VIの書影
煤まみれの騎士 Vの書影
煤まみれの騎士 IVの書影
煤まみれの騎士 IIIの書影
煤まみれの騎士 IIの書影
煤まみれの騎士 Iの書影