第二章 ヴァイス、初めての育児 ②


 二日目の朝。


「…………マジか」


 結論から言うと、リリィはおねしょしていた。

 …………まあ、うん。これは俺が悪いんだろう。寝る前にトイレに連れて行くべきだった。意思表示がないからついその事を失念していたんだ。

 汚れた布団と衣類を魔法で急速洗濯し、汚れた身体を風呂場で洗い流し、また適当な布でリリィを巻いた後、俺は外に出ることにした。

 ────そう、リリィの服を手に入れなければならない。

 俺は大通りに出ると、ゼニスで唯一と言っていいまともな女性服屋を目指した。無論店に入った事はないが、店主のホロは知り合いだった。ホロをゼニスに連れて来たのは他でもない俺だからだ。

 ホロは出身であるエルフの国で少しばかり厄介な事情を抱えていて、国を出たがっていた。丁度エルフの国を旅していた俺は偶然ホロと出会い、意気投合し、決して足がつく事のないゼニスにやってきた。

 それ以来俺もこの街を気に入り、こうして住み着いている。数年前の話だ。


「────ホロ、邪魔するぞ」


 木製のドアを開けると、カランカランとしゃた音のベルが鳴った。その音に釣られて奥の方からホロが顔を出す。


「いらっしゃ────ってヴァイスじゃない。え、どうしたのよ。私に何か用?」


 ホロは客が俺だと気付くや、早口にまくてた。その口振りから察するに、どうやら俺の事を客だとは思っていないようだった。その思考は正しいが、間違っている。


「服を買いに来ただけだ」

「ええっ!? 何、アンタ、誰か攫ったわけ!?」

「攫ってねえよ。失礼な奴だな…………買ったんだよ、奴隷を。ゲスの奴から」


 噓でしょ、とホロは目を見開いた。


「ヴァイス、アンタそんな人手に困ってたの? それとも少女趣味? 流石に、嗜虐趣味があるとは思ってないけど」

「どっちでもねえ、ただの気まぐれだ。とにかく、服がないんだよ。詳しくないから一式見繕ってくれると助かるんだが」


 俺はカウンターまで歩み寄り、白貨を五枚ほど置いた。五十万ゼニーあれば恐らくまともなものを着せてやれるだろう。


「これで、いい感じに頼む」


 軽く頭を下げる俺を、ホロは口をへの字にして眺めていた。


「いやいや…………アンタ、ウチの商品全部買い取るつもり?」

「…………なに? 女の服って、そんな安いのか」


 男の物に比べて装飾が多かったり複雑なつくりだったりするから、比べ物にならないくらい高価なんだと思っていたんだが。


「流石に服買うのに白貨はないでしょーよ。金貨が五枚もあれば全身一式どころか二式も三式も用意出来るわよ」

「そうだったのか。イマイチ相場が分かってなくてな。手持ちが白貨しかないからこれでいい感じに用意してくれ。余りは手間賃ってことで構わない」


 俺はカウンターに白貨を一枚残し、残りをポケットに引いた。ホロは遠慮した様子で白貨に目を向けていたが、俺に引く気がないのを悟るや、ため息を一つついてそれを袋の中に収めた。


「出会った時から、アンタの事だけはよく分からないわ…………それで、その子はどんな子なの? ウチに来るってことは女性ではあるんでしょうけど」

「エルフの少女だ」

「歳は?」

「分からん。これくらいだ」


 俺は手を水平にして、大体の身長を伝えた。


「なるほどね。分かった、用意するからアンタはぶらぶらしてなさい。今晩、家に届けてあげるわよ」

「いいのか?」

「量もかなり多くなるから、すぐには出せないもの。察するに今日中に欲しいんでしょ?」

「まあそうだな」


 察しが良くて大変助かる。


「配達料はサービスってことにしとくわ。沢山用意するつもりだけど、それでも白貨の半分くらいにしかならないと思うから」

「そうか、悪いな」


 ホロの出自を考えれば白貨くらいなんてことないはずだが、妙に金銭感覚が庶民的な奴だ。


「どっちのセリフよそれ。じゃ、また夜にね」


 そう言うとホロは店先のプレートを閉店に変え、慌ただしく店内をうろちょろしだした。どうにも俺が邪魔そうだったので、俺は逃げるように店を後にした。




「ヴァイスー、ホロだけどー?」

「ああ、今開ける」


 ドアを開けると、大の男が入れそうなドデカい袋を担いだホロが立っていた。


「それが?」


 目線で袋を示すと、ホロがうなずいた。


「そ。入っていいかしら? サイズ合わないものは持って帰るから」

「ああ、構わない」


 そういえば家に他人を上げるのは初めての事だった。片付けておけば良かったか、と今更少し後悔するも既に遅い。


「お邪魔しまーす」


 ホロはズカズカと上がり込むと、リビングで椅子に座らせていたリリィを見つけ、やかましい声を出した。


「いやーーーん、かわいいー!!!! 確かにねえ、これはヴァイスが少女趣味になるのも頷けるわ…………」

「勝手に少女趣味にすんな」


 ホロは我慢出来ない、というようにリリィに纏わりつくと、ジロジロとイヤらしい目付きで観察しだした。


「────この子、ちょっと変わってるわね。エルフって普通は緑髪じゃない。耳も上向きだしさ」

「そうなんだよ。珍しくてついつい買っちまったんだ」


 リリィの頭を撫でながらホロがつぶやく。

 エルフの国の中でも特別な立場だったホロならもしかしてハイエルフの特徴を知ってるんじゃないかとも思ったが、どうやら思い過ごしだったらしい。絶滅したと伝えられるハイエルフが、実はエルフの国で細々と生き永らえていたという事もないようだ。

 ホロはリリィに巻いていた布をいぶかしげに見つめると、ちらっとめくった。


「うげ…………アンタ、何なのよこの布。下裸じゃない!」

「仕方ねえだろ、服がなかったんだから。事情を理解したなら早くそいつに服を着せてやってくれ」

「…………ったく仕方ないわね。アンタはどっかに引っ込んでなさいよ」

「へいへい」


 ホロのお許しが出るまでの間、俺は寝室に缶詰になった。隣の部屋からは時折「いやー!」だの「かわいいー!」だのやかましい声が聞こえてくる。もしかしたらリリィの声が混じっているかも、と耳を澄ませていたのだが、残念ながら全てホロのきょうせいだった。


「ヴァイスー? 入ってきていいわよー?」


 どれほどの時間がっただろうか、ホロに呼ばれ俺はリビングに足を踏み入れた。

 そこには────


「────おお」

「どう? 可愛いでしょ!」

「…………ああ。これは…………想像以上だ」


 ────フリフリにフリフリを重ね合わせたような綺麗なドレスを着たリリィが座っていた。無表情でなければ、どこぞのお嬢様だと勘違いしたことだろう。


「…………ふふ、やっぱり少女趣味じゃない」

「違う。だが礼を言わせてくれ。ありがとなホロ」

「どういたしまして。それじゃ、私は帰ろうかな。袋の中に色々入ってるから、あとで確認してね。着せ方とか洗い方が分からなかったらいつでも訊いて頂戴」

「…………すまんな、何から何まで」

「それだけのお代は貰ってるから。それに、アンタがエルフの少女を育てるなんて面白いもの。出来る限りの協力はするつもりよ」


 そう言うとホロは帰っていった。

 リビングには俺と、お姫様みたいな格好をしたリリィが残された。

 二日目は、そんな感じだった。


 三日目。

 全てを諦めていた奴隷のエルフも、この辺りでようやく異変に気が付いたらしい。

 …………あれ、何かいつもと違うぞ────と。

 その兆候は、小さな手に現れていた。


「…………お?」


 朝起きると、その事にすぐ気が付いた。

 俺とリリィは一つのベッドでくっついて寝ているからだ。俺は隣で眠るリリィの姿を見て、口の端を吊り上げた。

 ────なんと、リリィが俺のシャツをつかんでいるではないか。片手の親指を口に、もう片方の手で小さく俺の服をつまんでいる。わざとかどうかは分からないが、少なくとも警戒している相手にはそんな事をしないだろう。少しは俺に気を許してくれたのかもしれない。


「…………今日はいい一日になりそうだな」


 どこから手を付けたらいいか分からなかったリリィ育成計画も、何とかなりそうな気がしてきた。リリィの心には少しずつ血が通い始めている。それが分かれば、あとは突っ走るだけだ。

刊行シリーズ

売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにした2の書影
売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにしたの書影