第二章 ヴァイス、初めての育児 ④
「その通りです。ホロさんはよく分かっていますね」
「ほら見なさいよ。…………ま、アンタが家族愛ってのもあんまり想像出来ないけど」
ホロは俺から視線を外し、グラスを軽く揺らす。中の氷がカランと心地よい音を立てた。
「難しく考えることはありませんよ。ヴァイスくんも、その少女に何かを感じたからこそ育てることにしたのでしょう? ならば、心のままに接すればよいのです」
「心のままに、ねえ」
俺がリリィを育てる事にしたのは、リリィがハイエルフだったからだ。それ以上でも以下でもない。心のままにと言われても困るのが正直な所だった。
「ま、丁度いいんじゃない? アンタ可愛げないし。エルフの女の子と一緒にいるくらいがお似合いよ」
「好き勝手言いやがって…………」
俺はグラスを空にすると、カウンターの高い椅子から降りた。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「ここにいてもこれ以上情報は得られそうにないからな」
結局得られたのは「愛情をもって接しろ」とかいう訳の分からないアドバイスだけだった。来た
「ホロはこれで飲んでいけよ」
「あら、太っ腹じゃない!」
俺は金貨を一枚カウンターに置くと、ロレットの店を後にし自宅に急いだ。
◆
「…………愛情、ねえ」
俺はリビングのテーブルに着き、膝の上にリリィを乗せて首を捻った。夜ご飯の時間だった。
愛情って…………一体何だ?
普通に親から愛情を受けてきた俺ですら、その問いに即答する事は出来ない。甘やかすことってーのも違う気がするし。
「ほれ、あーん」
「美味いか?」
「…………」
「…………反応はナシ、と。まあいいけどな」
とりあえず一口食べる度に頭を撫でてみる。スキンシップってのは何か愛情っぽいだろ?
「よーし、またいくぞー? あーん」
もぐもぐが終わったのを確認して、またスプーンを口元に持っていく。リリィはそれを咥え、もぐもぐする。俺はリリィの頭を撫でる。それを何度か繰り返し、食事が終わった。
「次はお風呂いくぞー」
リリィの服が豪華になったので脱がすのが面倒になってしまったが、事前にホロから脱がし方を聞いていた俺はさほど苦戦せずリリィを
水魔法と火魔法を使い一瞬で湯船にお湯を張り、とりあえずそこにリリィを入れる。リリィの長い水色の髪が湯船いっぱいに浮き広がり、うにょーっとなった。
俺は急いで自分の身体を洗うと、リリィを湯船から出し自分の前に座らせた。リリィの長い髪は洗うのに時間が掛かるから、一度湯船で身体を温めてからの方がいいと思ってそうしている。
ゆっくり時間を掛け、俺はリリィの髪を洗い終えた。流石に自分の髪と同じようにという訳にはいかないからな。髪は女の命だとホロから念を押されていた。丁寧に洗ってやれと。
特徴的なエルフ耳の洗い方も少しコツを摑んできて、俺はリリィの全身をピカピカにした。
リリィの身体は元奴隷の割には綺麗だった。ゲスは「こんな奴は売れない」と嘆いていたが、普通に売れたのではと思う。まあ、もう俺の物だがな。
それからは湯船に
「よーし、そろそろ寝るぞー」
本当はまだ寝るには早い時間なんだが、俺達はベッドに入った。
ガキの頃、本当に小さい頃だが、母親と一緒に寝るのが好きだった記憶がある。残念ながら俺はリリィにとっては赤の他人だが、俺はリリィを娘にすると決めた。だから俺が父親であり、母親なんだ。
それから何日間は、そうやって過ごした。
そうすると、リリィの行動に少しずつ変化が表れた。
◆
それは、リリィを買って一週間ほど経った頃の事だった。
目が覚めた俺は、二人分の朝ご飯を作る為にキッチンに移動した。朝ご飯といっても適当に卵を焼いただけのものではあったが。
火魔法をいい感じに調整し、完璧なとろとろ具合の目玉焼きが完成した。俺は目玉焼きを皿に載せ、テーブルに置く為に身体を反転した。その時だった。
「────おわっ!?」
俺は柄にもなく素っ頓狂な声をあげ跳び上がった。だがそれも仕方ないだろう。
なんと、俺のすぐ背後にリリィが立っていたのだ。
────これまで、自分で全く歩こうとしなかったリリィが。
「び、びっくりした…………ど、どうしたんだ? どっか痛いのか…………?」
まさかの出来事に驚きつつも、それを表に出さず、リリィと同じ目線になるように腰を落とし頭を撫でてやる。どうせ無反応だろうな…………と諦めていたのだが、なんとリリィは気持ちよさそうに目を細めた。
「お、おお…………? 何だ、何が起こっている…………?」
何が何だか意味が分からないが、もっと意味が分からないのは俺が今凄く幸せを感じているという事だった。
どうして俺は今こんなに
何故リリィが反応してくれることにこんなに幸せを感じているんだ。
俺はそんなにこの子の事を大切に
「ま、まあいいか…………よし、とりあえずご飯だご飯」
俺はリリィを椅子に座らせると(今まではこれも俺が椅子に乗せていたのだが、今日はリリィが自分で座った)色々な事を考えながら目玉焼きを
俺はすぐホロの店に駆け込んだ。
「おいホロ聞いてくれ! あいつが!」
「ちょっとなんなのよ騒々しい…………ってヴァイスか。今日はどうしたのよ」
ホロは戸棚整理をしていたのか、カウンターの下からぴょこっと顔を出した。
「聞いてくれ! あいつが一人でご飯を食べたんだ!」
「はあ」
ホロはイマイチ気の抜けた
「何だそのやる気のない返事は! 一人でご飯を食べたんだぞ!? 椅子にも一人で座ったんだ。分かるだろうこの凄さが!」
「いや、全然。寧ろアンタのその反応の方がびっくりだわ私は」
「何だと?」
ホロも一緒になって喜んでくれるだろうと確信していた俺は、ホロのローテンションな態度に気持ち悪い
「いやあ…………アンタもすっかり親になったなって思ったのよ」
「何だそんな事か。当然だろう、あいつは俺の娘にすることにしたからな」
「いやいや、私が言ってるのはそういう事実の話じゃなくてね…………ま、いいかこのままで。面白そうだし」
ホロは一人でぶつぶつと呟き、勝手に納得している。意味の分からん奴だ。
「ほら、親はさっさと子供の所に帰りなさいな。商売の邪魔なのよ」
しっし、とホロは払いのけるジェスチャーで俺を追い出した。
「何だよ、ノリの悪い奴」
俺は消化不良な気持ちを抱えながら、ロレットの酒場を目指した。
「そうですか。それは良かったですね」
「アンタもそう思うか。そうなんだよ、良かったんだよ」
ロレットの酒場は昼もやっていて、まともに働いていないロクデナシどもがよく昼から酒を浴びるように飲んでいるんだが、今日は珍しく閑古鳥が鳴いていた。
俺はカウンターに歩いていくと挨拶もそこそこに一番高い酒を注文した。この前飲んだ酒のおよそ十倍ほどの値段だが、今の俺には大した出費に思えなかった。酒が差し出されるや否や俺はそれを一気に飲み干し、ロレットにリリィの頑張りを話してやることにした。



