第五章 ヴァイス、娘の為に奔走する ⑤

 ああそうだ、そういえば私は最初、ヴァイスの事が嫌いだったのだ。ヘラヘラしているのに、私より成績の良い唯一の男。ヴァイスの存在は私にとって大きな目の上のたんこぶだった。嫉妬も混ざっていたように思う。


「髪型ももっと気を使ったら良いと思うけどな。もったいないぞ」


 そんなヴァイスが、ある日大図書館にやってきたかと思えば、私の眼鏡を持ち上げそう言ったのだ。二人きりで話をするのはこの時が初めてだった。


「お前ずっと勉強してるよな。遊びとか興味ないわけ?」


 ヴァイスは私の眼鏡を手で弄びながら言う。


「遊びだと? 下らん。私にはそんな事をしている暇はない」

「ふうん。ジークリンデ、お前クラスの奴らに『魔法書の虫』って言われてるんだぞ」

「事実だろう。構わないさ。それより早く眼鏡を返せ」

「ほいほい…………また気が向いたら来るよ」


 ヴァイスは眼鏡を返すと、軽い足取りで大図書館から出ていった。私はその背中に色々な感情の籠もった言葉を吐き捨てた。


「…………二度と来るな」


 結局それからヴァイスは割と頻繁に大図書館にやってくるようになり、共に過ごす時間が増えた私達はたまに一緒に帰るようになり、いつの間にか私は少しずつヴァイスに心を許すようになっていた。

 初恋だった。




「ジークリンデ、お前表情が硬いんだよ。リリィが怖がるのも無理ないって」


 昨日、ヴァイスに言われたことを思い出す。

 …………私の顔に可愛げがないのは承知していた。恐らくトントン拍子で出世したことに対するやっかみもあるのだろうが、職場でも仏頂面だの無愛想だの散々言われてきた。その手のは慣れたもので、今更反応する気にもなれない。

 だが、想い人に言われると流石にショックだった。


「…………笑顔か」


 部屋の鏡の前で、頰に指を当ててみる。


「…………」


 口は笑っているのに目は全く笑っていない、見世物小屋のピエロみたいな不気味な顔の私がそこにいた。


「…………そもそも面白くないのに笑えるものか」


 私は首を振ると、支度をしてヴァイスの家へと向かった。今日は朝から子守を頼まれている。


 自信満々にヴァイスを見送ったはいいものの、はっきり言って子守をする自信は全くなかった。自分が子供に好かれるたちではない事はこれまでの人生で重々承知している。魔法省代表として参加した魔法学校のイベントで、下級生全員に泣かれたら流石の私でも気が付くというものだ。あれ以来私は魔法学校に呼ばれなくなったしな。

 完全に無為無策の私だったが、唯一の救いはリリィが勝手に遊んでくれていることだ。どうやら私は見ているだけでよさそうだ。


「りりーおえかきするー!」


 リリィがドタバタとリビングを走り回ったかと思えば、紙と鉛筆を持ってテーブルにかじりついた。

 傍に寄り手元を覗いてみる。子供ならではの大胆な筆致で紙に何かを描いているが、それが何なのかは皆目見当もつかなかった。新種の魔物か何かだろうか?


「それは、何を描いているんだ?」

「じーくりんでおねーちゃん!」

「…………そうか」


 新種の魔物だと思ったものはどうやら私らしい。しかしその情報を踏まえた上で改めて覗き込んでみても、やはりその全容は摑めない。一体どこが頭でどこが身体なのか。私は赤髪だが、その絵に赤色は使われていないように見えた。


「…………」


 ────この独特な感性を持つハイエルフの少女は、ヴァイスの娘らしい。

 改めてその事実を認識してみても、それは余りにも現実味がないのだった。

 あいつはいつでも私の予想を飛び越えて、そして私を困らせる。

 けれど何故だか…………それを心地よいと感じてしまう私がいた。


 お腹がいたと騒ぐリリィを連れて、私は行きつけのカフェにやってきた。商業区画のメインストリートにあるこの店は今帝都で一番人気のカフェと言っても過言ではなく、決して広くない店内は老若男女種族様々な客で賑わっている。私達が来た時はすぐ入れたのだが、いつの間にか外には入店待ちの列が出来ていた。


「もぐもぐ…………うまうま…………」


 リリィはフォークとスプーンを器用に使い、シロップがたっぷりかかったパンケーキをどんどん口に運んでいく。パンケーキはこの店の看板メニューで殆どの客がこれを注文するんだが、あいにく私は食べた事がない。甘いものはそこまで好きではなかった。


「美味いか?」

「うん! ぱんけきふわふわ!」


 頰をシロップでべたべたにしたリリィが私に笑顔を向ける。笑顔を返したつもりだが、果たして私はちゃんと笑えているだろうか。


「リリィちゃんはパンケーキを食べたのは初めてなのか?」

「うん。りりーぱんけきはじめて」

「…………そうか」


 私は頭をフル回転させる。

 …………パンケーキ自体は珍しいメニューではない。魔法省の仕事で他の街や村に足を運んだ際、現地のカフェのメニューに載っているのを何度も見た。

 意外な事にヴァイスはリリィの事を甘やかして育てているようだったから、どこかの店でこの手のメニューを一度は頼んでいる方が自然だ。リリィがパンケーキを食べた事がないというのは、少し引っかかった。


「リリィちゃんはこういう店に来たことはあるのか?」


 私がそう問うと、リリィは店内をきょろきょろ見回した。


「えっとね、ほろおねーちゃんのおみせと、ろれっとおじちゃんのおみせはいったことあるよ!」

「…………ホロおねーちゃん? ロレットおじちゃん…………?」

「りりーね、ほろおねーちゃんだいすき! やさしくてね、ぱぱとなかよしなんだあ」

「なんだと」


 リリィは顔を綻ばせて『ホロおねーちゃん』について楽しそうに話してくれる。懐いていたんだろうことは、顔を見るだけで分かった。

 …………そんなことより。


「…………そのホロおねーちゃんというのは、パパとどういう関係だったんだ?」


 …………ヴァイスと仲がいいだと?

 まさか────そういう関係だったりしたのか?

 頭を振って嫌な想像を打ち消す。一瞬の事だったが、それは私の想定以上に心に苦いものを残した。


「んーっと…………ほろおねーちゃんはふくやさんでね、りりーのふくはほろおねーちゃんがくれたんだよ」

「…………なるほど」


 リリィの話が思ったより牧歌的だったので私はほっと胸を撫で下ろした。どうやら一緒に生活していた、などというただれた関係ではないらしい。恐らく単なる店員と客の関係だろう。


「リリィちゃんはここに来る前はどこに住んでいたんだ?」


 私はすっかり気を抜いて、本当はヴァイスに直接訊こうと思っていた質問をリリィにしてしまっていた。

 ────とんでもない爆弾が落とされるとは夢にも思わず。


「えっとね…………ぜにす? っていうところにすんでたよ!」

「…………ゼニス…………だと…………?」


 ゼニス。

 それは────この世界のどこかにあると言われている、悪人の街の名前だった。




「帰ったぞー」

「ぱぱ!」


 玄関のドアを開けるとリリィがぱたぱたと走ってきた。手を広げて待ち構えると、思い切り胸に飛び込んでくる。俺はリリィを抱っこするとリビングに向かった。


「…………ヴァイス。遅かったな」


 リビングではジークリンデがソファに座って本を読んでいた。本に顔を向けたまま、流し目で俺に視線を向けている。テーブルの上にはリリィが描いたと思しき絵が散らばっていた。ちゃんと子守しててくれたみたいだな。


「獲物を見つけるのに手間取っちまってな。今日はリリィを見てくれて助かった」

「構わないさ。私もリリィちゃんと仲良くなりたかったからな」


 ジークリンデは本を閉じて立ち上がるとこちらに歩いてくる。慣れない事をしたせいか、顔には少し疲労が浮かんでいた。


「少しは仲良くなれたか?」

「それは…………どうだろうか。まだママとは呼んでくれないが」

「そりゃそうだろ。俺だってパパと呼んでくれるまでどれだけかかったか」


 初めてパパと呼んでくれた夜は、リリィが寝た後ベッドで一人涙を流したくらいだ。あれは感動したな…………


「りりーね、じーくりんでおねーちゃんすき。ぱんけきたべさせてくれた!」

「だとよ?」

「…………出費の甲斐はあったようだな」

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売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにした2の書影
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