三章 はじめてのレベルアップ ①

 レンは騎士の子でありながら、剣の訓練を開始するまで少し時間を要した。

 その理由は、両親がレンの身体が成長するのを待ったからだ。父のロイが幼い頃に無理をして大怪我をした経験から、無理を避けたそう。

 ロイが「そろそろ剣を振ってみるか」と提案したのは、レンが七歳になって数日後のことだった。


「訓練は午後からはじめる。訓練用の木剣は倉庫にたくさんあるから、好きなものを選んでくれ」


 朝食を取り終えたロイはそう言い、ロングソードを背に土間にある扉から屋敷を出た。

 一応は騎士の称号を持つロイだが、それらしい仕事は年に数回ある男爵への報告のみのため、普段は魔物を狩ることを生業としていた。


(村の安全と収入のため、一石二鳥の仕事だ)


 以前ミレイユも口にしていたことだが、ロイが魔物を狩ることで、この貧乏な村の収入を増やすことにも一役買っている。

 農業だけでは、アシュトン家もこの村も生活が厳しいのだ。


「レンはどうする? 今日も書庫に行く?」

「そうしようと思います。……というわけで、ごちそうさまでした。俺は早速書庫に行ってきますね」


 ロイに遅れて朝食を終えたレンは、母に「ごちそうさま」と告げてその場を後にした。



「さて」


 レンは書庫の前まで足を運び、古臭い扉を開け放ち中に入る。

 アシュトン家の屋敷にある書庫は決して広くない。一人用のベッドを三つも並べれば、他に物を置けなくなるくらいの広さだ。

 調度品は片側の壁一面の本棚が一つと、窓際に置かれた机だけ。

 レンは三歳を過ぎてから毎日のようにこの書庫に通い詰めており、その机に向かうのは日課と言ってもいいくらいだった。


「今日は何を読もうかな」


 机の上には、レンが今日まで文字の読み書きの勉強に使った本が並んでいた。

 レンは口語こそ問題なかったが、この世界の文字を読み書きすることはできなかった。そのため文字の読み書きはミレイユから教わり、一人で本を読めるようになったのはほんの一年前くらいのことだ。

 そのことを思い出したレンは懐かしみながら一冊の本を開く。

 本に書かれているのは、ゲーム時代と変わらぬ地理に関する事柄だ。レンは食休みがてらこの本を読みはじめる。

 最初のページに書かれているのは、この世界にある大陸について。

 中でも、レンが住む国がある大陸からはじまっている。


 この大陸の名はエルフェンと言い、主神エルフェンの名を冠する大陸だ。

 大地は一部を除いて湛えんばかりに肥沃。更に鉱山資源や海産資源に恵まれたこともあって、主神に祝福された大陸と呼ばれている世界の中心である。

 ただ、祝福されていると言っても長い歴史の中では人々の争いがあって、魔王をはじめ、魔物による被害もある。それ故、ほとんどの国は他の国に吸収されるか、滅ぶかのいずれかだった。


 ────けれど、レンが生まれた国だけは例外だった。

 その国は、七英雄の伝説の舞台であるレオメル帝国。エルフェン大陸西方の雄だ。

 レオメルはおうと呼ばれる祖がおよそ千年前に興して以来、数多の戦争において不敗を誇る大国だ。軍事力が他の国々の比ではないこともあり、レオメルに戦争を仕掛ける国は皆無だった。

 加えて、七英雄と呼ばれるレオメル人たちが魔王を討伐したことで、多くの国々がレオメルに恩義を感じ、手出しすることをよしとしなかったのだ。


「それにしても、辺境だな」


 レンは世界地図から目を放し、

 そこに描かれているのはレンが住む村をはじめとして、その領内の情報や、隣接した領地の情報だ。他にもレンが住む村がある領地の名前や、その領主一族の家名も記載がある。

 なお、ゲーム時代も耳にしたことのない名ばかりで、かなりの辺境であると察しがついた。

 この辺りは帝都までも馬車で二か月と少しを要するほどの距離にあり、主君たる男爵が住む都市へ行くにも馬で東に十日前後を要するほどの辺境だ。


 と、それらの情報を再確認したレンが椅子に座ったままうんと背を伸ばした。


「そろそろ勉強しなきゃ」


 もう食休みも十分だ。

 頰を軽くたたいて意気込んだレンは手ごろな本を開くも、今日はいつもと違い、集中力が欠けていた。

 わかっている。午後の訓練が楽しみで勉強が手に付かないのだ。


「……駄目だコレ」


 その後も何度か集中することに努めるも、結果は変わらず。

 諦めたレンは立ち上がると、訓練用の装備がある倉庫に向けて足を進めた。


◇ ◇ ◇ ◇


 午後になって屋敷に帰ったロイは、狩ってきたばかりの魔物をキッチンにある土間に置き、レンが待つ庭に戻ってきた。


「今日も書庫で勉強してたんだって?」

「はい。周辺の地理を勉強してたんですが、地図に領主様の家名とかも書いてありました」

「もうそこまで勉強してたのか。本当に俺が教えることは剣のことくらいみたいだな────ところで、そんな木剣なんてあったか?」


 そう言ったロイの視線の先には、木の魔剣を手にしたレンがいた。


「これじゃダメですか?」

「いや、別にいいぞ。よくそんな小さいのがあったなって驚いただけだ」


 レンが倉庫に行った際、彼は幾本もの木剣を確認した。

 中には木の魔剣と同等の長さの木剣もあったから、それなら────と思い、堂々と木の魔剣を手にしていた。だから腕輪も装備しているが、訓練のために革製の防具をまとっているため、ロイに見られることはない。また、召喚した腕輪と魔剣はレンの成長に合わせて大きさを変えており、身に着けても違和感はなかった。


(念のため、腕輪は隠しておかないと)


 魔剣召喚についてどうしても隠さないといけない理由はないのだが、ゲーム時代のレン・アシュトンの振る舞いを鑑みると、何となくこのスキルを明け透けにすることに忌避感があった。


「それで訓練だが、打ち込んでこい」

「────へ?」


 唐突に発せられたロイの言葉に、レンはきょとんとした顔を浮かべる。


「いくらアシュトン家が騎士とはいえ、こんな辺境で生まれ育った俺は誰かに剣を教えたことなんてなくてな。俺も親父から同じように教わったんだぞ」


 良く言えば実戦主義といったところか。

 剣の扱いを学ぶのに何が正しいのかはレンにもわからないが、ロイがそうして育ったのなら、教え方が悪かったとも言い切れなかった。


「ほら、遠慮しなくていいぞ」


 意外にも、レンの高揚した心はそのままだった。

 レンは木の魔剣を握る手に自然と力を込めると、腰を低くして────


「────わかりました!」


 身体を前に押し出すように踏み込んだ。

 転生してからというもの、これほど力を込めて身体を動かしたことはなかった。ここにきて、自身の身体能力に驚かされる。


「いい踏み込みだッ!」


 レンはロイの声を聞きながら、木の魔剣を大きく振り上げた。

 さすがに自然魔法(小)を試すつもりはなく、ただ全力でロイに向けて振り下ろすのみ。

 が、当たり前のように受け止められる。ロイが真横に構えた木剣とレンの木の魔剣が重なると同時に、強い衝撃がレンの手元を駆け巡った。


「身体が動かなくなるまでつづけるんだ!」

「は……はいっ!」


 気丈に答えたレンは二度、そして三度と踏み込んだ。

 待ち受けるロイに向けて何度も何度も木の魔剣を振り、彼の防御を崩すことを試みる。

 しかし、圧倒的なりょりょくの差と体格差のせいで、崩せる気配は皆無だった。


 それでも────


(なんだろ、楽しいな)


 レンは楽しさをいだし、諦めることなく立ち向かう。やってることといえば待ち受けるロイに対し剣を振るだけの単純作業だったのに、楽しくてたまらなかった。


(楽しいのはきっと、これが俺にとってのレベル上げだから────ッ!)


 努力したその先には、スキルレベルの上昇が待っているはず。

 そう思うと、レンは全身を襲う疲れにも耐えられた。

 息が切れても、ロイの膂力を前に弾き飛ばされても、その先に待つレベルアップのため、諦めずに身体を酷使することができた。


 しかし、いくら志が高くともレンはまだ七歳児だ。

 レンは訓練を開始してから三十分と経たぬうちに全身から力を失ってしまい、最後はあっなく地面に倒れ込んだ。


「……面目ありません」

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