五章 特殊個体(ユニークモンスター) ①

 ヴァイスたちが去った日を境に、ロイの生活はこれまで以上に慌ただしくなった。

 彼はいつもより早く起きて森に行き、いつもより遅く帰宅する。

 そんな日々が一日、そして一週間と経ち、彼の顔にも疲れが目立ちはじめる。


「……あなた。一日だけでも休んだ方がいいんじゃない?」

「駄目だ。例の魔物が村に近づかないよう、餌になる魔物を少しでも多く狩っておかないとな」


 夜の食卓でミレイユが提案するも、ロイは受け入れなかった。

 ロイはあと十三日だけ我慢すればいいと言って笑ったのだ。


(こんなことになるのなら、森に入って魔物と戦う訓練もしておけばよかった)


 悔やんでも仕方ないが、レンはどうしてもそう思ってしまった。

 当然、レンは自分も森に連れて行ってくれ、とじかだんぱんした。

 けれどロイは拒否し、何度頼み込んだところで取り付く島もなかった。


 ……レンは歯がゆく思う日々を更に過ごし、ヴァイスが発ってから十日が過ぎた日の夜。

 この日もいつものように夜のとばりが下りはじめた。

 あかねいろの空が暗闇に浸食されだして、あと数十分もすれば完全に夜になるといった頃合いのことだった。


「母さん。父さんがまだ帰ってきてません。さすがに遅すぎませんか?」


 レンは父が帰らないことを不審に思い、キッチンを訪ねてミレイユに声を掛けた。


「そうね……今日はいつもより頑張ってるのかしら……」


 一度はそう言ったミレイユだったが、彼女もすぐに不安になった。


「でも心配ね。私がちょっと様子を見てくるわ」

「それなら俺が行きますよ」

「駄目よ。もう夜も遅いんだから危ないわ」


 普段と違い有無を言わさぬ声色で言ったミレイユに対し、レンは猶も納得しきれていなかった。

 彼がとっに思い付いたのは折衷案だ。


「母さんが一人で行くのだって危ないです。だから俺は隠れてでも付いていきますよ。ならいっそのこと、一緒にいた方が安全だと思いませんか?」

「はぁ……レンったら。どうしてそう悪知恵が働くのかしら」


 ミレイユはレンをたしなめるだけの話術を持ち合わせていなかった。

 それこそ、無理やりにでも置いていくことも考えたが、レンが言ったように、隠れて付いて来てしまう方が危険だと思い、レンが同行することに対して頷いてしまった。


(夜に外出するなんて、レンになってからはじめてだな)


 キッチンにある土間から外に出ると、この辺りの気候に影響された涼しい風が頰を撫でた。

 風に乗って届く草や花、土の香りが鼻孔をくすぐる。

 いたる所から聞こえてくる虫の鳴き声も、できれば平時に聞きたかった。


「レン、手を貸して」


 二人は手をつなぎ歩きはじめた。


「転ばないように気をつけてね」


 ミレイユがそう言って松明たいまつを揺らした。

 満天の星から注がれる光や民家のあかりは僅かにしか届かなくて、足元を照らすほどではない。

 いまの暗さではほんの数メイル……この世界の単位でメートルと同じなのだが、その数メイル先すらよく見えず、油断すればあっさり足元を奪われそうだった。


 ────屋敷を出てから三十分ほど歩いたところで、左右に松明が置かれた道が見えた。


「森への入り口よ。あそこの川が村と森を隔てているの」


 松明に挟まれた道は木製の吊り橋だった。

 見た目は決して職人の技がかいえるような橋ではないが、太い丸太で組まれた外観から頑丈であることがわかる。


「あの人ったらどこに────あら? あれってもしかして……っ!」


 橋と川の様子を確認していたレンの隣で、ミレイユが橋の先にいた何かに気が付いた。

 レンも倣ってその先に目を向けると、橋を渡った先の木に、人らしき何かが背を預けて座っているのが見えた。

 二人はそれがロイであることに気が付き、すぐに足を進めたのだが、


(……変だ)


 レンにしてみれば、二人が来たというのにロイがほとんど反応しなかったことが不思議でたまらなかった。

 彼が見せた反応と言えば、僅かに頭を揺らしてこちらに首を向けただけ。

 頭を上げてこちらに目を向けることもなく、大きく不規則な呼吸をして肩を上下させている。


「あなた! 心配し────」


 口を開いたミレイユが絶句する。

 それにつづいて、同じくロイの姿に気が付いたレンがハッとした。


「と……父さんッ!?」


 朝、いつも通り元気に狩りに出たロイが身体中から血を流し、地面を赤銅色の血でらしていたのだ。


「ミレ…………ユ…………レ……ン……」

しゃべらないでッ! 急いで屋敷に連れて行くからじっとしてッ!」

「駄……目……だ……」


 震える腕が伸ばされる。

 乾きかけの血に濡れたその腕がレンの肩をつかむも、その手は普段と違い握力が弱い。


「…………行、け……ッ! ……俺の血の臭いで……魔物、が…………ッ」


 たどたどしく言ったロイはそれっきり、ぱたっと動かなくなってしまった。でも、レンが胸元に触れるとまだ鼓動が感じられる。

 だが、レンがロイの鼓動を確認して間もなくのことだ。

 辺りの木々の合間から、興奮した鼻息が聞こえはじめてきた。


『ブルゥッ!』

『ハッ、ハッ────ッ!』

『ブルゥァッ!』


 現れたのは三匹のリトルボアだった。

 大型犬ほどのたいを覆う毛皮は泥に汚れている。それは分厚くてよろいのようにけんろうだった。口元から覗く牙は鋭利で、みつかれたら無傷では済まされないだろう。

 ……ロイが口にしかけたように、彼の血の臭いに引き寄せられたのだろう。


『ァアアアアッ!』


 戦うか逃げるか、レンがそれを迷う暇もない一瞬のことだ。

 一匹のリトルボアがレン目掛けて突進を仕掛けた。


「母さんッ! 父さんを連れて屋敷へ!」

「レンッ!?」

「いいから早く! いま戦えるのは俺だけなんですッ!」


 レンはロイとミレイユの二人を遠ざけるべく、リトルボアへ立ち向かう。

 しかしレンは前世においても、獣と戦った経験はない。人間と違う生物の突進を目の当たりにした彼は、牙を露出したリトルボアを見て首筋に汗を流した。


『ブルゥ────ッ!』


 リトルボアはレンの首筋を目掛けて飛び跳ねた。

 レンは腰に携えていた木の魔剣を横に構え、リトルボアの口を猿ぐつわのようにして押さえた。


「……ぐ、ぐぅ……ッ!」


 が、その勢いを殺しきれず、押し倒されるように地面に腰をつく。

 リトルボアの薄汚れた牙が生臭いよだれを滴らせながら近づく。それはレンの恐怖をあおって止まなかったのだが、彼は必死になって自らを律し、勇気をもって腕を前に押し出した。

 すると驚くことに、リトルボアをあっさり押しのけることができた。


(そうか、父さんとの訓練で俺は随分強くなっていたんだな)


 レンはその勢いのまま立ち上がり、木の魔剣を面前のリトルボアの頭部へひと振り。

 立てつづけに別のリトルボアが飛び掛かってくるも、レンは先ほどと違い、落ち着いた様子で待ち構えた。


『ブォ────ッ!?』


 二匹目のリトルボアの脳天にも、木の魔剣が振り下ろされる。

 リトルボアの分厚い毛皮も、レンの膂力の前には無意味だった。


『ッ…………』

『ッ……ァ……』


 力なく鳴いて斃れた二匹の頭部は、木の魔剣を見舞われた箇所が深くへこんでいる。

 それを見て、残る一匹は情けない声を上げてこの場を逃げ出した。


「レン!? そ、そんなに強くなっていたなんて……っ!」


 ミレイユはロイに肩を貸して歩いていたが、ロイとの体格差のせいか歩幅が狭く、ようやくばしを抜けたところだった。


「こっちはもう大丈夫です! 急いで父さんを屋敷に連れて行きましょうッ!」


 そのミレイユからロイの身体を預かったレンは、駆け足で屋敷への帰路に就く。


 吊り橋を離れ、真っ暗な畑道を進んでいたとき、ミレイユは屋敷が見えたところでレンと別れた。


「私はこのままリグ婆を呼んでくるから!」

「リ、リグ婆ですか?」

「ええ! リグ婆はくすのスキルを持っているから、きっと力になってくれるわ!」

刊行シリーズ

物語の黒幕に転生して7 ~進化する魔剣とゲーム知識ですべてをねじ伏せる~の書影
物語の黒幕に転生して6 ~進化する魔剣とゲーム知識ですべてをねじ伏せる~の書影
物語の黒幕に転生して5 ~進化する魔剣とゲーム知識ですべてをねじ伏せる~の書影
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