五章 特殊個体(ユニークモンスター) ②

 暗い帰り道は寂しさを覚えることがなかった。

 ロイのことを心配するあまり、それどころではなかったのだ。


◇ ◇ ◇ ◇


 屋敷に運ばれたロイの治療が落ち着いたのは、明け方間もない頃だった。

 両親の部屋の扉が開き、中から疲れ切った様子のリグ婆が姿を見せる。


「リグ婆ッ! 父さんはどうなったの!?」


 これまでその部屋の前の床に座り、何かあればすぐに話が聞けるように……と待っていたレンが慌てて立ち上がり、リグ婆に尋ねた。


「……ひとまずご安心を。まだ予断を許さない状況ですが、落ち着いていただくことができました」


 レンは昨晩、ロイを屋敷のベッドに寝かせた際に彼の傷を確認した。腹部は横に深々と切り裂かれていて、ないが押し出されかけていた。

 リグ婆いわく、全身の骨もいたる所が砕けていたようだ。

 だがそれについて、レンは一つの違和感を覚える。


(────俺でも倒せるリトルボアを相手に、父さんが後れを取るとは思えない)


 とあれば、ロイは例の魔物と戦ったのだろう。

 ロイは辺りの森を知り尽くしているだろうし、無茶な場所までは足を踏み入れないはず。だから騎士団長のヴァイスが言っていた魔物が比較的村の近くに現れた、レンはこう思った。


「……その、父さんの傍に行ってもいい?」


 リグ婆は頷いて、また昼過ぎに様子を診に来ると言って屋敷を後にした。


 レンが両親の寝室に足を踏み入れると、そこでは大きなベッドにロイが寝かされていた。

 その姿は真っ白ではない薄汚れた包帯が全身に巻かれていて痛々しい。顔を見れば彼の目は閉じられていたが、胸元を見れば、呼吸に合わせて弱々しく上下していた。


「この人が起きたら教えてあげないとね。レンが居てくれたから私たちは助かったんだ、って」


 ミレイユはベッドの横に置かれた丸椅子に座り、リグ婆同様に疲れた表情を浮かべていた。

 レンはその様子を視界に収めてから、もう一度父の姿に目を向ける。

 父はこの村を預かる騎士の務めを果たしたのだ。だがその父が重傷を負ったいま、村を守れる存在は居るのだろうか。

 自問したレンは、「そんなの、俺しかいないよ」と心のうちで自答する。


「……母さん。明日からは俺が父さんの代わりを務めます」


 まだ幼い息子の声を聞き、ミレイユは慌てて丸椅子から立ち上がった。


「だ、駄目よ! 頭のいいレンならわかるでしょ!? きっと、お父さんを襲った魔物はリトルボアじゃないのよ!?」

「俺もそう思います! けど────ッ!」

「けどじゃないわ! レンはお父さんに勝てないのに、お父さんが勝てなかった魔物が現れたらどうするの!?」


 レンはその正論を前に「うっ」と押され気味になったが、ここで引くことは考えなかった。


「いくら父さんでも無茶はしません。なのにこんな重傷を負ったということは、例の魔物が予想以上に村の近くに現れたというです」

「それは────っ」

「だから、もう迷っている暇はありません」


 ……それに、


「アシュトン家に生まれた俺には、父さんと同じくこの村を守る義務があるんです」


 息子の言葉にミレイユは遂に黙りこくり、その姿を見たレンの心がチクッと痛んだ。

 だが撤回はしない。アシュトン家に村を守る義務があることは、男爵家の騎士団長であるヴァイスも口にしていた。


「村の皆を連れて逃げることも考えましたが、村の外で魔物が現れるのは間違いありません。ですが結局のところ、村の外に避難しても、戦えるのは俺だけなんです」


 男爵の増援が来るまで、村の中で耐え忍ぶのが最善なのだ。


◇ ◇ ◇ ◇


 ミレイユは認めざるを得なかった。レンが言うように、彼にも騎士の子としての役目があることは事実であり、その言葉を覆せる言葉を持ち合わせていなかったからだ。

 だが、無理はしないように、とレンに強く言った。

 またレンには、吊り橋を過ぎてから歩いて三十分の距離までが許された行動範囲となった。異変を感じたら迷わず村に帰ることと、夕方になるまでに帰ることが併せて約束させられた。


「お、あった」


 ロイの治療が落ち着いてから数時間後、レンは森につづく吊り橋を渡ったところにいた。

 昨夜討伐して以来、ここに放置したままだった二匹のリトルボアの死体を取りに来たのだ。

 リトルボアの素材を売り物にすることはもちろんのこと、死体を放置したことで、ロイを傷つけた魔物をおびき寄せることを避けるためだ。


「よっ……っと」


 身体能力UP(小)の恩恵により、横たわっていたリトルボアをまとめて両肩に持ち上げることができた。

 獣臭さが鼻を刺すが、こればかりは我慢するしかない。

 などと顔をゆがめていると、


「え────?」


 リトルボアの胸元から温かい何かが流れ出てきた。

 レンはそれを流血かと思ったが違う。リトルボアの死体を地面に落とすと、死体の胸元から光る粒子のような、オーロラのような何かがレンの腕に向けてゆっくりしょうしていた。

 驚くレンが革の防具を外して腕輪を見ると、そこには待望の変化が訪れている。





 魔剣召喚術と木の魔剣が熟練度を〝2〟ずつ取得していた。


「……やっぱり、自分で倒した魔物の魔石じゃないといけなかったんだ」


 こんな形で予想が正しかったと判明しても、素直に喜ぶのは難しい。

 できればロイが元気なときに共に森に出向き、彼に見守られながらリトルボアを倒すことで判明させたかったものだ。

 レンは嘆息の中に僅かな喜びをにじませて、リトルボアを担ぎ直す。


「……近いうちに木の魔剣も試しておかないと」


 だが今日は今から屋敷に帰るから、試すのは明日になるだろう。

 明日からが森に入る本番だと思うと、レンの心もより一層引き締まった。


◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝はいつもより早く目が覚めたから、そのまま支度をして森に向かった。


『ツルギ岩を見れば方角がわかるのよ』


 屋敷を出る前にミレイユからいただいたありがたい助言である。

 ツルギ岩と言うのは、以前ロイが説明していた剣のように伸びた大岩のこと。

 そのツルギ岩だが、森に入って一時間半も進んだところにある。このことを思い出していたレンは、今日成すべきことを再確認する。


ここから三十分以内の範囲で魔物を狩るだけだ)


 意を決して森に足を踏み入れる。

 枝々が揺れ、葉が擦れ合う音が耳に届いた。他に聞こえるのは鳥のさえずりと、まだ近くにある川を流れる水の音だけ。


「うわぁ……」


 地面のぬかるみに足を奪われ、泥が靴の中に入り込んだ。

 不快な感触に頰がってしまう。

 泥を払っていると、いつの間にかヒルとおぼしき生物がレンの腕を上っていた。こんな森だから居ても違和感はないのだが、やはりこちらも不快な感触が肌を伝う。

 ヒルはまだレンの腕に嚙みついていなかったようで、簡単に手で払い落とせた。


「これが本当の……」


 しょうもないことを言い照れくさくなって天を仰いだ。

 レンはつづけて泥もはらえると、さっきまでと違い重い足取りで歩き出す。

 疲れたわけではない。こんなときに馬鹿なことを言ってと自嘲していたのだ。


 ────そうしていたら不意に草むらが大きく揺れ、泥まみれのリトルボアが飛び出してくる。


『ブルゥッ!』

「また急な……!」


 野生の獣は警戒心が強いと言うが、このリトルボアはそうじゃない。

 そもそも魔物だから獣と同一視すべきではないのだろうが、まさか一匹でも勇猛果敢に迫ってくるとは。

 けれどレンは、迫るリトルボアに一切ることなく木の魔剣を振り上げて────


『ブウァッ!?』


 脳天へと、鋭い一振りを見舞った。


「初日の戦いが呆気なく終わってしまった」


 そう言うと、リトルボアの身体を肩に担いだ。

 すると、昨日のようにリトルボアの胸元から温かい何かが溢れ出た。すぐに腕輪を確認してみると、魔剣召喚術と木の魔剣の熟練度が〝1〟ずつ増えている。


「そういや、空になってるって言ってたっけ」

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