五章 特殊個体(ユニークモンスター) ④
その隣にいたミレイユがそっとレンに手を伸ばすと、少し汚れた床に膝を突きレンの身体を抱き寄せる。
……その身体は小刻みに震えていた。
「父さんに何かあったんですね」
レンの身体を抱くミレイユの腕に力が込められた。震えが更に増していく。
「母さん。俺にできることはありませんか?」
「……ないわ」
「何でもいいんです。俺にできることがあれば何でも────」
「ないの。私にも、リグ婆にだってできないのよ」
「────どういうこと、ですか?」
食い気味に説明したミレイユはレンと顔を見合わせた。
彼女の瞳から
「……夕方、リグ婆が様子を見に来てくれてからすぐ、お父さんの容態が急変したのよ」
気丈に言葉を紡ぐミレイユ曰く、ロイの容態は瞬く間に悪くなっていき、いまでは貴重な薬草をふんだんに用いて、ようやく生命を維持できているのだとか。
けれど、その薬草も今晩のうちに使い切るだろう、という。
「奥様ッ! 私の家にある調合箱を持ってきてくださいッ! 旦那に聞けばわかりますので、お願いしますッ!」
そこへ、リグ婆が扉から顔だけ覗かせて言った。
「レンはリグ婆の邪魔をしないで、お部屋で静かにしていてね」
ミレイユは悲痛な表情を浮かべながらも
レンはリグ婆が部屋に戻った後で、遠慮なくその部屋へ足を踏み入れる。
ミレイユには自分の部屋にいるよう言われたが、話を聞かずにはいられなかった。
「リグ婆ッ! 必要な薬草って、この近くには生えてないのッ!?」
「この辺りにはもう自生していませんよッ! 昔はツルギ岩のふもとに生えていましたけど、十数年前の寒冬で全滅してしまったみたいですからッ!」
発せられた返事はミレイユの返事と違い明らかに煩わしそうだった。
ロイを助けるために精一杯なときに、邪魔をするかのように声を掛けられたら
(薬草の特徴は……)
レンはリグ婆が調合する前の薬草を見た。
幸い、煎じられる前の薬草も置いてあったから、どういう薬草か見て取れる。
それは
(────薬草って、ロンド草のことだったのか)
ロンド草というのは、七英雄の伝説におけるごく一般的な薬草だ。
田舎生まれの主人公でも容易に買える程度の品なのだが、レンが住む村は田舎どころか相当な辺境で、冒険者や商人が滅多に寄り付かない最果てにある。
この村にもいくらかの備蓄はあったようだが、満足な数はなかったらしい。
(何度も使ったアイテムだ。見間違えるはずがない)
リグ婆が口にしたロンド草の全滅という言葉を、レンは自分の目で確かめるまで信じることができなかった。
だから、こんなところでじっとしてはいられない。
でも、恐れもあった。
こんな時間から森に入ることに加え、例の魔物の脅威が消え去っていない。
なのにツルギ岩まで足を運ぶ……怖くて当然だ。
(……迷ってる場合かよ)
自分が何もしなければ父は死ぬ。
レンは握り拳に力を込め、勇気を振り絞って決断した。
それからリグ婆に何も言わずにロイの部屋を出て、ふと、畑道を駆けていく母の姿を窓の外に見つけた。
「……ごめんなさい、母さん」
その後ろ姿に一言謝罪したレンは森を見る。彼は一人頷くと、視線の先にある森の更に奥に目を向けた。
その先にそびえ立っているであろうツルギ岩を目指して、勢いよく屋敷を飛び出したのである。
◇ ◇ ◇ ◇
────森に入ってしばらく経てば、鬱蒼と生い茂っていた木々が減り、徐々に道が開けてきた。
幸い、ここまでリトルボアに遭遇していない。レンが普段と違い殺気立っていたため、リトルボアが恐れをなしていたのだ。
それから更にレンが足を進めること、数十分。
(やっとだ)
森を抜け、たどり着いたのは開けた平地だった。
そこには小さな湖があって、逆さに生えた
でも、どうやってツルギ岩に向かえばいいだろう。
ツルギ岩のふもとは立てる場所があるが、辺りが水に囲まれている。
湖は深すぎるというほどではないが、レンくらいの少年の背丈は優に超す深さだった。
それは、大人でも船を使う方がいい深さである。
しかしレンは木の魔剣の存在を思い出し、それを振り下ろすことで、ツルギ岩までつづく木の根の道を作り出す。
その即席の道を歩いて渡ってから、地面にロンド草が生えていないか見渡した。
(やっぱりないか)
僅かな希望に懸けてみるも、リグ婆に聞いていた通り見あたらない。
レンは次に、ほぼ直角の岩肌を誇るツルギ岩を見上げた。ここでも木の魔剣を振り、今度はツルギ岩の側面にツタを生やした。
「おおー……すっごく便利」
身体能力UP(小)さまさまだと思いながら、順調に登りつづけた。
幸い、高所や滑落に対する恐怖を抱くことはなかった。
十数階建てのビルほどの高さがあるツルギ岩を素手で登るなんて、きっと前世なら到底不可能だった。
このことを自覚したレンは途中で息を吐く。
ちょうど腰を下ろせそうな場所を見つけたところで手足を止め、額の汗を拭い上を見上げた。
「あれは────」
もっと上、恐らく頂上付近を見ていて気が付いた。
星明かりに照らされて夜風に揺れる葉を見たレンは、無意識に頰を緩ませる。
「まだ全滅はしてなかったみたいだよ、リグ婆」
五芒星を思わせる葉の形が、夜風で悠々と揺れている。
レンは活気を取り戻し、飛びつくようにツタに手を伸ばした。岩肌を登る速さはこれまでと比べて更に早く、前へ押し出される足と足の幅も広い。
僅かに息が切れはじめたが足は止めず、登ること更に数分。
「────間違いない! ロンド草だ!」
ロンド草はまだ残されていた。ツルギ岩の頂上にある
どの程度の量が必要となるのかレンにはわからないが、決して少なくない量があったのだ。
しかし、それと同時に不穏なナニカを見つける。
ロンド草が生えた場所から少し離れると、獣のものと思しき骨が散乱している。
レンが思わず近づいて確認すると、それらはリトルボアのものであるとわかった。散乱しているのは骨に
「…………」
無意識に作っていた握り拳に汗が浮かぶ。
リトルボアではツルギ岩を登ることなんてできやしない。そして、この辺りに空を飛ぶ魔物が生息することも聞いたことがない。極めつきは、辺りに散乱した宝飾品の数々である。
……レンの脳裏に、とある魔物の名前がよぎった。
(急がないと)
最悪の予感がした。
それから急いでロンド草を採取して、今度はツタを頼りに下りていく。
急いでふもとまで下りきったレンは冷静に周囲を見渡し、木の根を足場にして水面を歩く。
いつの間にか乱れていた呼吸をどうにか整えて、木の根の道を渡り切ってから額の汗を拭った。
(急いで森を抜けないと……ッ)
一歩、急ぎながらも音を立てぬよう足を前に押し出したところで、
『ッ!』
『ブルゥ……ッ!』
『ガァアアッ!』
三匹のリトルボアが
「こんなときに……ッ!」
レンはリトルボアが怯えたまま襲い掛かってきた事実に若干困惑しつつ、目立つ声を上げられたことに苛立ちながら木の魔剣を振る。
もちろん、苦戦は論外だ。
瞬く間に三匹を討伐したレンはそれらの死体に目もくれず、この場を離れようとしたのだが、
『────』
不意に夜風が止む。
レンの面前、さっきまで夜風に揺れていた草々の上へと、彼の背中越しに巨大な影が現れた。
背中越しでは月明かりによるシルエットしか見えなかったけど、レンはこれまで例の魔物と言い表してきた存在の正体がわかった。



