五章 特殊個体(ユニークモンスター) ⑥
レンはなんとか身体を旋転させて食いちぎられることを避けるも、その横っ腹から鮮血が舞う。
(薬草を使って────いや、駄目だ……ッ!)
痛みで脂汗が浮かんできたけど、薬草の量に余裕があるかわからないからロイを優先した。
だがそれでは、先にレンが倒れてしまうのが落ちだ。
何か決め手が……この場を打開できる力があれば……と悩むレンが額の汗を拭おうと手を伸ばしたところで────
ふと、腕輪の水晶が目に入った。
夕方になる頃、屋敷に戻りながら確認したことを思い出す。
・木の魔剣(レベル1:97/100)
これだけじゃない。
重要なのは、もう一つの方だ。
・鉄の魔剣(開放条件・魔剣召喚術レベル2、木の魔剣レベル2)
あと三匹分のリトルボアを倒し、魔石の力を腕輪に吸わせれば鉄の魔剣が開放される。
そしてそのリトルボアも、つい十数分前に倒したばかり。
ただ、あのときは魔石を吸収する余裕なんてなかったから、この思い付きを実行する気にもなれなかったのだ。
『ガァアアアアアッ!』
空を揺らす咆哮に怯まず、レンは熱を持つわき腹を押さえながら懸命に走った。
「はぁっ……はぁっ……止まってろ……ッ!」
脳天への一撃のダメージが残るシーフウルフェンの周りを数多くのツタで囲い、その隙にツルギ岩に向かって足を動かす。
途中、何度も同じようにシーフウルフェンを妨害した。
魔力は枯渇に向かい、ただでさえ流血が激しいせいで視界がかすむ。
それでも懸命に足を動かしたことで、遂にツルギ岩が……その周囲を取り囲む湖が見えた。
目的だった三匹のリトルボアの存在も確認したレンは、身体に残された力をここぞとばかりに振り絞った。
そして……届く。
シーフウルフェンに食いちぎられるより先に、レンがリトルボアの元へたどり着いた。
彼は腕輪を装備した方の手を伸ばし、
「ああああああぁぁぁぁッ!」
絶叫を上げた。
一つ、そして二つ。最後に三つ目の魔石の力を腕輪に吸わせると、腕輪に埋め込まれた水晶玉が
腕輪に目を向けたレンは、目的の文字を見逃さない。
・鉄の魔剣(レベル1:0/1000)
レベルの上昇に応じて切れ味が増す。
特別な力はないのかとレンは焦ったが、鉄の魔剣がただの剣より切れ味があることを祈った。
『グォォオ……ッ』
レンは振り向きざまに木の魔剣を放り投げる。
それはシーフウルフェンの額に衝突する直前で躱され、四本の尾の真後ろに落ちた。
『ガァァアアアアアアアアアアアアアアッ!』
振り上げられた両足の先に生えた爪が星明かりに照らされた。
そのシーフウルフェンの背後に落ちた木の魔剣から、幾本ものツタが現れ、シーフウルフェンの上半身を縛る。
それでも強引に迫る殺意に満ちた牙を目掛け、レンは────
「これが俺の────ッ」
シーフウルフェンに負けじと、闘気に満ちた双眸を向けた。
すると木の魔剣が消え、レンの傍の何もない宙がヒビわれた。そこから現れたのは、持ち手から剣先まで
『ッ!?』
間もなくツタも消え、上半身を縛られていたシーフウルフェンは不意に訪れた自由に困惑する。
レンはその隙を狙い澄まし鉄の魔剣を下段に構えると、切っ先を上に向け、
「最後の力────だぁあああッ!」
臆することなく、牙の奥へ
その切っ先はシーフウルフェンの強固な頭蓋を中から貫通して、鮮血を滴らせながら夜風を浴びる。
鉄の魔剣が通った後には、青白い
『ガ……ァ……ッ……』
弱々しく鳴く白狼。
その魔物は六つの瞳から光を失い、静かに瞼を閉じて横たわった。
同時にレンは、腕輪へ魔石の力が吸われていくのを感じた。
「やった……」
すると、レンもまた自然と横たわる。
視界がかすむ。見えるすべてが夜の帳に負けじと黒に染まりつつあった。
レンはそれでも鉄の魔剣を
鉄の魔剣は姿を消し、腕輪もまた姿を消した。
うつぶせに倒れたレンの瞼が静かに閉じられていく。
────父さん、母さん、ごめんなさい。
レンが意識を手放すその直前、彼はそう呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇
数分と経たぬうちに、ツルギ岩の周囲に
「先ほどの咆哮はこちらから────た、隊長ッ!」
「どうした!」
「あちらの湖のほとりを! 標的と思しき魔物の姿と……しょ、少年……でしょうか……?」
現れたのは、クラウゼル男爵家の騎士が五人。
彼らは倒れたレンと、その横に斃れたシーフウルフェンの傍に駆け寄ると、一斉に馬を下りる。
隊長と呼ばれた男は地面に膝を突き、レンの身体を抱き上げた。
「……よかった。まだ生きている」
が、レンの身体から溢れ出る血潮が留まることを知らない。
そのことに気が付いた隊長は自身の懐から小瓶を取り出し、その中にある液体をレンの腹部にかけた。腹部にかかった液体は仄かに青白く光り、溢れ出る鮮血を押し留める。しかし十分ではないと思ったのか、隊長はレンの服を剣で裂き、それを包帯代わりにレンの腹を押さえつけた。
一方で、他の騎士たちが驚きの声を上げる。
「これはシーフウルフェンじゃないかっ!?」
「た、隊長! シーフウルフェンですッ! 正体不明だった魔物はシーフウルフェンのようですッ!」
彼らの声を聞いた隊長が驚愕する。
「ッ……馬鹿な。これほど幼い子が、一人で討伐できる魔物ではないぞッ!?」
しかし驚いてばかりいられない。隊長は一刻も早くレンを治療しなければと思い、レンを馬に乗せるべく担ぎ上げた。
すると、レンの懐から薬草が零れ落ちたのを見て、一人の騎士が勘付く。
「もしや隊長、この少年は団長が言っていた……」
同じように隊長もハッとした。
「ああ。この子は恐らくアシュトン家の一人息子だ。彼の父の身に何かあったのかもしれん。ロンド草を求め、たった一人で森に入ったのだろう」
「でしたら、我らも早く到着した甲斐がありましたな」
「そのようだな。────誰かシーフウルフェンの
蹄鉄の音が再度鳴り響く。
普段は静かな村に木霊したその音は、徐々に徐々にアシュトン家の屋敷へ近づいていく。森を抜けて吊り橋を進み、畑道を過ぎてその屋敷が見えてくる。
やがて、レンを乗せた馬が屋敷の前で止まった。
「我らはクラウゼルより参った騎士であるッ! 誰ぞ
隊長は馬を下り、レンの身体を慎重に抱き下ろしながらそう叫んだ。
するとその声を聞き付けて、屋敷から鬼気迫る様子でミレイユが外に出てくる。
「
「時間がない故、挨拶はお許し願いたい! この子の部屋へ案内を!」
「え、ええ……っ! こちらです!」
レンは自身の部屋に運ばれると、すぐに騎士たちが治療をはじめる。
騎士たちは戦いで生じた傷を治療すべく、その術を学んでいるのだとか。ミレイユは治療の邪魔になるため部屋を追い出され、廊下で
そこへ隊長が足を運ぶ。
「
「……ええ。夫の容態が急変して……」
隊長はやはり、と思った。
彼は懐に手を差し込み、ロンド草を取り出す。
「このロンド草は、彼が大事そうに持っていたのです」
「っ……レン、あなたはまさか……っ」
それを聞いたミレイユはすべてを悟り、泣き崩れた。
腰から力が抜けてしまいそうになったけど、隊長の言葉でそれは止まる。
「奥方。ご子息の
ハッとしたミレイユは扉の奥で治療されているレンのことを想い、ぎゅっと唇を嚙みしめた。彼女はその扉に背を向けると、
「レン……お母さん、すぐに戻ってくるからね」
こう言い残し、ロンド草を必要とするロイの元へ向かった。



