六章 聖女襲来 ⑥

 吐息を感じられそうなほど、まつの一本一本を数えられそうなほど近くで、じっとリシアを見つめながら言った。


「……まだ、負けてないもん」


 緊張か、それとも羞恥か。

 リシアは顔を弱々しく震わせ、目元を潤ませながらか弱い声で言う。

 一方でレンはと言えば、やはり頰を引き攣らせていた。


(ま……負けず嫌いにもほどがある)


 結局レンは、剣を下ろして距離を取った。

 今回はそれで追撃を仕掛けてくる様子もなく、刹那に敗北まで追い詰められた事実にだ驚いているようだった。

 そこへ、拍手の音が響き渡る。

 その音と共に、ヴァイスが何人かの騎士を連れて足を運んだ。


「神聖魔法を用いたお嬢様に完勝するとは。さすが、幼くも単独でシーフウルフェンを討伐した英雄だ」

「我々も驚きましたぞ!」

「うむ! やがてはレオメル中に名を轟かす騎士になるかもしれませんな!」


 騎士たちが驚き、讃える声の後で、


「だから言っただろう? レン殿は本当に強い方なのだ」


 最近、この村に駐留している騎士が楽しそうに言った。

 更にヴァイスが繰り返す。


「すまなかったな、少年。この者らも言ったように少年は強い。その強さをお嬢様にもよく理解してほしかったのだ」


 所詮、アシュトン家はクラウゼル家に仕える家系だ。

 そのお嬢様のためと言われると、レンは何も言い返せない。


「さて、お嬢様。この少年の強さは骨の髄まで理解できたはずです」

「…………」

「お嬢様はお強い。しかし少年は、お嬢様と比べて恵まれない環境下で強くなった。裏を返せば、お嬢様も更に努力を積むことで少年に追いつけるかもしれない、ということになりましょう」


(追いつくどころか、あっさり追い越されそうだけど)


「おわかりいただけたなら、屋敷に帰ってからはこれまで以上に励まれるとよろしい」

「ええ……わかってる」


 リシアはそう言ってレンを見る。


「今日は急に来てごめんなさい。でも、すごくいい経験ができたわ」

「あ、ああ……こちらこそ、いい経験ができました」

「────クラウゼルに来てくれたら、毎日立ち合えるわよ?」

「残念ですが、それとこれとは話が違います」


 依然として首を縦に振らないレンを見て、リシアがくすっと口元を綻ばせる。すると彼女はレンに背を向け、屋敷に戻って行った。


「本当にすまなかった。どうか許してくれ。ご当主様にも、アシュトン家に世話になった旨は確かに伝えよう」

「別に大したことはしてませんよ」

「いいやしたとも。そうだろう? お前たち」


 かぶりを振ったヴァイスが部下に話しかけた。


「お嬢様にとって、いい刺激になったのではないでしょうか」

「ええ。我ら相手では、訓練をするのもつまらなそうでしたからな」

「少年よ、この者らが言ったとおりだ。────できればあと数日は滞在して、少年にはお嬢様に付き合ってもらいたかったのだが……」


(ものすごく遠慮したい)


「しかし、明日の朝には発たねばならんのだ」


 想像していたより出発が早い。

 これにはレンも驚き、同時に喜びを覚えた。


「お嬢様はこの村に来るためにご当主様を説得なさってな。アシュトン家へ褒美の話をする以外にも仕事がある。周囲の村々を巡り、此度の騒動で生じた動揺を抑えねばならんのだ」


 リシアにはレンと会うという目的はあったが、代わりに、対価となる仕事をクラウゼル男爵に提示していた。領主一族の一人娘としての義務は忘れていなかったのだ。


(ほんと、根は立派で素直ないい子なんだけどな)


「また明日の朝にも礼をさせてくれ」


 ヴァイスは執事然とした振る舞いで頭を下げ、部下を連れてレンの元を立ち去った────と思いきや、先に立ち去ったはずのリシアと共に戻ってくる。


「ねぇねぇ、後でヴァイスを連れて部屋に行ってもいいかしら」


 また唐突な、と驚きながらレンが尋ね返す。


「どうかしたんですか?」

「せっかくだから、貴方が普段どんな訓練をしてるのか聞きたいわ。ヴァイスも気になってるみたいなの。だから、ちょっとだけ夜更かしに付き合ってくれる?」


 レンが落ち着いて「構いませんよ」と言えば、リシアは頰を綻ばせて「よかった」と喜びをあらわにする。

 素直に喜ぶリシアの姿はきよく可憐で、まさに聖女然としていた。


◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝のリシアは日の出とともに目を覚ました。

 彼女はまだレンと立ち合いたかったが、残念なことにもうこの村を発たなければいけない。

 後ろ髪が引かれる思いだったのだが、仕方なく帰り支度に勤しんでいた際────


「────そうだわ」


 リシアはあることを思い付く。

 昨日、クラウゼルに来るよう頼むも首を縦に振らなかったレンに宛て、自分がどれくらい本気なのかを手紙に残すことにした。

 そのためにリシアは、自分の荷物の中から一枚の羊皮紙と封筒を取り出す。

 それから客間にある机に向かい、ペンを手に取った。


「えっと……なんて書けばいいのかしら……」


 問題となるのは、リシアが他人に手紙を書いた経験に乏しかったことだ。

 実際、あるにはあるのだが、そのすべてが事務的な挨拶の手紙ばかり。今回のような手紙は一度も書いたことが無かった。


 だけど、リシアは懸命にペンを滑らせる。

 ……手紙を書くことも貴族のたしなみだ。

 リシアはどこか詩的な文を、男爵令嬢として恥じることのない達筆さでしたためる。満足できる手紙を書き終えたと思ったところで息を吐けば、


『お嬢様。私です』


 部屋の外からヴァイスの声が届いた。

 リシアが「入っていいわ」と言えば、彼はすぐに部屋の中へ足を踏み入れる。

 すると彼は、リシアが手紙を書いていたことに気が付いて傍に来た。


「アシュトン家へのお礼でしょうか」

「ううん。それもいまから用意するけど、こっちは別の手紙よ」


 では何の手紙だろう? と首をひねったヴァイスはリシアに手紙を渡される。


「せっかくだから、ヴァイスも確認してくれる? これ、私があの子に用意した手紙なの」

「なるほど、少年への手紙でしたか」

「ええ。どうしてもクラウゼルに来てほしいから、帰る前に渡そうと思って」


 認め終えて間もない手紙を受け取ったヴァイスは、言われるままに目を通す。

 一方でリシアは新たな羊皮紙を取り出して、アシュトン家への礼を認めるべくペンを滑らせはじめた。


 こちらに関しては、レンに宛てた手紙と違って筆が進む。

 やがて、その手紙を書き終えたところで。


「どうかしら?」


 リシアは立ったままのヴァイスを見上げ、レンへの手紙の感想を求めた。


「……いやはや、何と申し上げればよいか」

「何よ。誤字でもあった?」

「い、いえ……文字や文章そのものに問題はございません」

「それじゃ、何が問題だったの?」


 いつになく言いよどむヴァイスへ、リシアは僅かに眉をひそめながら言う。

 するとヴァイスは、観念した様子で言いづらそうに口を開く。



「お嬢様、これでは恋文ですぞ」



 それを聞いたリシアは目を点にして、十数秒の沈黙を交わした。


「恋文ですって?」

「はっ。こちらの手紙を拝見したところ、まるで恋文のようだと感じた所存です」

「……教えて。どこが恋文みたいだったの?」


 再度尋ねられたヴァイスはやはり言いづらそうだったけれど、あくまでもいつも通りに凛然としたリシアに言われ、無視できず答えることにした。

 だが、平静を装うリシアの胸は、密かに早鐘を打っている。


「たとえば、『私が貴方に抱くたかぶりは、出会う前以上のもの』とありますが」

「こ、言葉通りじゃない! 会う前からすごいと聞いてた子が、実際に会ったらもっとすごかったって言ってるだけよ!」

「お考えは理解できますが、これでは恋い焦がれる女性のようです」

「っ~~!?」

「それと、」

「ま、まだあるの!?」


 遂にリシアは頰を赤らめ、この話がつづくことに驚愕した。


「他にも、『その勇猛さが、雄々しさが、凛々しさが、私に貴方を諦めるなと語って止まない』とございますな」

「事実じゃない! あんなにすごい剣を見せられたら、何度だって立ち合いたいもの!」

「しかしながら、これでは英雄を目の当たりにした町娘のようですぞ。お嬢様も読み返せばご理解くださるかと」

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