七章 大国の派閥争いと、巻き込まれたレン ①

 リシアが去ると同時にレンの日常が戻った。

 見送りをしたためいつもより遅い時間だったけれど、彼は朝の新鮮な空気を堪能していた────のだが、


「なんだあれ」


 慣れた足取りで畑道を抜けてから、森へ通じる吊り橋の手前で事が起こる。

 よく見かける小鳥たちが傍に生えた木の枝で盛大に鳴き、何かを奪い合うように互いを威嚇し合っていた。

 その様子に首をひねったレンは、思わず盗賊の魔剣を召喚した。

 彼は一羽の小鳥がくちばしくわえた何かを見て、その小鳥に向けて盗賊の魔剣を使う。


『ピピィ────ッ』


 対象の小鳥が驚いて枝から飛び立てば、他の小鳥たちも慌てて飛び去った。

 代わりにレンの手には、小鳥たちが奪い合っていたものがある。

 それは乱暴に折りたたまれた羊皮紙だった。手触りといいなめされかたといい、明らかに質のいい羊皮紙だ。

 興味が尽きないレンはその羊皮紙を開き、書き込まれた流麗な文字を見た。


「……恋文ラブレター?」


 心に押し寄せるような情熱が、文字の端々から伝わってくるようだった。

 でも、いったい誰がこんな上質な羊皮紙でそんなものを? 最初は首をひねったレンは手紙を読み進めるうちに、書いた者が誰かをクラウゼルに呼ぼうとしていることに気が付いた。

 手紙の中で剣の腕に触れられていたことから、誰が誰を呼ぼうとしているのか察しが付く。


(あの子か)


 これはリシア・クラウゼルが自分に書いた手紙だろう、と。

 何故こんなところに落ちていたのか気になるが、捨てておくわけにはいかない。


 レンがそう思いながら手紙を懐にしまったところで、離れたところから、蹄鉄が大地を踏みしめる音が聞こえてきた。


「ま、まさか、あのお転婆聖女がとんぼ返りを────ッ!?」


 レンは思わず身構えた。

 しかし、やがて訪れた者たちはレンが知る者たちではなかった。彼の前に現れたのは馬に乗った十数人の一団で、身を包む甲冑はクラウゼル家の紋章がない。


「────え、えっと?」


 驚くレンは瞬く間にその一団に囲まれ、馬上から威圧的に見下ろされた。

 まだ少年のレンに対し、一人の騎士が横柄な声色で尋ねる。


「その方はアシュトン家が統治する村の者であるか?」


 一団を率いていると思しき者がかぶとしに語り掛けてきた。

 このまま答えなければすぐにでも剣を抜かれそうなくらい、威圧的で強引な口ぶりだった。


「そうですが……貴方たちはいったい?」


 レンが丁寧に返すも、男は猶も尊大な態度で繰り返す。


「我らはの命を受け、子爵が認めた文を運んだ次第である。ついては、我らをアシュトン家の屋敷へ案内せよ」


 相手は想像通りクラウゼル家の者ではなかったが、更に爵位が上となる子爵の使いと聞きレンは疑問符を浮かべていた。


(ギヴェン子爵は確か────)


 クラウゼルへはこの村から東に向かうが、ギヴェン子爵が住まう領地は北東に位置している。アシュトン家にとってはなんら所縁ゆかりのない貴族ではあるが、無視はできない。


「わかりました。すぐに当家の屋敷へ案内します」

「む? 当家だと?」

「はい。申し遅れましたが、私はレン・アシュトンと申します。現当主ロイ・アシュトンの一人息子です」


 すると、ギヴェン子爵が送った一団が顔を見合わせた。

 彼らは互いに頷き合うと、先ほどの男が今一度レンに語り掛ける。


「喜びたまえ。子爵は君にもお言葉をくださったぞ」


 先ほどから言葉を交わしていた騎士の口調が穏やかになる。心なしか、周囲の騎士たちからもとげが抜けたような感じがした。

 しかし、寄親でもない子爵が一体何の用で……。


「私にお言葉を……ですか?」

「ああ。子爵は是非とも君を従僕に取り立てたいと仰っていた。詳しくは、君の屋敷で話すとしよう」


 彼を囲んでいた騎士たちが、その声に応じて馬を歩かせはじめる。

 一方でレンは、間もなく皆に見えないように表情を歪ませた。


(もう、意味がわからない)


 昨日から色々なことが起こりすぎではなかろうか。

 重い足取りで屋敷を目指すレンが畑道に差し掛かると、村の民は皆一様に、小首を傾げてその様子を眺めていた。


◇ ◇ ◇ ◇


 屋敷に戻ると、この村に駐留しているクラウゼル家の騎士たちが、驚きの表情を浮かべてレンたちを迎えた。

 同じく、ロイとミレイユも昨日と同じように驚いた。

 しかし二人は平静を装い、一団から代表の一人だけをロイが療養中の部屋に招き入れた。


 レンは同席せず、クラウゼル家の騎士たちの傍に居た。

 そこは屋敷の庭なのだが、彼らの様子がどこかけんのんだったため、レンはその理由を尋ねることに決める。


「皆さんはどうして怒ってるんですか?」

「そ、それはですね……」


 問いかけられた騎士が返答に詰まると、他の騎士が助け舟を出す。


「おい、話してもいいんじゃないか?」

「しかし……」

「場合によっては、レン殿も他人ひとごとではいられないだろう? ヴァイス様とて、我らがレン殿に伝えたところで叱責しないさ」


 他人事ではいられない、その言葉にはギヴェン子爵の使いが口にしていたことが思い出される。

 なんでも、レンを従僕にしたいとのこと。


(それにしては、みんな怒りすぎだ)


 疑問に対する答えはすぐ、あっという間に屋敷を出てきたギヴェン子爵の使いたちが口にする。


「レン・アシュトン、ここに居たのか」


 そう言ったのは、森と村を繋ぐ橋でレンに案内を命じた騎士だ。

 彼がレンに近づいてくると、クラウゼル家の騎士たちが思わず身構えた。

 すると、それを見たギヴェン子爵の騎士が鼻で笑いつつ口を開く。


「ふっ。……さて、ロイ殿にはすでに話したが、君にも伝えたいことがあってな。森で話した通り、子爵は君の実力を高く評価している。是非、当家で取り立てたいと仰せだ」


 それを聞いて、クラウゼル家の騎士たちがずいっと前に出た。


「申し訳ない。レン殿はもう当家のご当主様がお誘いしている」


 正確には誘ってきたのは娘のリシアである。

 しかし、ここで訂正するほどの違いではなかった。


「そなたらはクラウゼル家の者であったな。しかし、誘っているだけで返答はまだなのだろう? であれば我らが声を掛けても問題はないはずだが」

「それ以前の問題のはずだ。この村はクラウゼル家の統治下にあるのだぞ」

「おや? もしやクラウゼル家の方々は、偉大なる皇帝陛下に仕えようと思う者たちにも同じことを申されるのか? 帝都に仕える騎士たちには、帝都生まれでない者も多く存在するのだが」

「そのような問題ではない。そもそもレン殿をお誘いしたいなら、先に我らへ話を通すべきだ」


 白熱する話の横で、レンはじっと耳を傾けた。


「たとえ爵位の違いがあろうと。派閥の違いがあろうと。それが礼儀というもののはずでは? 高名なギヴェン子爵に仕える者なら、ご理解いただけると思うが」

「ふぅ……あいわかった。出直そう」


 どこ吹く風といった感じでギヴェン子爵の騎士が歩き出す。その後ろを、遅れて屋敷を出た仲間の使いたちが追った。

 彼らはそのまま馬に乗り、最後にレンに「また来る」と言い立ち去ってしまう。

 やがてその姿が見えなくなると、


「レン殿、先ほどの件についてお話しします。詳しくはそうですね……屋敷にて、ロイ殿にも同席いただいた場所でご説明いたしましょう」



◇ ◇ ◇ ◇


 ロイの部屋を訪ねたレンと騎士たちを見て、ロイは「待ってたぜ」と口にした。

 その傍にはミレイユもおり、二人の表情はどこか険しい。


「なぁ、俺たちが知らないところで、何か面倒なことになってなかったか?」


 ロイが尋ねると、レンと同行したクラウゼル家の騎士たちが申し訳なさそうに口を開く。


「申し訳ありません。あまり公にできることではなかったため、ロイ殿たちにお伝えすることができなかったのです」

「だと思ったぜ。それで、その話にはギヴェン子爵が関係してるんだろ?」

「────その通りでございます」


 レンや騎士たちは部屋に置かれたソファに腰を下ろした。


「レン。先にあいつらがどんな手紙を置いていったか見せてやるよ。話を聞くのはそれからだ」

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