八章 妙に溶け込んでいる聖女 ①

 ギヴェン子爵の件からまた少しの時間が経ち、季節は瞬く間に冬に突入した。

 耕土一帯は朝霜どころか、純白の雪に覆われている。

 冬は辺境の村にとって厳しい季節だが、今冬はレンの存在により潤沢な冬支度をすることができた。薪はもちろん、食料だって不自由しない量を買い付けられている。

 すべては、レンが毎日のように狩りに出かけたことのたまものであった。


「レン殿。今日もいい狩りでしたな」

「ですね。冬に入ったら動きづらくなるかと思ってましたけど、慣れたらそんなでもなかったみたいです」


 レンは昼下がりの陽光を見上げて言った。

 傍にある吊り橋の横には十数匹のリトルボアが積み重なり、今日の狩りも順調だったことを物語っている。


(最近は剣の扱いも上達してきた気がする)


 何故なら、木の魔剣の自然魔法(小)に頼らず戦っていたからだ。

 騎士が駐留するようになってからというもの、狩りは常に彼らと共に行ってきた。

 だから剣の腕が上達したのは、魔剣召喚のことを隠しながら戦っていたことの賜物である。


(隠さなくていい気もしてきたけど、これまで隠してきたしな)


 ここまで来たら今更だ。

 現状、隠していて困ることもないからしばらくこのままでいるつもりだった。


「それにしてもレン殿はやはり、帝都などに行かれた方がいいかもしれませんな」


 騎士が唐突に口にした。


「どうしたんですか、急に」

「レン殿は間違いなく大成なさるでしょう。帝都でも名をせる騎士になれるかもしれません」

「ですな。……あまり大きな声では言えませんが、我らからしてみれば、七大英爵家の嫡子よりも、レン殿の方がよっぽど七英雄の生まれ変わりに思えますからね」


 どうにも気恥ずかしかった。

 褒められるのは嬉しいが、大人二人にこうも手放しで褒められるのは照れくさい。


「この村を出る気はありませんよ。俺はアシュトン家の跡継ぎですからね」


 今回のように褒められるのははじめてじゃない。

 褒められたときのレンはきまって自分はアシュトン家の跡継ぎだと言い、村を出る気がないことを口にするのである。


「ううむ……実に惜しい……」

「やめておけ。それ以上はレン殿を困らせるぞ」

「ああ……そうだな」


 三人は話しながら屋敷への帰路につく。雪が降る前と比べてひどく歩きにくい畑道を進む足取りは重く、キュッ、キュッ、と雪を踏みしめる音だけが聞こえてくる。

 しんしんと降る雪により、村一帯が夏にはない静けさに包み込まれているようだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 屋敷は今日も今日とて古びている。

 というか、屋根が雪の重さでミシミシと音を立てていた。


(今年の冬を越えられるのだろうか)


 シーフウルフェンを討伐したから資金はふんだんにあるし、春になったら修理しようと思った。


「ただいま帰りました」


 レンはキッチンにつづく土間の扉を開け、いつも中で待っているはずのミレイユに声を掛けた。

 しかし、今日はその姿がない。


「あら、お帰りなさい。ご夫人ならリグ婆殿のところよ」


 代わりにテーブル傍の椅子に座り、手持ち無沙汰そうにほおづえをついていたリシアが返事をしたのだが、その対応があまりにも自然過ぎたため、レンは何も指摘することなく順応した。


「なるほど、道理で居なかったわけですね」

「先に湯を浴びてきたらどう? 屋敷から魔道具を持ってきてあげたから、色々便利だと思うわ」

「それは気になります。というわけでお言葉に甘えて」


 レンはそのままの足で土間を抜け、リシアの横を通ってキッチンを出た。


 慣れた足取りで脱衣所に向かうと、確かに様子が違っていた。


「すご。ドライヤーじゃん」


 あまり透明感がない鏡の前に置かれた魔道具を見て、前世の記憶を思い返す。

 今日まで髪をタオルで拭い、あとは暖炉の前で乾かしていた身からすれば、唐突に近代化した気分だ。

 心躍らせたレンはさっさと服を脱ぎ、浴室に足を踏み入れる。

 そこには今日までシャワーなんてものはなかったのに、いまはそれがあった。

 どこからお湯をんでいるのかと思い様子を見ると、壁に付けられたシャワーの下部にある、人の頭ほどの巨大な水晶玉に繋がっていた。どうやら、水も魔道具の力で生み出しているらしい。

 蛇口と思しき取っ手を回せば、すぐに温かい湯がレンの頭に注がれた。


「……はて?」


 彼はそこで、気の抜けた声を発して腕を組んだ。

 そういえば、魔道具は魔石を動力に動くんだっけ、と思い出しながら考えていた彼は、たっぷり数分が過ぎてから違和感に気が付く。


「────なんでさ!?」


 そして、どうしていままで気が付かなかったのかと頭を抱える始末だ。

 けど、レンにだって言い訳がある。

 思いがけず、しかもこんなすぐに来るはずがないと思っていた聖女が、これほど早く足を運ぶだなんて想像できるはずがなかった。


 レンは急いで浴室を出た。

 濡れた髪は乱暴にタオルで拭いてから着替え、屋敷の中を慌ただしく駆けていった。

 向かった先は、何故かリシアが居たキッチンだ。


「な、なんでですか!?」


 その慌ただしさのままに扉を開け、遠慮のない声を発した。

 すると、騒々しい様子で現れたレンを見て、


「何なのよ急に叫んでっ! 耳が痛いじゃないっ!」


 リシアがキッと眉を吊り上げて言う。

 彼女はついでに耳を押さえ、むっと唇を尖らせた。


「だ、だから! なんで居るんですか!?」

「そんなの、来たからに決まってるでしょ!」

「そりゃ来たら居るでしょうが、そんな当たり前の話じゃなくて……ッ! だからその! クラウゼルに居るはずのお嬢様が、どうしてこの村に居るのかっていうことですッ!」


 一度はレンの声に驚いていたリシアは、徐々に落ち着きを取り戻す。

 今度は開き直り、どこか勝ち誇った様子で可憐な笑みを湛えていた。


「私が居る理由なんて一つだけよ。貴方がクラウゼルに来ないから私が来たに決まってるじゃない」


 まだ諦めていなかったのか、とレンは啞然とした。


(そういや)


 リシアが書いたと思しき、例の情熱的な手紙のことを思い出した。

 あれはまだレンの部屋にある小物入れに収められているのだが、これについて探りを入れた方がよいのだろうか。


(……止めといた方がいいか)


 触らぬ神にたたりなし、この言葉が脳裏をよぎった。


「お嬢様はお忙しいと聞いていたのですが……」

「ふふっ、安心して。全部終わらせてきたわ」

「────全部、と言いますと?」

「冬が明けるまでに終わらせる勉強も、仕事もぜーんぶ、一つ残らず片付けてこの村に来たのよ」


 つまるところ、は一つもない。

 見事なまでの行動力だった。


「……男爵様にはなんて言い訳してきたんですか」

「ギヴェン子爵の件で、クラウゼル家も積極的に動くべきだと言ったわ。領主の娘……それも聖女の私が足を運んだのなら、あちらとしても軽率な動きは控えてくれるかもしれないでしょ?」


 理にかなった提案には、リシアの父であるクラウゼル男爵も頷かざるを得なかったのだろう。


「それと────この件は本当にごめんなさい。私たちにもっと力があればよかったのだけど」


 そのリシアが、やや消沈した声色でため息交じりに言った。

 どうやら、ギヴェン子爵の件で思うところがあるようだ。

 レンはこれまでの慌てっぷりを抑え、呼吸を整えてからリシアの対面に腰を下ろした。


「ギヴェン子爵に直接の抗議はしてないのですね」

「ええ。上位貴族に抗議するには、どうしても寄親とかゆうのある上位貴族に頼むしかないみたい。クラウゼル家の場合、最低でも中立派の伯爵とかかしら」

「じゃあ────」

「……もちろんお願いしてあるわ。けど、中立派は他の二派に比べて勢力が弱いから」


 爵位が高いだけで文句を付けようものなら、今度は相手の派閥の、更に上位貴族が口を出してくるかもしれない。

 そのような面倒ごとを避けたい貴族は、きっといくらでもいるはずだ。


「中立派の上位貴族も様子見をしてるって感じなんですね」

「そういうこと。はぁ……ほんとにイヤ……同じ帝国の貴族なのに、派閥だとか爵位だとかでこんな気分にさせられるなんて……」

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