八章 妙に溶け込んでいる聖女 ②
リシアは心から苛立っているようで、レンの前でその感情を隠すことなく吐露した。
「そう言えば、一つ気になったことがあるんですが」
「ええ。どうしたの?」
「爵位とか派閥の違いはあるとしても、聖女のお嬢様が居るのなら、もっと発言力があるのではないか、と思うのですが」
「奇遇ね。私も以前までそう思っていた時期があったわ」
だがそうはならないという。
リシアは今一度深いため息を漏らした。
「聖女と呼ばれる存在は昔から何人も生まれてきたの。でも、七英雄と違って何か成し遂げたわけじゃないでしょ? ……古くから主神エルフェンに祝福された存在と言われてきた聖女でも、魔王を討伐したわけじゃないわ」
彼女が言いたいことはレンにもわかる。
元来、主神エルフェンに祝福されたとされる聖女は畏敬の念を抱かれる存在だ。
しかしこのレオメル帝国においては、更に強く畏敬の念を抱かれる者たちが存在する。
それが七英雄。絶対的なる血統の者たちだ。
また、皇族派だって、元を
絶対不敗の大国の祖もまた、七英雄と同じく大きな影響力を誇るとあって、聖女はその成り立ちに反比例して発言権が強くない側面があった。
「────そうだわ。今度は私にも聞かせて」
と、リシアがテーブルの上に身を乗り出してレンを見る。
宝石を想起させる彼女の双眸が、じっとレンの顔を見つめていた。
「子爵の誘いを受けるの? 受けないの?」
何かと思っていたレンがケロッとした態度で答える。
「受けないですよ。お嬢様にもお伝えしましたが、俺はこの村から出る気がないので」
「ほんとに? 噓ついたらクラウゼルまでしょっぴくからね?」
彼女なら本当にやりそうだと思わせられてしまう。
レンは苦笑いを浮かべて「行きませんよ」ともう一度言い、徐々に迫っていたリシアの圧から逃れた。
「ねぇねぇ、お風呂はどうだった?」
「格別の気分でした。途中でお嬢様のことを思い出さなかったら、もう一時間くらいはゆっくりしてたと思います」
「じゃあ、ほしい?」
「あれば便利だとは思いますが……お高いでしょうし」
「お金なんて気にしないで。持ってきた魔道具は古くて動かなくなってたものだったの。それを私のお小遣いで直しただけだから、遠慮しないでいいわ」
「うわぁ……」
「もう! うわぁって何よ!」
「だって……お金の代わりにクラウゼルに来い、って話ですよね?」
例の手紙を参考に言えば、リシアが「うぐっ」と声を漏らす。
図星を突かれたようだが、すぐに平静を装う。
「さすがにそこまで望んでないわよ。私がこの村に居るときだけでいいから、立ち合ってほしいってだけ」
「ということは、これからもいらっしゃるということですか」
「ダメなの?」
(そりゃ)
ただ、止める権利はないのが玉に
「男爵様が何度もお許しになるとは思えませんが」
「二度許してくれたんだもの。三回も四回も、十回だって変わらないわ」
物すごい力技な理論を前にレンは恐れ入った。
啞然とすること数秒、こほんと咳払いをして笑みを繕う。
「男爵様が何も仰らないのなら、私からお伝えすることはありません」
というか断れないのが現実だ。
「ふふっ、よかった」
リシアが人懐っこい笑みを浮かべて喜んだ。
………拉致されてクラウゼルに連れて行かれないだけマシなのかもしれない。されど、レンにとって都合の悪い展開には変わりなく、
(わざと負けたい)
レンに思わずこんなことを考えさせても仕方ない展開だった。
「わかってるでしょうけど、わざと負けるのもダメだからね?」
「滅相もない。お嬢様に無礼なことはしませんよ」
「ふぅん……その割には、悪だくみをしてそうな顔をしてたわよ」
「いえ、気のせいです」
ひと時の静寂が訪れる。
暖炉で薪がパチンッ! と弾ける乾いた音がキッチンに響き渡った。
「そうだわ。貴方も帰ってきたことだし、一緒に貴方のお父君のところに行きましょう」
「あれ? 私の父に何か御用ですか?」
「神聖魔法で傷の回復を促すためよ。……前に来たときもしてたんだけど、知らなかった?」
申し訳ないが知らなかった。
レンは素直に頭を下げ、リシアへの感謝を口にした。
◇ ◇ ◇ ◇
レンは日が沈んだあとでリシアと立ち合った。当然、仕方なく。
二か月で更に成長していたリシアは以前と違う姿を見せたが、それでもレンの圧勝で終わってしまう。
リシアがそれに悔しさを滲ませ、「明日の朝にもう一度だからね!」と言った姿は健気だった。
そんなリシアが湯を浴びに行ったところで、ヴァイスがキッチンの土間に居たレンを訪ねた。
「ご当主様も感謝なさっていた。無論、私もだぞ。────そこでどうだろうか、少年は何か私にしてほしいことはないか?」
「と言われましても、男爵様から褒美を頂戴してますし」
「いや、これはあくまでも私個人からだ」
依然としてレンは何も思いつかなかった。
(金をくれって言うのはあれだし)
ここで貧乏騎士らしさをさらけ出すのは違うと思った。
「私が少年に、野営の知識などを教えるというのはどうだろう?」
予想していなかった提案にレンが驚く。
「覚えて損のない知識だぞ。たとえば予期せぬ事態に陥り、森で一夜を過ごさねばならなくなった場合に役立とう」
(なるほど、言われてみれば確かに)
必要性を理解したレンの返事は早い。
「是非。野営の知識を教えてください」
レンは深々と頷き、頭を垂れて教えを
ヴァイスはそれを見て「頭は下げないでくれ。これは私からの礼なのだからな」と言い、レンに頭を上げさせた。
◇ ◇ ◇ ◇
レンは日が変わった頃に屋敷を発ち、森の中でもツルギ岩の更に奥まで足を進めていた。
厳しい雪道でも雄々しく先を進むヴァイスの力強さに驚かされ、不意に現れたリトルボアが目にも留まらぬ剣でヴァイスに
そんな中、ヴァイスの足が落ちていた大岩の前で止まる。
彼はその陰にレンを招き、地面に腰を下ろしてレンを傍に呼んだ。
「まず、火を
方法はいくつかあるが、騎士たちが使う主な方法は魔道具だそうだ。
しかし、魔道具がないときには火打石を用い、それもなければ最終手段として木を擦り合わせるのだとか。
「だが、木が湿っていたら火がつかん。だから、最終手段に至る前の準備を怠らず、その状況に陥らぬよう気を付けねばならん」
と言い、ヴァイスはレンに革製の鞘に入った短剣を渡す。
「それは私からの贈り物だ。石突きに特殊な鉱石を埋め込んである。同じく革製の鞘にも細工があってな。そこに火打石を使うように強く擦れば火花が生じる」
「いいんですか? 高価な品のようですが」
「そうでもない。クラウゼルでは1万G────平民の日給ほどもあれば手に入る品だ」
だとしても安くはないだろう、とレンは思った。
しかしヴァイスの言葉に素直に甘え、彼に促されるまま短剣を抜く。
そうしていると、ヴァイスは懐から一本の薪を取り出して地面に置いた。
「今日は訓練だから、少年の屋敷から一本いただいてきた。さて、まずは私が手本を見せるから、つづけて少年にもやってもらおう」
するとヴァイスは手慣れた様子でナイフと鞘を擦った。
あっさりと火花が生じたのを見て、レンは「おお」と
隣ではヴァイスが頰を緩ませ懐を
つづけてレンも挑戦し、しばらく試したのちにようやく火花が散る。
それを種火として
「そう言えば、どうして日が変わる直前に屋敷を発ったんですか? 出発の準備は早めに終わったのに、出発まで間がありましたよね」
「うむ……お嬢様の耳に入れたくなかったのだ」
「あ、ああ……なるほど……」
レンは肩をすくめ、苦笑した。
翌朝は日が昇る前に起きた。



