【第一章】身代わりで悪女として嫁ぐことになりました ①
「──エイヴリル。お前はコリンナの代わりに嫁いでもらう」
一年前のこと、アリンガム伯爵家の当主である父親の言葉に、エイヴリルは目を
「……あの、それはコリンナのせいでできた借金のかたに、あっさり私を差し出すということで合っていますか?」
「何という品のない言い方をするんだ。口を慎め、エイヴリル」
(どうやら正解だったようですね)
父親からの厳しい叱責にもエイヴリルは穏やかな表情を保ち特に動じることはない。なぜなら、こんなのは日常茶飯事だからだ。
どうしようかしら、と首を
大体の不幸に慣れていることは認めるが、今回だけは事情が違うこともまたわかっていた。
十日ほど前の朝、義妹のコリンナが朝帰りをした。
両親は知らなかったようだが、コリンナはしょっちゅう夜遊びに出かけている、その世界では有名な『悪女』だ。
その前夜に参加していたのは、何と事もあろうに『仮面舞踏会』だったらしい。コリンナはそこで出会った侯爵家の令息と懇意になり、一夜を過ごしてしまった。
それはいつものことなのだが、今回は相手が悪かった。
その令息の婚約者はアリンガム伯爵家が借り入れをしている大富豪の令嬢で、
当のコリンナは悪びれるふうでもなく、しゅんとしている。
「私……そんなつもりじゃなかったの。まさかあの方に婚約者がいらっしゃったなんて」
「コリンナ。誰にだって失敗はあるものよ。でも大丈夫。今回は替えがきくんだもの」
義妹と
(全然大丈夫ではないと思うのだけれど……)
面と向かって『替え』と言われたエイヴリルは、とりあえずへらりと
それをエイヴリルの困惑と受け取った継母は勝ち誇ったように言い放つ。
「大体ね、コリンナが夜遊びなんてそんなはしたないことをするはずがないのよ? うっかり一夜の過ちだとしても、そんなの誰も信じないわ? だって、この美しくて賢くて愛らしいコリンナなのよ?」
「皆様が私をそう思ってくださるといいのですが。でも、私──コリンナ・アリンガムがあの仮面舞踏会に存在しなかったことだけは確かですわ。だって、私があの殿方とその婚約者に名乗った名前は『エイヴリル・アリンガム』なんですもの?」
(ええと……と、いうことはやはり……)
どうやら、エイヴリルは身代わりで嫁ぐだけではなく『悪女』のレッテルも貼られるらしい。
予想通りの展開にますます目を瞬くと、父親が告げてきた。
「いいか、エイヴリル。お前はお前が作った借金を返すために、ランチェスター公爵家──辺境の地に住む好色家の老いぼれ公爵閣下、のところへ嫁ぐんだ」
「ず、ずいぶんな二つ名ですね」
「黙れ」
「はい黙りますわ」
「ランチェスター公爵は後妻として嫁ぐだけで多額の支度金をくださると。何といっても『悪女のエイヴリル』でもいいらしい。わざわざこのタイミングで縁談を持ってきたことを踏まえても、どんな相手かは想像できるだろう」
ランチェスター公爵家といえば、王家に連なる名門である。けれど、社交界にはめったに顔を出すことがなく、謎に包まれた存在だった。
(ランチェスター公爵の年齢を考えると、今さら新しく後妻を迎えるのは不自然なような……。でもつまり、私は多額の支度金と引き換えにコリンナの身代わりとして嫁ぐことになるのね)
これまでの人生、そんなに恵まれたものではないことは理解している。それにしても、今日のこの一件は強烈すぎやしないだろうか。
騒動を引き起こした張本人のコリンナはエイヴリルにだけ見える角度でにやりと微笑み、そっと近寄ると耳元で
「エイヴリル。あなた気持ちが悪いのよ。みーんな言っているわ? 一度でなんでも覚えられるなんて、どう考えてもおかしいもの。一部には
(ついにこの日が来てしまったわ……!)
今すぐ叫びたい。爆発寸前のこの
「……承知いたしました」
◆
十八年前、エイヴリル・アリンガムはアリンガム伯爵家の長子として生まれた。
柔らかな淡いピンクブロンドの髪に深みを帯びた碧い瞳。陶器のようになめらかで美しい肌と
誰もが目を見張る美しい少女だったエイヴリルは、両親に慈しまれ幸せな人生を送るかに思えた。
けれど、五歳で母親が急逝したことをきっかけに、エイヴリルを取り巻く環境はがらりと変わってしまったのだ。
(お母様が亡くなってすぐにお父様は再婚し、お
少し大きくなって父親の家族に対する裏切りを理解したときは絶句した。それでも、初めは何とか家族の一員としてやれていたはずだった。
しかし、程なくしてエイヴリルの物覚えの良さが抜きん出ていることがわかり、状況は悪化する。
家庭教師がつく年齢になると、エイヴリルはたった一度読んだ本を暗唱し聞いた曲を歌い演奏するようになったのだ。
一度教わったことは忘れることがなく、そして間違いがない。
普通なら天才と褒められてもおかしくはなかったし、実際にそう持て囃されたこともあった。
最初についてくれた年配の先生は、父親に向かいエイヴリルがいかに
けれど、継母は違った。
「そんな能力、気持ちが悪いわ。ない方がましね」と眉を
事なかれ主義の父親はそんな後妻を見て目をぱちくりさせた後、そのまま流れるように継母と義妹の背後についた。あとは、知る通りである。
(私のこの能力は、お継母様とコリンナがアリンガム伯爵家に入ることを最後まで拒んだおばあ様と同じものなのよね。二人が私を憎むのは自然なことなのかもしれない)
エイヴリルの祖母は、息子が妻を亡くしてすぐに連れてきた、
揉めに揉めて、ついにアリンガム伯爵家を出ていってしまった。
絶縁して半年も
実母と祖母の資産はすべて両親が売り払ってしまったらしい。エイヴリルをかわいがってくれた二人の形見は何一つとして残されていない。
こうして、エイヴリルが頼れる大人はいなくなった。
結果、エイヴリルの能力は蔑まれるべきものとして家族の中に定着し、どこをどう飛躍したのか無能だと呼ばれている。
当然、伯爵令嬢としての振る舞いが許されるはずもない。
使用人同然の扱いを受けて、いつの間にかエイヴリルは十八歳になったのだった。
◆
両親・義妹との会話を終えて書斎に立ち寄ったエイヴリルは、閉じたばかりの扉に寄りかかり目を
(何というお話なのかしら……!)
「とっても素敵だわ。だって、私、この家を出るのが夢だったんだもの……!」
さっき家族の前で我慢した言葉をやっと口にし、書斎をぐるりと囲む書架を見上げる。
この書斎はエイヴリルの仕事場だ。



