【第二章】契約結婚、大歓迎です ①
公爵家からの迎えに案内され、馬車と汽車を乗り継いで到着したのは、なぜか王都だった。
「あの、私の嫁ぎ先は王都なのですか? ランチェスター公爵家はアリンガム伯爵領からさらに南に行った辺境の地に領地をお持ちだと記憶しているのですが」
「私にも何が何だか。コリンナお嬢様には『ここよりもずっとずっと田舎へ行くのよ』と言われていたはずですが」
困惑するエイヴリルの問いに不満げに答えたのは、コリンナ付きの侍女・キャロルである。
公爵家へ嫁ぐにあたり、身一つというのはさすがにアリンガム伯爵家の品格が問われる……ということでキャロルが同行することになったのだ。
本来なら、さっき泣き別れたキーラが来てくれたらうれしかった。
しかし実際に選ばれたのは、コリンナの身の回りの世話をしていて、使用人としてもエイヴリルを下に見ていたキャロルだった。
(きっと、コリンナの指示なのだと思うけれど……私への嫌がらせのために家族を残して慣れた土地を離れることになったキャロルに申し訳ないわ)
エイヴリルは仏頂面のキャロルから視線を外し、馬車の窓の外を流れる景色を見る。
レンガ造りの建物が立ち並ぶ王都はとても華やか。石畳の大通りにはたくさんのお店やレストランが立ち並び、人で溢れている。まるで、
「ねえ、見て。王都ってすごく華やかなのね! こんなにたくさんの人を見たのは初めてだわ……!」
「…………」
「キャロル、ほら見て! 広場でマーケットが開かれているわ。あんなところでお買い物をしてみたい! とっても素敵!」
そこまではしゃいでから、エイヴリルははたと自分にはお金がないことを思い出す。
(いけないわ。私は身代わりの花嫁なのでした。もしかしたら、ランチェスター公爵家からもすぐに追い出されることになるかもしれない。それは大歓迎なのだけれど……そのときのためにお金はとっておかないと!)
もちろん、エイヴリルにはいつか家を出るときのために細々と
はしゃがずに財布の紐を固くしめることを再確認していると、一貫して不機嫌なキャロルがバカにしたようにため息をつく。
「あなたは気楽でいいですね。嫁ぎ先でどんな目に遭うかわかっていないのではないですか。どんなに物覚えが良くても、頭の中がお花畑すぎるから忌み嫌われるんですよ」
「あらまぁ。キャロルは随分なことを言うのね?」
ふふふ、と笑ってキャロルの嫌味を流しながら、エイヴリルは義妹・コリンナが華やかな王都での暮らしに憧れていたことを思い出す。
(私の行き先が辺境の地ではなく王都だと知ったら、コリンナは結婚相手が誰であれ自分が行きたかったと騒ぐのではないかしら。でもだめよ、譲れないわ。だって、これはやっと手にした自由なんだもの……!)
行き先は辺境の田舎町でも華やかな王都でもどちらでもいい。エイヴリルにとっての問題は、円満に家を出られるかどうかだったのだ。
そこまで考えたところで馬車が止まった。どうやら目的地に到着したらしい。
馬車の窓の外には信じられない光景が広がっていた。
(まぁ! ここは一体何なのかしら……!)
王都に構えるにしては信じられないほど広大な敷地とまるでお城のような屋敷。というか、公爵様が住む家なのでほぼ城で間違いないのだろう。
庭園には花が咲き乱れ、噴水のしぶきには虹が浮かんでいる。
門を通り抜け夢のような景色の中を馬車で進み、辿り着いたのはまさに白亜の城だった。
しかし、出迎えてくれたのはメイドが一人。しかもほうきを小脇に抱えたままである。明らかに乗り気でないのは濃厚だった。
(やはり歓迎はされていないようですね……)
『エイヴリル・アリンガム』は、禁断の夜遊びに興じ家を没落に追い込むほどの悪女である。それを、大金を払い迎え入れようというランチェスター公爵は相当な変わり者なのだろう。
その采配に使用人が反発していることは想像に難くない。
けれど、初めて見るものに興奮しているエイヴリルはそんなのどうでもよかった。
仏頂面のメイドによって早速中に案内され、目を輝かせながら周囲を見回す。真っ白な大理石に、赤い
そしてどうしても床に目がいってしまうのは、エイヴリルが長年使用人として過ごしてきたからだろう。
(こんなに
もし自分がモップでここを拭くならどのルートを通るか。エイヴリルがざっと最短距離を目測し終えたところで、声がした。
「到着を待っていた。エイヴリル・アリンガム嬢」
そこには驚くほど容姿が整った青年が立っていた。エイヴリルよりも四~五歳年上だろうか。月光のような輝きを放つ銀髪に、淡く引き込まれそうな水色の瞳が美しい。
(こちらはどなたでしょうか……)
そういえば、ランチェスター公爵領は暖かい地域にある。そこの海は、きっと彼の瞳のように透き通った水色なのではないだろうか。
(行ってみたい……)
エイヴリルが一瞬だけ意識を飛ばすと、目の前の美貌の青年はごほんと
「……
「はい?」
「素行が悪いと聞いている。まぁ、だからこそ君を選んだのだが」
(いけないわ。考えごとをしていたら、ご挨拶が遅れてしまったわ)
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。エイヴリル・アリンガムと申します」
そう告げると、エイヴリルは淑女の礼をする。
家庭教師は継母に解雇されてしまったけれど、エイヴリルの境遇に同情したコリンナの先生が「将来、あなたにはきっと外で活躍する機会があるわ」とこっそりいろいろなことを教えてくれた。
(ありがとうございます、コリンナの家庭教師、ハンナさん)
心の中で手を合わせていると、目の前の青年は『悪女・エイヴリル』の仕草にわずかに瞳を揺らしてから、自分は名乗らずに告げてきた。
「……話がある。このままついてくるんだ」
「……はい」
(この方は……このお屋敷にお勤めの方、かしら? いいえ、違うわ……)
違和感を覚えたものの、エイヴリルは大人しく従うことにした。
そうして、案内されたのは応接室だった。
メイドが湯気の上がらないお茶を注ぐのを確認してから、エイヴリルはにっこりと微笑む。
「初めまして、ディラン・ランチェスター公爵閣下」
エイヴリルの言葉に、目の前の男は鋭い視線を向けてくる。そして、口の端だけを上げて不敵に笑った。
「……どうして私が公爵本人だと思った」
「はい。まもなく社交シーズンに入りますが、この時期ランチェスター公爵領では狩猟が解禁されます。狩猟がお好きな一族とお伺いしておりますので、致し方なくしぶしぶ嫌々
「……なるほど」
「社交は重視されないお家柄と聞いていますが、公爵家の品位を保ち王家の顔を立てるためのものでしたらお出ましになりますわよね」
「……まあ、確かにそうかもしれないな」
「公爵家の代替わりのお話は伺っておりませんが、何か秘密のご事情があれば積極的に公にしないこともあるのでしょうか?」
「……君は話好きだな」
「あら、ごめんなさい! つい」
エイヴリルはふふふ、と口元を押さえた。この
微笑みついでに、南の島の海の色をした瞳をまっすぐに見つめてみる。意外なことに鋭かった
「そうか。……君は随分勉強したうえでやってきたのだな」
「ええ、まぁそのようなものです」



