【第三章】悪女、はじめました ①

 次の日。エイヴリルが住むことになった『宮殿』には素晴らしい朝が訪れていた。

 エイヴリルの食の好みは少し変わっている。

 もちろん、一般的においしいと言われているものは当たり前においしいと思えるのだが、少し固くなってしまったパンや伸びて柔らかくなったパスタ、冷めて脂が固まりつつあるスープなども好きだ。

 なぜかというと、これまでの人生では家族での食事に同席させてもらえなかったからにほかならない。

 子どもの頃、エイヴリルに定められた食事の時間は皆の食事が終わった後だった。誰もいないダイニングルームで一人、冷めきった残り物で構成された食事をとってきた。

 少し大きくなり使用人として扱われるようになってからは、キャロルたちと一緒に賄いを食べられるようになった。

 けれど、どういうわけなのか大体食事直前のタイミングで用事を言いつけられるため、できたてを食べられたためしがない。

 ということで、今、目の前にある朝食メニューもエイヴリルにとっては普通にごちそうだった。


「古くなって固くなったパンを焼いてさらに固くしたもの、冷めきったコーンスープ……。あら、オムレツに具が入っているわ!」


 アリンガム伯爵家では、コリンナの指示でエイヴリル用のオムレツは使用人の分の中でも最後に焼かれていた。よって、運が悪いと具材がなくなってしまう。

 料理長がエイヴリル用の卵を死守してくれていたので卵料理がないことはめったになかったが、わずかでも具が入っていればごちそうである。


(こんなに素敵な宮殿で、こんなに豪華な食事をいただけるなんて……公爵様、ありがとうございます)


 胸の前で指を組むエイヴリルは、この仮住まいのことを心の中で『宮殿』と呼ぶことにしていた。目を瞑り、ディランにありがたく感謝してから食事に手を伸ばす。


「おいしいわ。パンの固さが私の好みにぴったり……!」


 目を輝かせ、一般的に見れば出来損ないの朝食を食べるエイヴリルを、少し離れた場所からあっにとられた様子で給仕担当のメイドが見守っていた。

 昨日、「ほかの殿方を招き入れることはできる限りお控えください」とエイヴリルの素行にくぎを刺したメイドである。

 アリンガム伯爵家からエイヴリル付きの侍女として送り込まれたはずのキャロルは今日もいなかった。母屋で新天地での良き生活を送ってくれていたらいいと思う。

 顔をこわらせて自分を凝視するメイドに気がついたエイヴリルは、パンを置いて声をかける。


「あの、あなた、お名前は何と仰るのでしょうか」

「な、名前ですか?」

「ええ。これからも、この宮殿……じゃない、離れのお世話を担当してくださるのですよね。でしたら、お名前でお呼びしたいのです」

「はぁ。グレイス、と申します」

「グレイス。今日の朝食、とてもおいしいです。私はこれくらいの固さのパンが大好きで……もしかしてご存じだったのでしょうか」

「……は?」

「さすが公爵家ですわね。客人の好みまで熟知していらっしゃるなんて」

「……は? えっ?」

「グレイス、あなたのような方が側についてくださるなんて、本当にありがたいです。これからどうぞよろしくお願いいたします」

「……!?」


 グレイスは何かに相当驚いている。けれど、エイヴリルには意味がわからない。


(私は何かおかしなことを言ったのかしら)


 首を傾げながら、エイヴリルはとりあえず豪華な朝食をたんのうする。具入りのオムレツはしっかり焼いてあって冷めてもおいしいし、ドロリとしたコーンスープは食感も味も好みだ。

 その中で、エイヴリルは異質の存在感を放つあるものに目をめた。


「まぁ、デザートに果物がついているわ……!」


 食後のデザートは贅沢。ということで、エイヴリルにとっては夢のような存在である。

 けれど、今日はデザートボウルにキウイフルーツが丸ごとゴロンと転がっていた。

 ちゅうぼうの手伝いで、キウイの皮をいたことは幾度となくある。けれど、食べたことはなかった。


(なんてありがたいの……!)


 エイヴリルは食事用のナイフを手に取ると、器用にキウイの皮をくるくると剝いた。身を厚く削ってしまっては、抜き打ちで厨房を見に来た継母に怒鳴られてしまう。

 いつも通り、皮を薄くつるんと剝きあげた。それを一口大に切ると、デザートボウルに並べてフォークで刺し口に運ぶ。みずみずしい甘さと鼻に抜ける爽やかな酸味に、思わず声が出る。


「甘くておいしいです……!」


 がちゃんと音がした。

 見ると、グレイスがカトラリーをトレイごと落としたところだった。その姿に、エイヴリルはやっと思い出す。


(そういえば、私は悪女なのだったわ)


 忘れていた。この家を追い出されないため、悪女として相応の振る舞いをせねばなるまい。

 悪女であるコリンナに怒られたことなら何度もある。その辺は経験豊富だった。

 フォークを置くと、グレイスをキッと睨みつけた。


「あの。このデザート、どういうことでしょう?」

「……どういうこと。とは?」


 エイヴリルはこれから言いがかりをつける予定なのだが、なぜかグレイスがほっとした様子に見えるのは気のせいだろうか。

 とにかく、コリンナの日常を思い出すと叱責は悪女としてのたしなみで間違いない。誰も見ていないところでやるのがより高度なテクニックだろう。そう確信して、エイヴリルは口を開いた。


「料理用のナイフを準備しておかないなんて! ほんの少し、切りづらかったですわ!」

「!? そこですか!」


 何か間違ったらしい。目をこれでもかと見開いて固まるグレイスの姿に、途端に罪悪感が込み上げる。すぐに謝りたい。


「あの……実家では、フルーツは皮を剝いて出すものでしたので……。王都では、こんなふうに食事用のナイフで剝いて食べるものなのですね。私が勘違いを。大変失礼いたしました」

「……!?」


 怒ったわずか数秒後、いきなりしゅんとしたエイヴリルの姿に、グレイスはぱちぱちと瞬き、挙動不審なままダイニングルームを出ていってしまった。

 それを見送りながら、エイヴリルはいたたまれない気持ちになる。


(悪女になりきるのって、少し難しいですね……!)


 昨日、到着時に応接室で出された紅茶は冷めきっていた。

 しかし、今朝の食後にグレイスが出してくれた紅茶には湯気が漂っていた。



「今度、茶会がある」


 食後、呼び出しを受けて書斎を訪ねたエイヴリルは、ディランの言葉に目を瞬いた。


「茶会って、あの、お茶会ですよね。皆で社交を楽しむ」

「ああ。君が出入りする夜のお茶会ではなく昼間のガーデンパーティーだ。君がどんなドレスを好むのかは知らないが、ランチェスター公爵夫人として相応ふさわしいドレスを選んでほしい」


(なるほど。これは、契約書の『ランチェスター公爵家の品位を保つための活動に協力する』に関わるものね)


 しっかり務めなければ、とエイヴリルは拳を握る。


「かしこまりました。お任せくださいませ」

「今回の茶会までには一から仕立てる時間がない。今から街に行って選んできてくれるか」

「は、はい」


(では、お茶会の会場と出席者の方々を調べて、その場に一番相応しいドレスを選定しましょう……、って、そうではなかったわ!)


 こくこくと頷いたエイヴリルは、ハッと我に返る。

 アリンガム伯爵家では、そういった下調べはエイヴリルの仕事だった。

 継母はエイヴリルの祖母があからさまに嫌うほどに無教養だったし、父親もそれをとがめることはなかったからだ。

 だからいつも通り……と思ったのだが、ここにいる自分は悪女だ。

 正解の立ち居振る舞いはきっと期待されていないし、何よりも悪女のお手本であるコリンナのクローゼットには露出を抑えたドレスなどただの一着もなかった。

 そうなると、エイヴリルの選択肢はおのずと定まってくる。


(お買い物は、コリンナの好みを熟知したキャロルと一緒に行きましょう……!)


 悪女になりきるための決意を固めていると、目の前に人好きのする笑顔の男性が立った。


「お供いたします。エイヴリル様。私はクリスと申します。荷物持ちでも小間使いでも、何でも私をお使いくださいませ」

刊行シリーズ

無能才女は悪女になりたい5 ~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~の書影
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