【第三章】悪女、はじめました ②
「クリスさん。ご面倒をおかけいたしますがどうぞよろしくお願いいたします」
淑女の礼をするとクリスは目を見開く。それを見て、エイヴリルはしまった、と思った。
(違ったわ。私は悪女。コリンナなら……ええと)
「クリス。に、荷物持ちに……期待しています」
「……っ、なるほど。はいはい」
クリスはなぜか笑いを堪えている。使用人仲間だったら仲良くなれそう。そんな考えがエイヴリルの頭をよぎったものの、今のところ叶うはずがない。
エイヴリルは街のドレスショップへとやってきていた。傍らには、あっという間に母屋の使用人として馴染んでいたキャロルがいる。
(こ……これは……)
口をぽかんと開けたエイヴリルの前には、胸元が広く開いたキャミソールのような形のドレスが飾られていた。
スカートには
「キャロル。コリンナって……こういうドレスが好きだったわよね……」
「……そんなに赤い顔で恥ずかしそうにするぐらいなら、手に取るのは諦めたらいかがですか。エイヴリル様には向こうのお行儀がよくて質素なドレスがお似合いですよ」
キャロルがやる気なく指差した先には、淡い青の長袖のドレスが飾られていた。
飾りは最低限なものの、上質な生地を使っているとひと目でわかる。
それでいて細部の刺繡は細やか。明らかに『公爵夫人』にふさわしいドレスだった。
(確かにそうだけど、それじゃあ……だめなのに……!)
エイヴリルは、コリンナをお手本にした悪女なのだ。
今度のお茶会のドレスも、ランチェスター公爵家の品位をギリギリ落とさずに、ほどよく悪女っぽいものを選ぶ必要があった。
そもそもアリンガム伯爵家を出たとき、エイヴリルに持たされたドレスは数着だけ。
ちなみに、もしドレスを公爵家であつらえてもらったら、コリンナの好みのものを選んでアリンガム伯爵家に送るように言い付けられている。
もちろん従う気はないけれど。
お目付け役と思われるクリスが離れた場所にいることを確認してから、エイヴリルはキャロルにそっと聞いてみる。
「この真っ赤なドレスって、コリンナが好きよね、きっと」
「ええ、コリンナ様は間違いなくお好きですね。ちなみにもしこのドレスを買うなら、あなたが袖を通す前にコリンナ様に送ります」
「まぁ」
キャロルはエイヴリルではなくコリンナの味方だ。
どうやら、無理に悪女っぽいドレスを購入したとしても袖を通すチャンスはなさそうである。
(それなら……)
作戦を変更しなければいけない。
(悪女っぽいドレスを買うのは諦めるとして……とにかく、悪女らしくお金をたくさん使って帰りましょう)
そうと決まれば話は早い。このお店にある高いものと言えば、宝石だ。
「ジュ、ジュエリーはあるかしら」
「はい、こちらに」
エイヴリルの一声で鍵のかかったジュエリーケースが運ばれてきた。
店員が恭しい手つきで鍵を開け、中からジュエリーを取り出して台の上に並べていく。
(な、なにこれ……!)
当然、これまでの人生でエイヴリルは宝石の類を手にしたことがない。
こういうものは、全部継母とコリンナのために存在するのだ。エイヴリルはわりとつい最近まで本気でそう思っていた。
(すごいわ……こんなに美しい石を間近で見たのは初めて。透き通っていて綺麗な色で……デザインも素敵だわ)
エイヴリルがベルベットの布の上に等間隔に置かれたジュエリーを目を輝かせながら眺めていると、背後からクリスに話しかけられた。
「どれでもお好きなものをどうぞ。ディラン様からは、エイヴリル様がお気に召したものはすべて購入するように言われていますので」
「な、なんという贅沢……ではありませんわ、当然のことね」
「ええ。男性から贈り物を頻繁に受け取っているエイヴリル・アリンガム様にとっては、いつものことでしょう」
「!」
これはクリスの手前、一歩も引けなくなってしまった。
エイヴリルは横目でちらりと値段を見ようとする。けれど、どこにも値札が見当たらない。
(こういう高級品には値札がないのね……! お金をたくさん使うといっても、一番お手頃なものを購入してお茶を濁そうと思ったのに!)
ひっくり返して値札がないか確認したいところだが、恐れ多くてエイヴリルには触れることすらできなかった。
接客のために至近距離から笑顔で見つめてくる店員と、背後で見守ってくれているクリスの視線が痛い。
(少し、冷静になって考えてみましょう)
ゆっくりと息を吐き、頭の中を整理する。
ジュエリーケースに並んでいるのは、どれもネックレスだ。
落ち着いてよく見てみると、その中のいくつかには見覚えがある。
(ええっと……そうだわ。さっきは美しさに夢中になってしまって気がつかなかったけれど、このジュエリーに使われている石は本で見たことがある。これもこれも、全部特定の場所でしか採れない希少価値が高いもの。こちらなんて、鉱山が閉山していてもうこれ以上増えることがない貴重すぎるものだわ)
要は、この中で一番価値が低いものを選べばいいだけだ。チェーンの素材が同じなら、ネックレスの価値は石に左右される。
まじまじとジュエリーを凝視していたエイヴリルは、あることに気がついた。
(あら、これって)
その中の一つ、パパラチアサファイアが使われたオーソドックスなデザインのネックレスに目が留まる。エイヴリルは、オレンジ色が少し濃いめで明るい印象のその石を見たことがあった。
しかも、ネックレスごとである。
(これはお祖母様のものだわ……!)
その事実に気がついて、エイヴリルはネックレスを思わず手に取ってしまった。どこか温かい感じがするその石を眺めながら、脳裏に亡き祖母の姿を思い浮かべる。
祖母はこのネックレスがお気に入りだったのだろう。エイヴリルの心の中にいる祖母は、いつもこのネックレスを身につけていた。
(お母様とお祖母様の形見は、お父様によってすべてお金に換えられてしまったのよね。こんなところで出会えるなんて、夢みたいだわ)
懐かしさでじっと眺めているエイヴリルに、店員が教えてくれる。
「そちらは十数年前にオークション経由で当店に入荷し、長期間眠っていたものです。この中にはヴィンテージジュエリーが二つありますが、その一つがこちらです。状態が良好で、使われているパパラチアサファイアも大きく貴重なものです」
ということは、価格も相当に高いのだろう。間違いなく、この場で選ぶわけにはいかない。
後ろ髪を引かれつつエイヴリルはネックレスをジュエリーケースに戻した。
(いつかこれを手にしたいけれど……離縁後は自分の力で生きていく私には到底手にできない代物だわ。お祖母様の形見とはここで出会えただけでよかった。幼い頃にかわいがってくださったお祖母様に再会できた気分だわ。本当は私が持っていたいけれど……)
「エイヴリル様、そちらになさいますか?」
「……いいえ。これは買いませんわ」
クリスの問いに、エイヴリルは後ろ髪を引かれる思いで祖母のネックレスから視線を外した。そうして、気持ちを入れ替え背筋を伸ばす。
アリンガム伯爵家では無能と言われたエイヴリルだったが、自分の記憶力の良さはわかっている。この中で一番お手頃な値段のジュエリーの目星がついた。
一つだけ、本で見たことがない宝石のついたジュエリーがあった。しかも使われている石は真ん中に一つだけで、ほかに比べてデザインも質素だ。
(うん。これは宝石の本に載っていなかったわ。とても綺麗だけれど、きっとお安いはず)
いくら『悪女』として浪費しないといけないとしても、エイヴリルは契約上の花嫁だ。
三年後にランチェスター公爵家を出ていくときに「浪費した分を慰謝料から差し引く」なんて言われたら困ってしまう。
そうならないために、細心の注意を払わなければいけない。
無事に決断したエイヴリルは、にっこりと微笑んでそのネックレスを指差す。
「あの、ではこれをいただこうかしら」
「こちら……でございますか」
「ええ。支払いはランチェスター公爵でお願いね」
余裕たっぷり、悪女っぽく言えた気がした。すると、店員の瞳がキラキラと輝く。
「お客様はさすがお目が高い」



