【第四章】無能な悪女の烙印 ①

 先日のお茶会。

 エイヴリルは、悪女らしさを取り入れつつきちんとした契約書通りの振る舞いができるのか不安だった。けれど周囲の反応を見るに、自分の立ち回りは意外と悪くなかったらしい。


(しばらくは悪女としてこの宮殿で大人しくしていましょう……)


 とりあえず当面の山場は越えた気がする。朝日を浴びてあくびを嚙み殺しながら、エイヴリルはテラスで大好物の固いパンをかじっていた。

 今朝のエイヴリルは少し寝不足である。その理由は、先日街で見つけた祖母の形見のネックレスにあった。

 実は昨日、あのネックレスがどうしても気になって、エイヴリルはこっそり街へ行ったのだ。

 スカーフとサングラスで顔を隠し、ドレスショップでパパラチアサファイアのネックレスを出してくれとお願いしてみた。

 もちろん今すぐに購入するつもりはない。いつか手に入れるとしたら、資金はどれぐらい必要なのか知りたかった。

 けれどネックレスは出てこなかった。

 なんと、残念なことにすでに人の手に渡ってしまったのだという。

 ちなみに、ついてきてくれたのはメイドのグレイスだ。いつも通りキャロルはいない。


(ひと目、お祖母様の形見を見られたらそれで幸せだったのだけれど。人生、そううまくはいかないものですよね)


 心残りで昨夜はあまり眠れなかった。

 ため息をつくエイヴリルの前にはいつもの朝食メニューが並んでいる。

 ランチェスター公爵家にやってきて初日は窓すら開けられることなく用意された朝食だったが、最近は天気がいいとこうしてテラスに準備されている。


(朝の空気が気持ちいいわ……でも、一人で食事をとるのは少し寂しい、かもしれない……)


 いつも、エイヴリルの食事は一人だ。

 契約結婚で夫婦として振る舞う必要がないというのはわかるし、エイヴリルもディランにそれは求めていない。けれど、寂しいものは寂しい。祖母の形見が頭から離れない今朝は特に。

 ふと、思いつきでテラスの端に控えているグレイスに声をかけてみる。


「ねえ。一緒に朝食をいただきませんか?」

「……え?」


 グレイスは思いっきり顔を引き攣らせた。

 普段なら引き下がるところだが、ここでのエイヴリルは悪女である。

 アリンガム伯爵家でエイヴリルと仲良しのメイド、キーラが幾度となくコリンナのわがままに手を焼いてきたことを知っているのだ。

 となれば、多少身勝手でもいいし、むしろ強引さはあった方がいいだろう。なんともいえない表情で固まっているグレイスに、エイヴリルはにっこりと微笑んだ。


「せっかくこんなふうに素敵な場所にテーブルを用意していただいたし……ぜひ、私のお向かいに座ってください」

「いえ、それはできかねます」

「今なら誰も見ていませんし……あ、固いパンがお好きでないなら、柔らかいパンをいただいてまいりますわ! ごめんなさい気がつかなくって! 少し待っていてくださいね」

「!? どうかそれは! 私は使用人ですのでお構いなく!」


 すっくと立ち上がったエイヴリルに、グレイスがますます困惑の色を深めて後ずさりをしたとき。

 いつもはここで聞くことのない声がする。


「そこには私が座ろう」

「あら、ディラン様」


 なぜかテラスにディランがいる。

 そうして、自然にエイヴリルの向かいの席に座る。

 心底救われた表情をしたグレイスは「旦那様の朝食もこちらに準備いたします」と言って部屋の中へ消えていく。

 それを視線で見送ったディランは、何やら笑いを堪えているようだった。


「エイヴリル。今のはやめてくれるか。彼女たちにも守らねばならないルールがある」

「ごめんなさい。私はご存じの通り悪女でして、お誘いの加減がわからず、つい嫌がらせを」

「……こんな悪女がいるか」

「え?」

「いや、なんでもない」


 今、重要な突っ込みを聞き逃してしまった気がするのはエイヴリルの気のせいだろうか。

 気を取り直して目の前の朝食メニューに向き直ると、ディランの目が点になっていた。


(何か……おかしなことが……?)


 首を傾げて見守るエイヴリルだったが、ディランの表情はみるみるうちに険しいものに変わる。


「このメニューは何だ。すぐにグレイスを呼び戻せ」

「! あっ」


 そうだった。

 エイヴリルの食の好みは普通と少し変わっているのだ。

 香ばしく焦がした目玉焼きと古いうえに少し焼きすぎたパンの朝食は、使用人からのいじめにしか見えないのかもしれない。


「違うのですわ。私はこういうメニューが大好きで、お願い……いえ、命令してこうしていただいているのです」

「……本当か。またあのメイドたちを庇っているのでは?」

「? 私、ここに来て使用人の皆様のことを庇ったことなど一度もありませんけれど」


 何と言っても家を追い出されるほどの悪女ですし、と続けて微笑むと、ディランがため息をつく気配がする。


「……もういい。それより、エイヴリルはどうしてこんな食べ物を好きになったんだ?」

「ええと……料理人を困らせたかったからですね、それはもう」


 悪女のふりも板についてきた自覚のあるエイヴリルは、言葉に詰まることがない。

 ディランの方もエイヴリルの言葉をサラッと流してくれるものだと思ったが、意外なことにそうではなかった。真剣な顔をして告げてくる。


「人の食の好みに文句をつけるつもりはないし、君が嫌がることをあれこれ詮索する気もない。だが、君はもうこんなふうに過ごさなくてもいいんだ」

「?」


 いつもなら聞き流してくれるのに、今日のディランはなんだか真面目である。


(今日のディラン様は少し様子がおかしいわ……。朝からこの宮殿にいらっしゃったのも変だし。もしかして、おなかが空いているのかしら)


 空腹は人の性格を変えることもある、昔読んだ本にそんなことが書いてあった。

 勝手に納得したエイヴリルは、首を傾げながら自分のパンを差し出してみる。


「……固いパンもおいしいですよ」


 ディランはエイヴリルが差し出したパンを受け取り、ちゅうちょせずそのままかじった。


「……うまいな」

「でしょう?」


 ふふふ、と微笑みかけると、ディランの片方の唇の端が上がって、はにかんだような表情になる。空腹とイライラが解消されたのはよかったが、このどことなく甘い雰囲気は何なのだろうか。

 エイヴリルが傾げた首を反対側に傾け直したとき。

 パンを飲み込んだディランは、やっと本題を切り出した。


「アリンガム伯爵家──君の実家から手紙が届いた」


 ディランがテーブルの上にひらりと置いた一枚の封筒。そこに書かれたへたくそな字は、間違いなく父親のものだった。

 手紙を目にしたエイヴリルは固いパンを置く。どうやらあまり楽しい内容ではないらしい……と推測したところでハッとした。


(もしかして、アカデミーからの補佐が派遣される前に私がクローゼットの中に残してきた書類が見つかってしまったのかもしれないわ)


 エイヴリルは、アリンガム伯爵家を出る際に家の立て直しの鍵になる書類をわかりやすくまとめて隠してきた。

 そのは使用人仲間のキーラにだけ教えてあり、いざとなれば外の人間に提示できるようになっている。

 けれど、それが両親もしくはコリンナに見つかってしまったらおしまいである。


(お父様もお継母様もコリンナも、小さな字を読むのがお好きではないから……大丈夫だとは思うのだけれど)


 そう思いながら手紙の宛名を確認する。そこにはディランの名が書いてあった。

 もし書類を見つけていたら、この手紙はエイヴリル宛てのはずだ。

 あの三人が細かいことが苦手なタイプで本当によかった、とエイヴリルは微笑んでみせる。


「それで、ディラン様。このお手紙には何と?」

「支度金を早く支払ってほしい、とだけ書いてある。それは別に構わないのだが、エイヴリルの意思を確認しに来た。君は、支度金をこちらで管理してほしいと言っていたからな」

「そういうことでしたら、もし可能ならこの手紙を無視していただいてもよろしいでしょうか」

「ああわかった。それならば読まなかったことにしよう」


(まあ!)


 ディランはあまりにも物わかりが良すぎやしないだろうか。

 エイヴリルが目を瞬いていると、彼は続けて数枚の書類を取り出した。

刊行シリーズ

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