刑罰:クヴンジ森林撤退支援 2 ①
人類と魔王現象は、はるか昔から断続的な戦いを繰り返しているという。
その歴史を
この第四次魔王討伐において最初の一体が確認されたのは、二十年と少し前。
はるか西方、開拓域の山奥でのことだったという。
魔王現象一号、呼称『ウワバミ』。
それは、開拓村の人間たちが「とてつもない大蛇を見た」という噂に端を発する。その大蛇の出現をきっかけに、めちゃくちゃなことが始まった。ただ人間が襲われただけではない。
森の木々はねじれ、小動物や昆虫は怪物のようになり、土地は腐りはじめた。蛇に嚙まれたという人間が死体となってから起き上がり、麓の集落に襲い掛かった。
それらの報告も、最初は怪談というか、田舎者の与太話だと思われた。ヴァークル開拓公社が発行している新聞でも、その程度にしか扱われていなかった。村がいくつか壊滅したという話は誇張されたものだと認識された。
第三次魔王討伐は少なくとも四百年以上は昔のことで、多くの人々はそれを事実だと考えていなかった。もはや魔王現象は、吟遊詩人や
だから初動は大いに遅れた。
散々に被害を出した挙げ句、聖騎士団が出動し、焦土印によって山ごと吹き飛ばすしかなかった──という話も流れたが、所詮は地方のこと。大げさな伝聞にすぎないと笑う者もいた。
それらがすべて現実だとわかったときには、もう遅かった。各地で魔王現象の出現が相次いで、あっという間に拡大した。
そうして、人類は生息域の半分を喪失し、いまに至る。
◆
俺は暗闇の奥に、飛ぶように跳ねる影を見ていた。
フーアと呼ばれるこの種類の
そもそもやつら──
理由はよくわからない。神殿の学士によれば、生き物の見ている悪い夢のようなものだから、とのことだ。まるで理解できない説明だが、たしかにやつらの見た目も生態も、おおむね悪夢的な存在ではある。
よって、速やかに駆除するしかない。
いま目の前で襲われている、聖騎士団の生き残りが全滅する前に。
(そうだ。《女神》のことなんて忘れろ、気にするな)
やるべきことに集中しなければ。すなわち戦闘。
「ドッタ!」
俺は腰のベルトから一本のナイフを引き抜き、右手で握ると、手の平の聖印が熱を帯びるのがわかる。力が刃に流れ込む。
「方向と距離を合わせろ。一番密集してるのはどこだ? そこに叩き込んで注意を引く」
「気が進まないんだけど……」
ドッタは少し
戦い方は決めていた。どうせ撤退支援ということなら、せいぜい派手にやって陽動をこなさなければならない。
「十時の方向、指一本分くらい九時寄り」
ドッタが望遠レンズを覗き込み、呻くように言った。
「距離は三十七歩、かな? いちばん密集してるのは」
ドッタはそこそこ夜目が利くが、この芸当は単に視力だけの話ではない。
異様な勘を持っている、というべきか。相手は生き物に限るようだが、臆病な分だけ、他人の気配におそろしく敏感だ。信じられない精度で対象物との距離を測る。
「……ええ。なるほど」
せっかく忘れかけていたところなのに、声がした。《女神》の声だ。
「そちらの貧相な方も、目はよろしいようですね」
彼女はドッタに対し、的確に失礼なことを言った。それから俺の前に進み出る。
「では、我が騎士。戦うのでしょう。どのような戦術で参りますか?」
「ええ? ザイロ、えっと、この子は」
「ああ、いや……」
ドッタにも困惑した目を向けられ、俺は返答に困った。すごく困る。相手は《女神》だ。言い方に気を付けなければ。
「あの程度の連中に……そう……」
不用意に《女神》の力を使うべきではない。俺はそのことをよく思い知っている。
「《女神》様の偉大な……偉大な力を借りるのは恐れ多い。その辺で、あれだ。見守っていてくれ」
「まあ、控えめなのですね」
《女神》は明らかに嬉しそうな顔をした。
「遠慮なさらなくてもよいのです。さあ、いますぐ私に頼りなさい。偉大なところを見せて差し上げましょう」
「違う、これは遠慮じゃなくて──」
俺はもっとはっきりと断る言葉を探そうとしたが、状況はそれを許さない。
「ザイロ、やばいって」
ドッタが今度は怯えた声で、俺の名を呼んだ。
「こっちに気づいたやつがいる!」
「くそ」
悪態をつく。上等だ。
「どうしよ、ザイロ」
「問題ねえよ」
俺はナイフを振りかぶり、腕をしならせて
それはまっすぐ、弓矢のように飛んだ。びいっ、と、空気の裂ける音──そして着弾。その言葉がふさわしい。
一瞬だけ、薄闇の奥に
続いて破裂音。
多大な熱量が解き放たれ、木々と土と石と、フーアどもの体をぐちゃぐちゃに吹き飛ばす。ここまで風圧を感じたほどだった。一応、これでも威力は調節した。
本気で使えば、小さな家ぐらい一撃で吹き飛ばす威力は出せる。いまのはせいぜい馬車を粉々にする程度の破壊半径に絞った。
これはナイフではなく、俺の手の平の聖印に仕掛けがある。前の職場で使っていた商売道具だった。勇者刑に処されたときに、ほとんどの聖印は機能を封じられたが、たった二つだけは残された。その一方が、これだ。
この印の製品名は『ザッテ・フィンデ』。
古い王国の言葉で「デカい
派手な手投げ式の爆竹のようなものだ。
「注意は引いた。ここまでは予定通りだ」
俺は冷静なふりをして言った。慌てるとドッタが逃げ出すからだ。
「ほ、ほんとに予定通り?」
「俺が予定通りっつったら予定通りなんだよ」
爆撃を受けたフーアたちが混乱しているのがわかる。いきなり襲われ、こちらの脅威度を測りかねている。円陣を組んでいた兵士たちよりも、こちらに警戒を向けていた。
そいつらを睨み返し、俺はすでに走り出している。斜面を滑り降りる。
「ドッタ、とにかく撃ちまくれ。撃ったら走れ。遅れるなよ! 《女神》様も連れてこい!」
俺の言葉に、ドッタは短い
「ゲロ吐きそう……」
文句を言いながら、ドッタは杖を握る手に力を込めた。杖には聖印が刻まれている。
この類の武器を、雷杖という。
印の製品名は『ヒルケ』。ヴァークル開発公社が開発した、一昔前の古いやつだ。聖印によって雷を放つ。回避も防御も困難な飛び道具、という名目で売り出された。射出の射線と焦点を設定するのに熟練が必要なため、有効性は
ドッタはこいつの名手というわけではない。
目がよくて気配に敏感でも、肝心の聖印を制御するセンスというものが欠けている。ただ、それも状況次第で役に立つ。たとえば、とんでもない頭数で襲ってくる
「──あっ! 当たったっ」
ドッタが嬉しそうに言った。
雷杖の先端が稲妻を放ち、金属がひび割れるような音を響かせる。同時に、フーアの一匹の頭部が肉片を散らして吹き飛んだ。その分だけ、もっと多くの注目がこちらに集まった。
「ザイロ、当たったよ!」
「これだけの数なら外す方が難しいんだよ。そのまま援護しろ! 俺に当てたらぶっ飛ばす!」
俺は森の木々の間をかすめるように駆ける。
そして、フーアどもの
「邪魔だ」
と言い捨てながら、血と肉と泥の領域へと踏み込む。聖印を起動し、ナイフを放つ。二匹くらいをまとめて吹き飛ばす。これは名乗りをあげるよりも効果的に注目を集めた。そしてまたまばゆい閃光、爆破、耳障りな怪物の悲鳴──ついでにドッタの愚痴。



