刑罰:クヴンジ森林撤退支援 2 ①

 人類と魔王現象は、はるか昔から断続的な戦いを繰り返しているという。

 その歴史を辿たどり、太古にあったという最初の戦いから数えれば、いまは四度目だ。『第四次魔王討伐』と呼ばれている。

 この第四次魔王討伐において最初の一体が確認されたのは、二十年と少し前。

 はるか西方、開拓域の山奥でのことだったという。

 魔王現象一号、呼称『ウワバミ』。

 それは、開拓村の人間たちが「とてつもない大蛇を見た」という噂に端を発する。その大蛇の出現をきっかけに、めちゃくちゃなことが始まった。ただ人間が襲われただけではない。

 森の木々はねじれ、小動物や昆虫は怪物のようになり、土地は腐りはじめた。蛇に嚙まれたという人間が死体となってから起き上がり、麓の集落に襲い掛かった。

 それらの報告も、最初は怪談というか、田舎者の与太話だと思われた。ヴァークル開拓公社が発行している新聞でも、その程度にしか扱われていなかった。村がいくつか壊滅したという話は誇張されたものだと認識された。

 第三次魔王討伐は少なくとも四百年以上は昔のことで、多くの人々はそれを事実だと考えていなかった。もはや魔王現象は、吟遊詩人やかたの昔話の中にしかいないと思われていた。

 だから初動は大いに遅れた。

 散々に被害を出した挙げ句、聖騎士団が出動し、焦土印によって山ごと吹き飛ばすしかなかった──という話も流れたが、所詮は地方のこと。大げさな伝聞にすぎないと笑う者もいた。

 それらがすべて現実だとわかったときには、もう遅かった。各地で魔王現象の出現が相次いで、あっという間に拡大した。

 そうして、人類は生息域の半分を喪失し、いまに至る。



 俺は暗闇の奥に、飛ぶように跳ねる影を見ていた。

 フーアと呼ばれるこの種類の異形フェアリーは、そういう特徴的な移動手段をとる。性格は極めて獰猛。

 そもそもやつら──異形フェアリーどもに共通する特徴として、ほかの生命体へ見境なく攻撃する凶暴性が挙げられる。

 理由はよくわからない。神殿の学士によれば、生き物の見ている悪い夢のようなものだから、とのことだ。まるで理解できない説明だが、たしかにやつらの見た目も生態も、おおむね悪夢的な存在ではある。

 よって、速やかに駆除するしかない。

 いま目の前で襲われている、聖騎士団の生き残りが全滅する前に。


(そうだ。《女神》のことなんて忘れろ、気にするな)


 やるべきことに集中しなければ。すなわち戦闘。


「ドッタ!」


 俺は腰のベルトから一本のナイフを引き抜き、右手で握ると、手の平の聖印が熱を帯びるのがわかる。力が刃に流れ込む。


「方向と距離を合わせろ。一番密集してるのはどこだ? そこに叩き込んで注意を引く」

「気が進まないんだけど……」


 ドッタは少しおびえたような顔をしたが、構わない。

 戦い方は決めていた。どうせ撤退支援ということなら、せいぜい派手にやって陽動をこなさなければならない。


「十時の方向、指一本分くらい九時寄り」


 ドッタが望遠レンズを覗き込み、呻くように言った。


「距離は三十七歩、かな? いちばん密集してるのは」


 ドッタはそこそこ夜目が利くが、この芸当は単に視力だけの話ではない。

 異様な勘を持っている、というべきか。相手は生き物に限るようだが、臆病な分だけ、他人の気配におそろしく敏感だ。信じられない精度で対象物との距離を測る。


「……ええ。なるほど」


 せっかく忘れかけていたところなのに、声がした。《女神》の声だ。


「そちらの貧相な方も、目はよろしいようですね」


 彼女はドッタに対し、的確に失礼なことを言った。それから俺の前に進み出る。


「では、我が騎士。戦うのでしょう。どのような戦術で参りますか?」

「ええ? ザイロ、えっと、この子は」

「ああ、いや……」


 ドッタにも困惑した目を向けられ、俺は返答に困った。すごく困る。相手は《女神》だ。言い方に気を付けなければ。


「あの程度の連中に……そう……」


 不用意に《女神》の力を使うべきではない。俺はそのことをよく思い知っている。


「《女神》様の偉大な……偉大な力を借りるのは恐れ多い。その辺で、あれだ。見守っていてくれ」

「まあ、控えめなのですね」


《女神》は明らかに嬉しそうな顔をした。


「遠慮なさらなくてもよいのです。さあ、いますぐ私に頼りなさい。偉大なところを見せて差し上げましょう」

「違う、これは遠慮じゃなくて──」


 俺はもっとはっきりと断る言葉を探そうとしたが、状況はそれを許さない。


「ザイロ、やばいって」


 ドッタが今度は怯えた声で、俺の名を呼んだ。


「こっちに気づいたやつがいる!」

「くそ」


 悪態をつく。上等だ。


「どうしよ、ザイロ」

「問題ねえよ」


 俺はナイフを振りかぶり、腕をしならせてとうてきする。

 それはまっすぐ、弓矢のように飛んだ。びいっ、と、空気の裂ける音──そして着弾。その言葉がふさわしい。

 一瞬だけ、薄闇の奥にせんこうが走った。

 続いて破裂音。

 多大な熱量が解き放たれ、木々と土と石と、フーアどもの体をぐちゃぐちゃに吹き飛ばす。ここまで風圧を感じたほどだった。一応、これでも威力は調節した。

 本気で使えば、小さな家ぐらい一撃で吹き飛ばす威力は出せる。いまのはせいぜい馬車を粉々にする程度の破壊半径に絞った。

 これはナイフではなく、俺の手の平の聖印に仕掛けがある。前の職場で使っていた商売道具だった。勇者刑に処されたときに、ほとんどの聖印は機能を封じられたが、たった二つだけは残された。その一方が、これだ。

 この印の製品名は『ザッテ・フィンデ』。

 古い王国の言葉で「デカいあめだま」の意味──熱と光の聖印。対魔王現象兵装の一つであり、現時点においては最新鋭といえるだろう。物体に聖印の力を浸透させ、破壊兵器に変える。

 派手な手投げ式の爆竹のようなものだ。


「注意は引いた。ここまでは予定通りだ」


 俺は冷静なふりをして言った。慌てるとドッタが逃げ出すからだ。


「ほ、ほんとに予定通り?」

「俺が予定通りっつったら予定通りなんだよ」


 爆撃を受けたフーアたちが混乱しているのがわかる。いきなり襲われ、こちらの脅威度を測りかねている。円陣を組んでいた兵士たちよりも、こちらに警戒を向けていた。

 そいつらを睨み返し、俺はすでに走り出している。斜面を滑り降りる。


「ドッタ、とにかく撃ちまくれ。撃ったら走れ。遅れるなよ! 《女神》様も連れてこい!」


 俺の言葉に、ドッタは短いつえをベルトから引き抜く。目の高さに構える。


「ゲロ吐きそう……」


 文句を言いながら、ドッタは杖を握る手に力を込めた。杖には聖印が刻まれている。

 この類の武器を、雷杖という。

 印の製品名は『ヒルケ』。ヴァークル開発公社が開発した、一昔前の古いやつだ。聖印によって雷を放つ。回避も防御も困難な飛び道具、という名目で売り出された。射出の射線と焦点を設定するのに熟練が必要なため、有効性はいしゆみより少しマシ、というところだ。

 ドッタはこいつの名手というわけではない。

 目がよくて気配に敏感でも、肝心の聖印を制御するセンスというものが欠けている。ただ、それも状況次第で役に立つ。たとえば、とんでもない頭数で襲ってくる異形フェアリーどもとか。


「──あっ! 当たったっ」


 ドッタが嬉しそうに言った。

 雷杖の先端が稲妻を放ち、金属がひび割れるような音を響かせる。同時に、フーアの一匹の頭部が肉片を散らして吹き飛んだ。その分だけ、もっと多くの注目がこちらに集まった。


「ザイロ、当たったよ!」

「これだけの数なら外す方が難しいんだよ。そのまま援護しろ! 俺に当てたらぶっ飛ばす!」


 俺は森の木々の間をかすめるように駆ける。

 そして、フーアどものただなかへ突っ込んだ。


「邪魔だ」


 と言い捨てながら、血と肉と泥の領域へと踏み込む。聖印を起動し、ナイフを放つ。二匹くらいをまとめて吹き飛ばす。これは名乗りをあげるよりも効果的に注目を集めた。そしてまたまばゆい閃光、爆破、耳障りな怪物の悲鳴──ついでにドッタの愚痴。

刊行シリーズ

勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録VIIIの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録VIIの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録VIの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録Vの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録IVの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録IIIの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録IIの書影
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録の書影