刑罰:クヴンジ森林撤退支援 5 ①
指揮官の女は、名をキヴィアというらしかった。
本人が名乗ったわけではない。周りのやつがそう呼んでいる。家名なのだろうが、聞き覚えがない。強いて言えば旧北部王国にありそうな家名だ。生まれつきの貴族ではないのかもしれない。
ともあれ、いまは状況の手当てを急がなくてはならなかった。
遠目に見た応戦の規模からして、二千を超えるはずだった聖騎士団の数は、もはや一千ほどまで追い込まれているだろう。
「後退しろ。ここで持ちこたえるのは無理だ」
というのが、俺の第一の主張だった。
「そっちがよこした別動隊はほぼ壊滅だ。生き残りは逃がしてやったが、すぐに次が来るだろうよ。いまのうちに東へ抜けるしかねえぞ」
感謝されてもよさそうな情報だったが、キヴィアはとても不愉快そうな顔をした。不潔な害虫を見かけたときのような嫌悪を感じた。俺は構わず続けることにする。
「もうすぐ大型の
あくまでも分類の便宜上の呼び方だ。
哺乳類をベースとした
で、ある以上は、渡河中を狙う利点はあまりない。防衛線を引き下げて、渡河後の敵に火力を集中させるようにした方がいい。むしろ相手に川を背負わせる。川を使って分断して、背水を強いる。
なぜこれが有効な「分断」になるかといえば、俺がいるからだ。
「こっち側に引き込んで、もう少し粘れ。そうすれば魔王現象の本体が叩ける。あっちも最前線に出てきてるからな」
あえて断定的に言った。
なぜそれがわかるかといえば、聖騎士団の別動隊を壊滅させていた
「魔王は俺が片づける」
空中を移動して、魔王を暗殺するという意味だ。
いま、この
「あんたらは、俺が飛び込むときの援護をやってくれ」
俺は真剣に頼み込んだ。だが──
「貴様が、なぜ指揮官のような口を利く」
俺の意見は、ものすごく不快な印象とともに受け取られたようだった。キヴィアの顔を見なくても声だけでわかるくらいだった。
「我らの方針は変わらない。やつらの渡河を阻止する」
キヴィアは呆れるほど真面目な顔で言った。
「死守だ。この川の東岸は、北方貴族連合の領土だ。いまだ人類の土地でもある。やつらに踏み荒らされるわけにはいかない」
「アホか」
俺は自分の声が大きくなるのを抑えられなかった。
「撤退命令が出てないのか? 俺たちはそれを支援するように言われたんだぞ」
「ガルトゥイルからの使者は、最終的な判断は指揮官に委ねると告げた」
ガルトゥイルというのは、もともとは連合王国における軍事的な部分を統括する庁舎の名だった。いまではガルトゥイル要塞と呼ばれる。それは事実上の司令部となっていた。
「ならば、名誉のためには命を惜しまない。我々は、すでに死を覚悟している」
「アホすぎる」
そんな感想しか出てこなかった。
俺たちが受けている命令と、明らかに矛盾している。理由は政治的な話だろう。ガルトゥイル要塞──軍部も、複数の貴族の出資で成り立っている。たとえば北方貴族連合。そういう連中の思惑が混じった結果、こんなめちゃくちゃな指示になったのかもしれない。
あるいは、単に俺たち懲罰勇者部隊なんてどうでもいいと思って、いい加減な命令を出しているのか。そっちもあり得る。
「てめえらの名誉なんて知るか。誰かが住んでる土地を守るならともかく、ここは開拓地でさえないんだぞ。付き合わされる部下や俺たちはどうなる?」
「……名誉こそ、重大な問題だ。我々は北部からの敗走を余儀なくされ、ここで撤退を命じられ、……それに……これ以上は、耐えられない。ここを我々の墓標としても構わない。最後まで戦い抜いてみせる……!」
違和感があった。
このキヴィアの強硬な態度はなんなのだろう。何か後ろめたいことがあって、その罪滅ぼしをするために、無理な戦いを挑もうとしているように思える。ほかの兵士たちも同じような、うんざりするほど
「我が部下は、みな私の方針に同意した。そして貴様たち勇者の末路など、知ったことではない」
忌々しげに、吐き捨てるようにキヴィアは言う。
「死にさえ値せぬ罪人どもめ! だいたい、その《女神》様はどうしたことだ?」
キヴィアは槍の穂先を俺と、背後のテオリッタに向けた。
「なぜ目覚め、貴様が契約を交わしているのだ! すでにそれがおかしいではないか? わけがわからない。いや、本当にわからない! 我々は、《女神》様さえ無事ならそれでいいと思っていた! 我々が全滅するとしても、この戦場から必ず無事に送り届けようとしていたのだ!」
「それは返す言葉もねえよ、くそっ! 盗んだやつがいたんだ!」
「ぬ、ぬすっ」
キヴィアが目を
「盗んだっ? 我らの警備をどうやって? いや、それよりなぜだ──なぜそんなことを? 貴様ら人類の敵か? 何を考えている?」
「うるせえな、全部俺が知りたいくらいだ!」
だんだん、腹が立ってきた。なんで俺がこんなことを詰問されなければならないのか。いま、それどころではないだろう。
「いま謝って意味があるなら謝る! けどな──」
たしかにこれについては全面的に俺たちが──ドッタが悪い。ただしそんなことを追及している状況では、絶対にない。
「ごちゃごちゃ言ってる場合じゃねえだろ。俺の案よりマシな作戦があるならそっちでもいいぜ、死守する以外でな!」
「なんだその口の利き方は。なぜ我々が勇者の指示で動く必要がある!」
「──黙りなさい、有象無象」
不意に、テオリッタが口を挟んだ。
冷たい鋼のような声だった。
「そ」
キヴィアは気の毒なほどうろたえた。
「そ、それは、私のこと──ですか?」
「ええ。ほかに誰が? 言っておきますが、我が騎士の指揮に口答えは不要です」
テオリッタは小柄ながら、全身から発する何らかの存在感が、キヴィアを圧倒しているように見えた。それは火花を散らす彼女の金髪のせいかもしれない。
「速やかに兵をまとめ、魔王と
「……いえ、お待ちください。《女神》様。この状況は何かの間違いです! その男があなたの騎士となったのはまったくの事故! 本来なら──」
「《女神》に事故などありえません。私が騎士と認めたのです。これは運命」
切って落とすような言い方だった。
テオリッタには、まさしく《女神》らしい物言いも身についているらしい。それとも、こっちの方が本来の態度なのだろうか。
「あなたはいささか優しすぎますね、我が騎士ザイロ」
テオリッタは自慢げに俺を振り返った。
「この者たちに威を示して差し上げましょうか。指揮権を握るべきは、この私を
ふん、と、鼻が鳴った。明らかに期待しているのがわかる。背後の空間が歪んで見えた。本気で力を示そうとしていた。
「そうすれば、あなたも私を褒め讃えること間違いないですよね。……ですよね?」
「ま、待て。なんだ? いま、妙な名前が──ザイロだと?」
キヴィアは俺の名前に引っかかったようだった。
これは良くない。王国内で、俺の名前はかなり有名だ。特に聖騎士団に所属しているような相手だと、確実に知っているだろう。
「あの……ザイロ・フォルバーツか! 勇者の中でも最悪ではないか。何を考えている! この、《女神殺し》の大罪人──」
キヴィアの言葉は、途中でかき消された。



