第一話①

【土屋文太】


 やっぱりひ弱な僕に深夜アニメリアルタイム視聴からの新聞配達は荷が重たかったか……! 

 こういうときは聖女様! 聖女様を一目入れてとにかく体力回復だ!

 それから仮眠すればなんとか今日一日を乗り切れるはず。

 妹から「兄さんは身体が弱いから無理しない方がいい」と忠告されていたにもかかわらず、睡眠時間を削ってアニメ視聴。

 愚か、の一言だよね。計画性皆無。身体だって丈夫なわけじゃないのに。


 さて、ここらで軽く僕という人間に触れておこうか。もしかしたら世界の外側から観測している生命体がいるかもしれないし。

 土屋文太、十七歳。どこにでもいる男子高校生。貴方を一言で表すと? 凡人です。

 ——以上!

 もし観測者が実在するなら先に言っておくよ。

 僕を覗き見てもつまらないから! だって何も起きないし。


 特筆すべきことがない僕と違って話題に事欠かないのが聖女様だ。

 僕自身に関しては本当にこれ以上語ることがないからね。これを話題転換と言います。

 彼女との出会いは半年前。新聞配達のバイトを始め、通学電車の乗車が早まったことがきっかけだ。

 最初目撃したときの衝撃? 天使が降臨したかと思いましたが? 

 とうとう天国行きの電車に乗車してしまったかと本気で信じてしまいましたが?

 もうね、視覚から得られる多幸感がハンパじゃない。同じ人間ですかと問いたくなるような外見。もはや美の暴力。

 おかげでお金欲しさに始めた新聞配達も聖女様見たさに続いていると言っても過言じゃない。

 昔の人は素晴らしい言葉を遺したよね。

 早起きは三文の徳って。

 傾倒しているオタク趣味なら、ここで僕と聖女様がボーイミーツガールに……なんて妄想してしまうところだけど、生憎、僕は現実主義者。

 現実と虚構の区別はついているつもり。

 だから僕は視界の端に切れるか切れないかぐらいで捉えることを徹底している。

 見知らぬ他人であるわけだし、面識のない男からジッと観察されたら、女の子は不安と恐怖を抱くよね。

 というわけで今日もさりげなく聖女様を視界に入れようと乗車したわけだけれど。


 ……なん…………だと⁉︎ 今日にかぎって聖女様がいない⁉︎ 嘘だッ! 


 挙動不審と思われないよう空いている席を探すふり。

 さりげなく視線をさまよわせる。この半年間で習得したドーピングスレスレの技術。

 神は僕を見捨てたもうか。なんという酷い仕打ちだ!

 甘んじて地味ヅラを受け入れている僕のささやかな幸せ、楽しみさえも取り立てるなんて。許すまじ神の暴挙。

 聖女様を一目見ることができない。その事実を認識した僕は立ちくらみに襲われていた。貧血だ。リアタイからの配達という無理が原因に違いない。貧弱すぎる……!

 ふらふらとさまよい、空いている席を見つけて、適当に腰かける。

 頭を垂れて落ち込む僕は真っ白に燃え尽きていたことだろう。


「ずいぶんと落ちこんでるじゃん。もしかしてお目当てに会えなかったとか?」

「うん。マイスイートエンジェルがいなくて——ん⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」


 あまりに自然に話しかけられたものだからつい、こう、ぬるっと。口が滑っていた。

 話しかけれていたことを自覚した次の瞬間、ふわりと漂ってくる香り。

 脳が咄嗟に弾き出したのは女の子特有の甘い匂いだ。

 女っ気皆無の僕にどうしてそんな記憶があるのか。もちろん身内の妹から得た五感情報。

 座席が若干沈むような感覚と軋む音。

 気配の感じる先に恐る恐る視線を向けるとそこには——。


 ——聖女様、


 にギャルが座りこんでいた。

 腰ほどまである艶やかな金髪ストレート。制服を花魁風に着崩し、短いスカートからは大胆に太ももが露出。

 長い脚を組んでいるおかげで色々と色々になっている(語彙力消滅。つまり見えそう)。

 化粧は控えながらも、ばっちり素材の良さが引き立ち、こだわりは指先まで到達。ネイルもバッチリだ。

 妥協を許さない着こなしと外見だ。

 聖女様の属性を『癒』と表現するなら目の前の少女は『棘』。

 僕のような内向的な人間と一生関わりがないような美少女ギャル。

 本能がギンギンに警笛を鳴らしていた。

 綺麗な花には棘がある、ハニートラップなんて言葉が慌ただしく脳内を駆け回っていた。


「えっ? あのっ、誰⁉︎」


 おかげで素っ頓狂な声が漏れる。

 こっ、こういうことって本当に現実に起きるんだ。


「はじめまして。ちょっとだけいい? 聞きたいことがあるんだけど」

恐喝カツアゲですか⁉︎」

「……へえ。私ってそういう女に見えるんだ」

「お金ならありません!」

「こいつ! 本当に奪い取ってやろうか」

「ひぃっ!」

「……いや、嘘に決まってんじゃん。本気で怯えないでよ。悪いけど本題に入らせてもらっていい? オタクくんさ、いつもこの車両で女子生徒のこと見てるよね。どういうつもり?」


 鋭い眼光に心臓が跳ね上がる。僕を見極めようとしているのがヒシヒシと伝わってくる。

 ギャル怖い!

 恐怖のあまり震え上がってしまいそうだ。本来なら頭が真っ白になっていたと思う。

 けれど彼女の言葉は僕を現実に引き戻すのに十分すぎるものだった。

 聞き流すことなんてできるわけがない!


 ——


 ばっ……バレてる……⁉︎

 いつも聖女様を視界の端に入れていたことがバレてた⁉︎

 いや、やましいことはしていない。見ていたことはたしかに事実ではあるけれども、できるかぎりの配慮はしていたはず。

 少なくとも変質者・変態に思われないようにはしてきたつもりだ。

 というか、いきなり全く見知らぬ女子からそれを問い詰められるとかどういう状況⁉︎

 一体僕の身に何が起きてるんだ!

 突然、降りかかってきた災難(?)に言葉を詰まらせながらも慎重に選ぶ僕。


「女子生徒というのは……」

「これ見てわかんない?」


 言われるがまま彼女を注視すると見覚えのある制服が目に入る。


「まさかその制服……」

「そっ。と友達なの。実は視線を感じるって相談されてたんだよね」


 と聞いた途端、僕の全身からサァーと血の気が引いていく。

 まだわからないことだらけにもかかわらず、点が線になったような感覚。

 相談を、していた……? 

 ということは僕の視線に不安や恐怖を覚えていたってこと……? 

 それは——本意じゃない。いや、『あってはならない』ことだ。

 聖女様は僕にとって恩人。毎日を楽しく過ごすエネルギー、生きる糧を与えてもらっていたと言っても過言じゃないわけで。


 不安にさせてしまっていたのなら、恩を仇で返すような行動。

 ——言い逃れなんてできるはずがない。

 だからこそ僕はしっかりと彼女の目を見据え、その奥にいるであろう聖女様に誠心誠意謝らなければいけない。


「ごめんなさい」

「……ふーん、あっさり認めちゃうんだ。まっ、誰にでも優しそうだし、、って妄想しちゃうのも無理ないよね」

「そこは待って欲しい! たしかに僕は彼女のことを目で追っていた。そこは認める。けれどやましい気持ちで見ていたわけじゃない!」

「女の子を視線で追っておいて、気がない、は苦しいんじゃない?」

「ぐっ……! たしかにその通りなんだけれども。ただこれは本当に違うんだ。言葉では表しにくいんだけれど僕にとって彼女は——聖女様なんです!」

「いや、内心で聖女様呼びってヤバいヤツじゃん」


 ああああぁぁぁぁー! たしかに! 大失言じゃないか⁉︎ 急いで訂正を——、


「キモオタであることは認めます。ですけど、決してヤバいヤツではなく! 単純に癒されていたという話で!」

「どうどう。落ち着きなよ」


 冷静なら、この訴えは苦しい言い訳にしか聞こえないとわかるんだけど、このときの僕は恩人に誤解されていることが心苦しくて。

 だからこそ必死に嘆願してしまっていた。


「不安にさせたり、怖い思いをさせるつもりは本当になくて。だから謝らせて欲しい。本当にごめん」


 ああ、なるほど。これは本当に辛い。

 僕にとって聖女様は元気を分け与えてくれる存在。恩人だ。そんな人を苦しめていた。これはなんというかこれまで味わったことのない痛みだ。


「異性として狙っていたとかじゃないの?」

「違います」

「即答は即答でムカつくな……」

「えっ、すみません、なんて……?」

「こっちの話」


 今後、聖女様と会うことはなくなるだろうけれど、彼女からすれば付きまとわれるかもしれない不安が残るはず。

 心の底から反省している態度をこの場で示すことで少しでも恐怖を軽減できれば本望だ。


「遠目から一目入れるだけで満足とか、断食系ってやつ? 初めて見たんだけど。実在したんだ……」

「あの、僕のことをツチノコか何かだと思ってません?」

「はあ? そんなわけないじゃん」

「そうですよね。そんなわけ——」

「ツチノコって懸賞金億だから。オタクくんは五◯円ぐらいじゃないの?」

「それはさすがに価値が低すぎませんかねぇ⁉︎」


 ハッ、いけない。つい反射的にツッコミを入れてしま——、


「——ふーん。そんな反応もできるんだ。うん。悪くない、かな」

「えっ?」

「オタクくんさ、勘違いしてるでしょ。そもそも私、が不安や恐怖を覚えているなんて言った覚えないんだけど」

「表ちゃん?」

「ああ、親友の呼び名ね。オタクくんが聖女様と呼んでる子」

「じゃあ不安や恐怖を覚えてないというのは?」

「ほら、あの娘って見た目が超絶ヤバいじゃん?」

「ええ」

「あっ、認めちゃうんだー。やっぱり下心あったんでしょ?」


 ジトッとした目を僕に向けてくる。


「何度だって言いますけど僕は勝手に——」

「——癒されていただけ、でしょ。わかったってば。私が言いたいのは、あれだけ目を惹く容姿をしてれば、悪い虫も吸い寄せられてくるってことで」

「悪い虫……」


 ぐっ……! 『お前のような』と言われたわけじゃないのになかなかキツい言葉だ。

 妹から言われ慣れていると思っていたけれど、いざ他人から聞かされると堪えるね。


「とにかく勘違いしちゃう男が多くてさー。ワンチャン、なんて考える輩が多いこと多いこと。だから今回も私が視察しにきたわけ。不安な芽を刈り取っておくのが、あの子の親友である私の役目ってわけ」


 なるほど。関係性はなんとなくわかる。

 もしも聖女様が見た目通りの柔和な性格だとしたら、親交を断っているにもかかわらず、執着する男がいても不思議じゃない。

 その点、目の前の少女はずいぶんとハッキリしている性格と言動。

 バリバリのギャルである彼女が目を釣りあげて「迷惑だからやめろつってんの」と告げれば僕のようなオタクを撃退には十分。事実、効果抜群。


「正直に言えば、あの娘から〝向けられる視線がいつもと違う気がする〟って聞いてたの」


 異性としての好意が含まれている視線と癒しに向けるそれでは、感じるものが違っても、ありえると思う。勘の良い女の子ならなおさら。

 もしかしたら、その一点でストーカー認定から免れたのかもしれない。


「認めるところは認めた上で、下手な言い訳もなし。誠意や真剣さから嘘をついているようにも見えないし……はい、職務質問終わり。不愉快だっただろうけど理解してくれると助かるかな」


 そう言って軽い身のこなしで立ち上がると、駅到着のアナウンス。

 あっ、聖女様と同じ降車駅。同級生だったりするんだろうか。

 いや、今はそれよりも!


「えっ、お咎めなしでいいんですか? 二度と聖女様の視界に入るな、とか。通学時間や車両を変えろ、とか」

「だって、やましいことはないんでしょ?」

「それは誓って」

「だったら強要できるわけないじゃん。好きにすればいいんじゃない?」


 えっ、ええー? 

 困惑を隠しきれていない僕を視認した彼女は電車の扉が開くや否や、


「表ちゃんには一言だけ添えてあげる。危ないヤツじゃなさそうだったよーって。だからこれからどうするかはオタクくん次第。じゃあね」

「あの! 最後に貴女のお名前をうかがっても?」

「あー、えっと……裏川、かな。まっ、私の名前なんか覚えなくても全然いいから」


 掌をひらひら振って何事もなかったかのように下車していく裏川さん。

 対照的に僕はといえば天災に遭ったような気分だった。

 ええーと、つまりなんだ。難を逃れたと思っていいのかな? 被告人は人畜無害! よって無罪、みたいな?

 これからも毎日のささやかな楽しみ——聖女様を一目入れてもいいってことだよね?

 ああー、もうダメだ。頭が回らない。なにより緊張の余韻が残って心臓に悪いや。

 新聞配達による肉体的な疲労と、裏川さんの面接による精神的な疲弊。

 いまになってそれらが一緒に襲ってきた。

 もうすぐ学校最寄りの駅だけど仮眠しておこう。

 なんとなくオチが頭の片隅によぎった僕は案の定、終点駅まで寝過ごし、盛大に遅刻することになりました——分かりやす過ぎる!

刊行シリーズ

裏ギャルちゃんのアドバイスは100%当たる 「だって君の好きな聖女様、私のことだからね」の書影