第一話②
【表川結衣】
英才教育のおかげもあってか、私は文武両道に育った。
母親の美貌のおかげで容姿も悪くない。
私の数少ない弱点といえば早起きが苦手なことくらい。
鼻につくかもだけど、客観的に評価すれば誇張じゃないと思う。
表川グループの令嬢として過ごす生活も間違いなく私ではあるんだけど。
言動に責任が伴う立場が大変じゃないと言えば嘘になるよね、そりゃ。
ぶっちゃけ年相応のくだらない会話や生活に憧れがあったりするわけで。
身内以外、何も考えないで楽しくしゃべったのもいつが最後だったか思い出せないし。
そんな私が令嬢としてではなく【裏】の姿で一人の男子生徒——通学電車で一緒になるオタクくんを見極めようと考えた理由は二つ。
一つめは、立場上それが望ましかったから。
令嬢として軽はずみな言動は厳禁。どこで何を見られ、聞かれているかわからない。
表の顔で異性に声をかけ、あまつさえ自身が通う学校で噂になったりでもしたら——。
面倒なことになるのは必至だよね。
その点、全くの別人として行動すれば要らぬ誤解を招くこともないわけで。
二つめは、退屈していたから。うん、早い話、刺激を求めていたんだと思う。
一日の、否、一年のほとんどを令嬢として過ごす私にとって素で接することができるのは年上のお付き、それも同性だけ。
我ながら同一人物なんて夢にも思わない完成度。うん完璧。良いんじゃない? こういう格好してみたかったんだよねー。
準備は万端。さて、それじゃ探りを入れますか。
隣接車両の扉近くから彼の様子を窺う。
オタクくんは……おっ、いたいた。ははっ、探してる探してる。
残念ながらお目当ては別車両なんだよね。
着席したら真意を確認しに——って、めちゃくちゃ落ち込んでんじゃん⁉︎
この世の終わりみたいな顔してるんだけど! 会えないだけでそんなになる⁉︎
そこまで求められるとちょっと嬉しいかも。
「ずいぶんと落ちこんでるじゃん。もしかしてお目当てに会えなかったとか?」
「うん。マイスイートエンジェルがいなくて——ん⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎ えっ? あのっ、誰⁉︎」
マイスイートエンジェル⁉︎
えっ、なにその呼び名! 落ち着け私……! 反応的に正体はバレてない。
ははっ、誰——か。よもやオタクくんが毎朝目にしている女だとは思うまい。
「はじめまして。ちょっとだけいい? 聞きたいことがあるんだけど」
「
違うってば! えっ、もしかしてヤンキーに見えてるとか⁉︎
【裏】の見てくれキツかった? ただのギャルですけど?
「……へえ。私ってそういう女に見えるんだ」
「お金ならありません!」
「こいつ! 本当に奪い取ってやろうか」
「ひぃっ!」
「……いや、嘘に決まってんじゃん。本気で怯えないでよ。悪いけど本題に入らせてもらっていい? オタクくんさ、いつもこの車両で女子生徒のこと見てるよね。どういうつもり?」
彼を見極めるため観察眼を光らせる。
「女子生徒というのは……」
「これ見てわかんない?」
「まさかその制服……」
「そっ。あの子と友達なの。実は視線を感じるって相談されてたんだよね」
どうやら状況は飲み込めた様子。
さーて、蛇が出るか鬼が出るか。
「ごめんなさい」
いきなり謝罪⁉︎ 保身だってあるだろうしもうちょっと食い下がるかと思ったんだけど!
苦しい言い訳はなし、と。
演技には見えないし、根は善良? 少なくとも危ない人間じゃなさそうかな……。
「……ふーん、あっさり認めちゃうんだ。まっ、誰にでも優しそうだし、僕でも仲良くなれる、って妄想しちゃうのも無理ないよね」
「そこは待って欲しい! たしかに僕は彼女のことを目で追っていた。そこは認める。けれどやましい気持ちで見ていたわけじゃない!」
「女の子を視線で追っておいて、気がない、は苦しいんじゃない?」
「ぐっ……! たしかにその通りなんだけれども。ただこれは本当に違うんだ。言葉では表しにくいんだけれど僕にとって彼女は——聖女様なんです!」
えっ、ええええぇぇぇぇ……? 聖女⁉︎⁉︎ 異性としてじゃなくて癒しの象徴として私を見ていたってこと?
「いや、内心で聖女様呼びってヤバいヤツじゃん」
「キモオタであることは認めます。ですけど、決してヤバいヤツではなく! 単純に癒されていたという話で!」
「どうどう。落ち着きなよ」
私の探りに対してオタクくんが見せた反応は必死の嘆願。
それも見ているこっちが恥ずかしくなるような熱量。うん間違いない。マジのやつだ。
「不安にさせたり、怖い思いをさせるつもりは本当になくて。だから謝らせて欲しい。本当にごめん」
「異性として狙っていたとかじゃないの?」
「違います」
「即答は即答でムカつくな……」
「えっ、すみません、なんて……?」
「こっちの話」
知人とすら呼べない異性から好意を寄せられるのはうんざりだけど、即答&断言は複雑だよね。
女としての魅力がないと言われたようで癇に障るというか。
だけど、異性から恋愛に結びつけようとされないのって新鮮かも。
「遠目から一目入れるだけで満足とか、断食系ってやつ? 初めて見たんだけど。実在したんだ……」
「あの、僕のことをツチノコか何かだと思ってません?」
「はあ? そんなわけないじゃん」
「そうですよね。そんなわけ——」
「ツチノコって懸賞金億だから。オタクくんは五◯円ぐらいじゃないの?」
「それはさすがに価値が低すぎませんかねぇ⁉︎」
おっ、良いじゃん。なになに、ツッコミもできるの? これは私的に結構ポイント高いよ。
「——ふーん。そんな反応もできるんだ。うん。悪くない、かな」
「えっ?」
「オタクくんさ、勘違いしてるでしょ。そもそも私、表ちゃんが不安や恐怖を覚えているなんて言った覚えないんだけど」
「表ちゃん?」
「ああ、親友の呼び名ね。オタクくんが聖女様と呼んでる子」
「じゃあ不安や恐怖を覚えてないというのは?」
「ほら、あの娘って見た目が超絶ヤバいじゃん?」
「ええ」
「あっ、認めちゃうんだー。やっぱり下心あったんでしょ?」
「何度だって言いますけど僕は勝手に——」
「——癒されていただけ、でしょ。わかったってば。私が言いたいのは、あれだけ目を惹く容姿をしてれば、悪い虫も吸い寄せられてくるってことで」
「悪い虫……」
「とにかく勘違いしちゃう男が多くてさー。ワンチャン、なんて考える輩が多いこと多いこと。だから今回も私が視察しにきたわけ。不安な芽を刈り取っておくのが、あの子の親友である私の役目ってわけ」
オタクくんをチラリ。様子を確認すると真剣な表情ときた。
私の言葉を疑わず信じ切ってる感じ。わかりやすい性格してるなー、ほんと。
「認めるところは認めた上で、下手な言い訳もなし。誠意や真剣さから嘘をついているようにも見えないし……はい、職務質問終わり。不愉快だっただろうけど理解してくれると助かるかな」
大義名分はあったけど、気持ち良いものじゃなかったよね。
そこはごめん。その代わり——、
「えっ、お咎めなしでいいんですか? 二度と聖女様の視界に入るな、とか。通学時間や車両を変えろ、とか」
「だって、やましいことはないんでしょ?」
「それは誓って」
「だったら強要できるわけないじゃん。好きにすればいいんじゃない?」
ははっ。「えっ、ええー?」なんて心の声が聞こえてきそう。
聖女様も悪い気はしないし、朝の挨拶ぐらいは許してあげようかな。
私の寛大な心に感謝しなよー、オタクくん?
「表ちゃんには一言だけ添えてあげる。危ないヤツじゃなさそうだったよーって。だからこれからどうするかはオタクくん次第。じゃあね」
「あの! 最後に貴女のお名前をうかがっても?」
私(【裏】)の名前⁉︎ ヤバッ、興味を持たれるのは想定外なんですけど!
「あー、えっと……裏川、かな。まっ、私の名前なんか覚えなくても全然いいから」
本名が表川だから裏川って……我ながら安直。もうちょっと捻ればよかった。
咄嗟だったし、仕方ないけどさ。
下車した私はうーんと背伸びをしながら少し先のことを想像する。
「明日はちょっと早起きしてみようかな」