第一話③

【土屋文太】


 リアルとギャルゲーには共通点がある。


「あれ、お前、現実と虚構の区別ついているって言ってたじゃん。もしかしてボケた?」などと世界の外側から罵倒されそうな冒頭だけれど、どうか語らせて欲しい。

 その共通点とは何か。

 平凡な男子生徒がなぜか絶世の美女、美少女から好意を寄せられる——ではなくて。

 選択肢があること。そう、人生の分岐点が次々と目の前に現れることだ。

 もちろん現実の場合はゲームと違って選択肢が表示されるわけではないけれど、脳内で起きていることは同じと言っても過言じゃない。


 ご託はいい。さっさとお前に現れた選択肢分岐とやらを教えろだって?

 端的に言うと、これまでと同じ時間・車両に『乗車する』or『乗車しない』か。

 昨日、僕は裏川さんという、美少女のギャルに絡まれてしまった。

 ここだけ切り取れば本当にギャルゲーの一場面ではあるけれど、実態は犯罪者予備軍としての接触——と言ってもいいんじゃないだろうか。

 いや、自分で言っておいて凹むけれど。

 どうやら僕の視線はバレバレで聖女様の親友である裏川さんに相談されていたという——。

 思い返すだけでも胸が痛くなる現実だ。

 期待と勘違いをしてはいけないことは重々承知しており、それを必死に訴えたおかげでなんとか無罪を勝ち取ったわけだけど……。


 刹那、電車到着のアナウンスが流れる。

 この電車に乗車すればまた聖女様を一目入れることができる。なにより昨日の今日だ。

 もしかしたら聖女様の僕に対する評価が『チラチラと盗み見てくる変質者予備軍』から、『普通を体現した人畜無害の男子高校生』にグレードアップしているかもしれない。

 いや、スタート時点がマイナスすぎるよ! 

 楽観視してようやく『凡人』になるとか、モブ偏差値が高すぎないかな⁉︎

 さておき。

 通学電車が到着。空気が抜ける音と共に扉が開け放たれる。

 それは僕、土屋文太という人間の新たな門出。その始まりと重なる光景。

 文字通り一歩踏み出せば新たな旅立ちとなる予感。

 裏川さんは「オタクくん次第」と言った。言ってくれた。

 その言葉を表面通りに受け取っていいなら、僕に必要なのは乗車する勇気だけ。

 恋愛関係抜きにして、挨拶や雑談、顔見知り程度の関係を構築することができるかもしれない。

 いや、期待しちゃいけないってわかってる。

 だけど、『乗車する』『乗車しない』はそういう展開も内包しているかもしれなくて。

 まさしく選択肢分岐点。主人公として、能動的な人生がここから始まる——。

 だからこそ僕はこれまでしたことがないような晴れやかな笑みを浮かべ、心地良い風を祝福として受けながら——、

 










 ——

 

 脳内炭治郎が「逃げるな卑怯者‼︎ 逃げるなァ‼︎」と叫んでいるけれど、聞く耳を持つつもりはない。

 だって聖女様に嫌われたくありませんし。

 不安や恐怖を感じていたわけじゃないと聞いて安心したものの、一歩間違えればそういう感情を抱かせてしまっていたわけで。

 それはやっぱり本意じゃない。

 つまり僕は聖女様を苦しませたくないのと同時に、それを目にしたくない、というエゴもあって。ましてやその原因が己であることを自覚したくないわけだ。

 うん、絵に描いたようなヘタレだね。


 これで見納めか……。さようなら聖女様。

 長いようで短い半年間でしたけど、もちろん感謝しかないです。

 これまで本当にありがとうございました!




【表川結衣】


朝。完全無欠の聖女様で通学しようと起きた私は思わぬ収穫に驚きを隠せないでいた。

 あれ……? もしかしなくてもいつもより体調が良い? 

 目覚めたときの、あの嫌な低血圧がないんだけど⁉︎

 私には人生から消し去りたいほど苦手なものが三つある。その一つが起床。

 一日の始まりがダル重からってありえないよね。 

 こっちは爽快に迎えたいのさ、どうしても身体が受け付けてくれないわけ。

 そんな状態で支度なんてできると思う? 無理に決まってんじゃん。

 だからこそ朝の支度だけはお付きに委ねているわけで。

 着替えやらメイクやら、朝食の準備やら——現在では何もしなくてもいつの間にか登校の準備が完了するまでになっているんだよね。

 もうホント不覚。萎えまくり。自分のことはできるかぎり自分でやりたいのにさ。

 だからかな? 私が十年ぶりのアラームで起き上がると、


「お嬢様が起きた⁉︎」

「クララが立ったみたいに言わないでくれる? 自分で起きることぐらいあるっての」


 私の世話係、メイドの反応は劇的だった。

 まあ、正直私が一番驚いているんだけどね。

 もしかしてオタクくんのおかげだったりして。ははっ、やるじゃん……!

 もちろん異性として意識したとか、そういう甘酸っぱいものではなくて。

 聖女様アイドル降臨によるオタクくんファンの反応を窺うのが楽しみなだけなんだけど。

 これまでメイドにされるがままだった私は、


「リップって新しいのあった?」


 満足する身なりを整えるまでに、いつもの三倍以上、姿見の前で過ごすことになった。

 どうせ電車で会うなら完璧な私を見せてあげたいじゃん? 

 一目入れたオタクくんが勝手に癒される分には全然悪い気はしないしさ。

 ほんと思わぬ収穫だよね。

 私は朝の苦痛を和らげられる。オタクくんは癒される。まさにWin-Winじゃん。

 よし、完璧! いつもにも増して聖女感出てるかも!

 待ってろよーオタクくん。私の全力をとくと拝むがいい!


◯●◯


 なんて私にもやる気があった時期がありました。

 はっ、はぁ〜〜〜〜っ⁉︎ 嘘でしょ! あれだけ聖女聖女言ってたくせに通学時間と車両を変えるとかありえなくない⁉︎

 これまでと同じ時間・車両に乗車した私に待っていたのは、オタクくんの消失。

 これまで彼が私を探していた光景とは対照的、完全無欠聖女様がどこにでもいる男子高校生を探すって……コントじゃん!

 ふーん、ふーん。あっ、そう。こういうことするんだオタクくん。ヘタレめ。だったらこっちにも考えがあるから。

 たしか彼がいつも降車する駅は——。



【土屋文太】


 裏川さんと接触した翌日から姿を消したものの……どう思われているんだろ?

 やっぱり安堵かな? 残念——とは流石に思っていないだろうし。

 それは僕に都合が良すぎる解釈だよね。

 なんにせよ時間と車両を変えてはっきりとわかったことがある。

 僕は思っていた以上に聖女様から元気を分け与えてもらっていたことだ。

 授業中に居眠りしたあげく、寝言で「聖女様!」なんて叫んで教室を騒然とさせたらしい。

 体育では水に濡れたあんぱんのごとくチカラが入らないし、放課後のバイトでもミス連発。心配、呆れ、叱責、のオンパレード。

 元々デキた人間じゃないことは把握していたつもりだけれど、聖女様を一目入れないことでここまでポンコツに成り下がろうとは……。


「……はぁ。聖女様をお見かけしたい」

「だったらなんで今朝電車変えたわけ?」

「だって嫌われたくないですし——って、誰⁉︎」


 半身を窓側にもたれかかりながらセンチメンタルになっていると頭上から声が。

 またしても自然な入りだったせいで、つるっと、滑ってしまったわけだけれど、似たようなことが前にもあった気がするんですけど⁉︎

 デジャブ⁉︎

 急いで視線を上げるとそこには見知った美少女が立っていた。裏川さんである。

 ただし、以前とは雰囲気が違っていた。背後から『ゴゴゴッ……』と聞こえてきそうな雰囲気をまとっている。

 にもかかわらず、顔面に貼り付けられた表情には笑みときた。

 こっっっっわ! いや、あのどうして怒ってるんですか? というか、どうしてここに?

 という聞く間もなく、僕の隣に腰掛ける裏川さん。

 二人席、二の腕が当たるか当たらないかの距離。やっぱりいい匂いがする。

 僕も健全な男子高校生であるわけで、場違いにも嬉し恥ずかしだ。


「隣いいかな?」

「いや座られてから言われましても」


 僕の隣に座るや否や脚を組む裏川さん。

 そういう目で見てはいけないと理性が叫ぶも、スカートの下から見せつけるように歪む太ももにどうしても視線が吸い寄せられてしまう。

 ムチッと聞こえてきそうなのに決して過肉厚じゃなく、ほどよく引き締まっているところが憎いよね。

 って、僕はなにを細かく説明しているんだ⁉︎


「どういうつもり?」


 頬杖ながら抜群の目ヂカラでの詰問。

 もしかして視線が下がっていたことを怒っていらっしゃる⁉︎ 

 いや、でも再会した時点で機嫌が悪かったですよね⁉︎


「表ちゃんが気に病んでるんだけど。突然姿が消えたから『私のせいで不愉快な思いをさせてしまったんでしょうか』って」

「本当ですか⁉︎」


 衝撃的な事実を聞かされた瞬間、驚きを隠せない。

 僕は自分のことしか考えず行動したことを後悔する。

 遅れて、聖女様に心配されていた事実に対する嬉しさと、誤解に対する焦り。

 他人を見た目で判断しないよう心がけてはいるんだけど、もしも聖女様がだったならば。

 親友である裏川さんの追及後、僕が姿を消せば、複雑な思いに駆られてもおかしくない。

 聖女様から姿を消すことで彼女が安堵することができるというのは僕の勝手な思考だ。

 罪悪感を抱かせてしまうのは想像外。

 これは短絡的な行動による失態だ。


「せっかく無害認定してあげたのに翌日から姿を消すとかありえないんですけど。ヘタレ」

「ぐはっ……!」


 ギャルのストレートな攻撃!

 なんとかHPを1残して意識を失うことを免れたものの、瀕死寸前。けれど聖女様の誤解を解くまでは死んでも死にきれない!


「申し開きは?」

「僕が姿を消せば万事解決だと勝手に決めつけていました。本当に申し訳ございませんでした」

「謝って済むなら国家権力は必要ないじゃん? そもそも——」

「そもそも?」

と思わないのオタクくん」


 裏川さんの鋭い視線が僕を射抜く。心臓の位置を見透かされ、握られているような錯覚。

 本能が告げてくる。いま僕の生殺与奪の権は目の前の美少女ギャルに握られていると。

 裏川さんの言わんとしていることを理解した僕の背中は汗でびっしょりになっていた。

 ——謝る対象が間違っている。

 その言葉が意味することは、面と向かって謝罪するべき、だ。


「僕ってその、年齢=彼女いない歴を更新中でして」

「いきなり悲しい告白放り込んでくるじゃん。それで?」

「女の子とまともに会話すらできない僕に聖女様に話しかけるのは、その、ハードルが高いと言いますか」

「ふーん。じゃあ、今、こうして会話できているってことは私を女の子と思ってないってことなんだ。うわー、傷つくなー」


 誰か僕を殺してください。

 道が……道がない! 八方塞がりだ!


「もちろん僕も面と向かって謝罪したいです。でもいざ聖女様を目にしたら動揺して慌てふためくといいますか、吃るのは必至でして、オタク丸出しになってしまっても大丈夫だと思います? 不審じゃないですかね?」


 僕が心配しているのは圧倒的視覚情報をもつ聖女様を前にして冷静でいられる自信がなく、挙動不審になってしまうこと。

 逆に怖がらせてしまうのではないかを懸念していたりする。

 裏川さんは「はぁ……」とため息を吐いてから当たり前のように言う。


「勇気を振り絞って謝った男の子を表ちゃんがそんな風に評価する女の子だって思っているわけ?」


 その問いは『やらない理由』を必死に探そうとしている僕の目を覚ますほど強烈なものだった。


「思いません」

「だったら筋を通してみたら?」

「——はい。そう、ですね。せめて貴女が気に病むことではないと、誤解を解いておきたいです」


 裏川さんのおかげでようやく決意が固まる僕。彼女は口元をωにして、


「男見せなよー。それじゃ私はここで」


 そう言って席を立とうとする裏川さんに僕は言っておかなければいけないことがある。


「あの!」

「ん?」

「色々とありがとうございます。裏川さんって見た目の割に優しいんですね!」

「はぁ? 優しい? 私が? なんでそうなるか全然わかんないんだけど。あっ、もしかして口説いてるとか?」

「あっ、いや、そういうのでは全然ないんで誤解しないでもらえますか」

「あ”?」

「誤解しないでいただけますでしょうか……?」

「言い方の問題じゃないから」

「そうじゃなくて、すごく友達想いじゃないですか。視察したり、事情を説明してくれたり。親友のためだってことは理解してますけど、間接的に僕の世話まで焼いてくれて。上手く言えないですけど——感謝してます」


 考えてみれば。

 わざわざ帰宅途中の僕をこうして見つけ出して状況を伝達しに来てくれているわけで。

 裏川さんだってきっと暇じゃないはず。

 けれどこうして目の前にいる現実は、結果的にヘタレチキンの僕の背中まで押してくれている。

 これをお人好しと呼ばずに何ていうか僕は知らない。

 裏川さんは隠れるように後ろを向いたかと思いきや、


「なにそれ」


 まさかの小声だった。

 これはアレだろうか。もしかして照れてたりするんだろうか。

 褒められることには慣れていそうなのにちょっと意外な一面だ。

 なんて考えていると裏川さんは突然、振り向き、整った顔をズズズと近づけてくる。

 えっ、えっ、なに⁉︎ いや、あの本当にそういうつもりでお礼を言ったわけじゃないんですけど⁉︎

 も、ももももももももしかしてフラグ立てちゃいました——痛っ!


 案の定、迫ってくる美少女の顔を凝視できない僕は瞼を閉じてしまっていたのだけれど。

 額に強烈な衝撃。急いで目を開けるとそこには性格の悪そうな笑みを浮かべたギャルがいた。

 おしゃれなネイルが目と鼻の先にあることを踏まえるに、デコピンされたようだ。


「オタクくんのくせに生意気。もしかして鏡に映る自分を見たことないとか?」

「ひどい!」


 まあ、似たようなことは妹から言われ慣れているから、そこまで傷つかない自分がいる。

 うん。あんまり嬉しくないなこの耐性。


「そういうのは表ちゃんに謝ってからじゃない?」

「ごもっともでございます」

「まっ……応援はしてあげる。頑張りなよオタクくん」

「頑張ってみます!」

「じゃっ」

「はい」


 裏川が下車していく後ろ姿を見届ける。

 今度は前回と違って裏川さんの面子がある。もしもまた及び腰になろうものなら彼女の顔に泥を塗ることにもなるわけで。

 それは……男である僕が絶対にやっちゃいけないような気がする。

 もしかしたら——。

 オタクに優しいギャルは存在しないけれど、間接的に優しいギャルはいるのかもしれないね。

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