1 ③

「ただフリーターをやってるだけ、って感じでもないような気がするんですけど」

「うーん。……笑わないか?」

「なんです?」

「いや、俺はなんつうのか、その……」


 亨はさらに頭をかきながら、ぼそりと呟いた。


「……〝サムライ〟とゆーよーなものになりたい、とか思ってる」


 当然、顕子は虚を突かれた。


「……は?」

「やっぱ、変だよなあ……」


 亨は苦笑いした。


「え、えーと、それはその〝時代劇の俳優〟とかそういうことですか?」


 顕子は考えて、言った。


「いや、そういうわけでもなくて──」


 と言いかけた亨の言葉が途中で停まった。

 どうかしたのか、と彼を見上げて、そして顕子の動きもこわった。

 亨の表情が一変していた。

 ただ一点を見つめている。吸い寄せられるように、さながらポーカーの最中で相手のふだが開けられるその瞬間の視線のように、ただ一点を睨むように見ている。


「…………」


 そこには、道端に停められたバイクと、そのシートにかるく腰掛けている一人の少女がいた。

 革のつなぎを着て、そして足にいているブーツが妙にごつい。よく見ればそれはただのブーツではなく危険な工事現場などで使われる安全靴だ。

 その少女から、亨は眼が離せなくなっているのだ。しかしそこには美人に鼻の下を伸ばすというような甘い雰囲気はない。いやそれどころか、むしろ──


「あの、女……」


 息詰まる、押し殺したような声で呟く。

 ん、と少女の方も亨に気がついて、視線を返してきた。


(あ、あれって……)


 顕子は、その少女を知っていた。


きりなぎだわ。学校でも有名な不良の──)


 亨と凪はしばらく視線を交差させていた。亨の方はどんどん険しい表情になっていくが、凪の方は平然としたままだ。


「あの女の、あの物腰……まさか……!」


 亨ののどが、ぐびり、と動いた。そして彼が一歩、凪の方に近づこうとしたそのとき、


「──ごめんなさい凪! お待たせしちゃって──」


 横の通りから大きな紙袋を抱えた一人の少女が凪の方に駆け寄ってきて、凪はあっさりと視線を亨から外した。

 そして少女に微笑みかけた。


「ああ、言われた材料は見つかった?」

「はい、なんとか」


 友人か家族か、その少女と話す凪の表情はとても穏やかで、顕子はその変化に少し面食らった。


(霧間凪でも、ああいう顔をするのね……)


 ちら、と顕子が見上げると、やはり亨も狐に鼻をつままれたような顔をしている。そして小さく、


「……気のせいだったか」


 と呟いて、また歩き出した。


「な、なんです? 高代さん、霧間さんの知り合いですか」


 顕子は訊いてみたが、亨は首を振って、


「いや、ちょっとした勘違いだ」


 と顕子が凪の名を知っていることにも何の興味も示さず、すたすた行ってしまう。

 顕子もあわてて後を追った。

 そして二人が、共通の目的地である駅前に出るちょっと前の、少しうら寂しい路地にさしかかったところで背後から、


「──あーっ、男なんか連れてやがる!」


 と少年の大声が二人を呼びとめた。

 顕子ははっとなって振り向く。はたしてそこにいたのは彼女の弟の、弘だった。


「ひ、弘、驚かさないでよ!」

「へへへ。姉ちゃん、金だけもらって俺は退散しようか?」


 弘は亨を見ながらにやにやと笑った。


「そ、そんなんじゃないのよ」


 彼女は弟を睨みつけると、あわてて亨の方を向いて、


「ごめんなさい高代さん。弟なんです。今日、一緒に食事しようって約束になってて」

「ああ、別に驚かなかったから」


 亨は涼しい顔をしている。事実だった。亨は何者かが二人の後をけるように路地に駆け込んできた足音を聞いていたのだ。しかもこそこそしているくせに、とりたてて注意深さもない感じからして、顕子の身内か気安い仲だろうと判断していたのだ。


「どうするお兄さん、姉ちゃんを口説く? その気があるなら俺は引っ込むけど?」


 弘は笑いながら言った。


「ひ、弘!」


 顕子が顔を赤くして声を上げた。


「あー、いや、残念ながらお姉さんにも選ぶ権利があるだろうからな。プー太郎にはその資格はあるまいよ」


 さらりと亨は言った。


「へえ、そーなの?」

「ああ。学校にも満足に行ってないからな、俺は」


 亨はさっぱりとした口調で言った。


「ふうん……?」


 弘は顕子の顔をのぞき込む。彼女はちょっと傷ついた顔をしていた。そこで弘は姉の代わりに訊いてみた。


「でも、嫌いなタイプって訳じゃないんだろう?」

「弘、いいかげんにしなさい! 高代さんに失礼よ」


 顕子が少しきつい声で弟をたしなめようとしたそのとき、ぴぴっ、と弘の胸元のポケットから音がした。


「あ、エサの時間だ。ちょっと待って」


 弘はポケットから白い、小さな卵のような形をしたゲーム機の携帯端末を取り出した。いま弘が家でやっているソフトのおまけゲームは時計機能と連動しており、時間が経つとプログラムが変わっていくようになっているのだ。キャラクターが成長したり、お腹がいたと言いだして〝エサをやる〟といった操作を要求したりするのである。

 だがその小さな液晶表示の画面を見て、弘は「おや?」と思った。

 そこには今までのように、愛らしい二頭身のぬいぐるみのようなキャラクターの表示はなく、ただ中央に小さく、


〈EMBRYO〉


 と表示されているだけなのだ。

 そして内臓小型スピーカーから奇妙な声がれだしてきた。

〝……オレを殺してくれ〟

 低い男の声で、そう言ったように亨には聞こえた。


「なんだと? 今なんて言ったんだ、それ」

「なんだ? かな……?」


 弘は奇怪な声に反応せず、ボタンをあれこれ押してみる。


「変なゲームをやってるな。なんて言ったんだ? 殺してくれ、だって?」


 亨が訊くと、弘はきょとんとした。


「へ? 俺そんなこと言ってないよ」

「いや、おまえじゃなくて、そのゲームから声がしたろう?」

「? いいや。別に?」


 弘は首を横に振った。


「いや確かに……」


 亨が言いかけたときである。

 その表情が急に「……!」と引き締まり、そしていきなり顕子をぐいっ、と自分の方に引き寄せた。


「え…?」


 と顕子が顔を赤らめる間もあらばこそ、亨はそのまま姉を弟の方に押しやった。

 そして彼はすぐにその二人に背を向けて、前方に鋭い視線を向けた。

 三人組の男女が、彼らの所に歩いてきていた。男が二人に、女が一人だ。亨はそいつらを睨んでいる。三人とも黒っぽいコートを着ていて、女はさらにその下に青いボディスーツなどを着ていて、なんだか安っぽいギャング映画のようなちだ。


「……?」

「なんだ、おまえは?」


 その三人組は、姉弟をかばうように立ちふさがった亨を見て眉を寄せた。


「おい、弘君」


 亨は背後の弘に問いかけた。


「おまえ、こいつらに見覚えはあるか?」

「え? いや、ないけど」

「しかしこいつらはおまえを尾けてきていたようだぞ」


 亨がそう言うと、顕子と弘、そしてその男女三人組も顔色を変えた。


「──え?」

「どういうことだい?」


 姉弟は声を上げた。そして三人組の方はやや身を引いて、身構えた。


「──おまえは何だ?」

「先にそっちが名乗れ。殺気がぷんぷんしているぞ、おまえら」


 亨が不敵に言うと、三人は顔を見合わせた。そして男の一人が、


「おまえになど用はない。我々が求めているのは、そっちのガキだ」


 と、じろりと弘を睨みつけた。


「お、俺?」


 弘は、亨の背後で身を強張らせた。


「そうだ。おまえ〝サイドワインダー〟から例のモノを受け取っているはずだ。そいつを渡してもらおう」

「れ、例のモノ? なんだよそれ。知らねーよそんなもの!」