1 ④

 弘は訳がわからず、あわてて両手を振った。なんだかひどくキナ臭い感じが三人組にはあった。それに、よく見ると顔立ちなどが日本人でもないように思えた。


「とぼけるな。おまえが確かに、あの裏切り者と最後に接触しているのは確認済みだ。今〝アレ〟がどんな形態を取っているのかはわからないが、とにかく〝それ〟をおとなしく出せばよし。さもなくば──」


 ぼそぼそと、しかし確かな鋭さのともなう、それは明らかなどうかつだった。


「な、なんなのよ弘? この人達、何を言ってるのよ?」


 顕子が弟に詰問した。しかし弘もぶんぶん首を振るだけだ。そこに亨が念を押した。


「本当に知らないんだな?」

「う、うん!」

「──ということだ。人違いじゃないのか。だいたいこの子は普通の中学生だ。おまえらみたいなぶつそうな雰囲気の連中と関わりがあるとは思えんな」

「さっきからなんなんだ、おまえは? つまらんナイト気取りか? だったら痛い目を見ることになるぞ」


 亨はにやりとした。


騎士ナイトじゃない。おれは……」


 しかし男は亨の言葉を最後まで待とうとせず、いきなり隠し持っていたこんぼうじようきようなぐりかかってきた。

 しかし亨の動きはさらにじんそくだった。たちまち男の手をつかまえ、そしてかるく男の足に爪先を引っかけると次の瞬間男の身体はくるっと回転して、地面に落ちるように叩きつけられていた。空き缶の詰まったゴミ箱がはずみですっ飛び、中身がと派手な音を立ててばらまかれた。


「──げはっ!」


 うめいて倒れ込んだ男に、亨は言葉の続きを放つ。


武士サムライだ」


 あわてて後ろに飛び退いていた顕子と弘も、この鮮やかな処置に眼を丸くしている。


「つ、強いんだあ……」


 弘が茫然と呟く。

 残る二人の男女が、警戒態勢になって一歩後退した。


「──やるじゃない?」


 女の方が静かに、しかしどこかせせら笑うような調子で言った。


「しかし、技は我流と見たわよ。ということは組織の後ろ盾があるわけではないようね」


 む、と亨は女の方に注意を向ける。男が二人いたのでそっちに気を取られていたが、この髪の長い女が三人組の中では一番、鋭い眼をしていることに気がついた。長い前髪の蔭から、こちらを突き刺すように見つめてくる。

 そして女たちはここで使う言葉を変えた。亨たちには理解できない言語で、


「統和機構ではない。あせる必要はないわ」


 と女が言うと、もう一人の男が「うむ」とうなずいた。そして訊く。


「どうする〝パール〟?」


 質問するということは、女が〝指揮者〟であるようだ。

 周囲には物音を聞きつけた人々が、なんだなんだと集まってきていた。喧嘩だぞ、と声があがったりしている。


「ここでは人目につく。こんな奴ら〝やる〟のは簡単だが、そうなれば〝追っ手〟にもぎつけられることになる。我々が入手してしまえば追っ手の標的はひとつに絞られてしまう。逃げ切れない可能性が高いわ」


〝パール〟と呼ばれた女は亨を見つめて呟いた。そして日本語に戻って、言う。


「サムライ──とか言ったわね?」

「あ?」


 亨は女の表情に、少し面食らった。彼女は──えんぜんと、その美貌で甘ったるく微笑んでいたのだ。だがそれは、どこかいびつな感じの邪なのする、そういう笑い方だった。


「いいわ。おまえに一時預けるとしよう。あるいはおまえには〝突破する資格〟があるかも知れないしね。そうなればおまえもまた我等ダイアモンズの〝同志〟というわけね」

「? なんのことだ?」

「いずれ、わかる」


 そして〝パール〟と男は、その場に倒れている仲間をそのままに、きびすを返してその場から走り去った。まるでためらいのない逃走だった。残していく味方のことなど気にも留めていないかのように。


「お、おい! 待て!」


 と逆に亨の方が動揺し、呼び止め追いかけようとしたとき、それまで倒れていた男がいきなり起きあがった。


「──よくも!」


 そして男は弘と顕子を突き飛ばして亨に迫ってきた。足元をひねったらしく動きがおかしい。


「よくもやってくれたな!」


 亨は振り向いた。

 そしてけんしわを寄せた。

 ふらふらしつつも、男は拳銃を持っていたのだ。

 それを、亨にまっすぐ向けている。


「……よくもこんな、こんな恥をかかせてくれたな」


 眼が血走っている。仲間に見捨てられたことから逆上しているようだ。


「銃、ときたか」


 亨は平静な表情を保っている。

 そして何気なく視線を下に落として「おや」と言った。


「おい弘君、今のどたばたで落としちまったようだぞ」


 と身をかがめて、地面に転がっていた卵形の携帯端末を取り上げた。その亨の何でもない態度に、男はさらに逆上して、


「ふざけてんじゃ──」


 と銃を構え直そうとしたその瞬間、身をかがめ、ちようどクラウチングスタートの姿勢になっていた亨が、どん、と音がするほどに地を踏んで、男に突撃していた。


「──うおっ!」


 男と亨はもんどり打って倒れ込んだ。銃から弾丸が発射されて、ばしっ、とどこかのビルのコンクリート壁が弾けた。


「きやああっ!」


 顕子が悲鳴を上げた。

 そのとき、背後から彼女の肩を誰かがと摑んだ。

 振り向いた顕子は絶句した。

 知っている人だったからだ。


「さがってな」


 そいつは静かに言った。

 そして、取っ組み合っている二人の所にずかずか近づいていく。

 また銃が暴発するが、そいつはかまわずにその銃を握ったままの男の手を摑むと、何をしたのか──組み合っている亨からするっと引き抜くようにして男だけを投げ飛ばしてしまった。

 男は頭から、さっきひっくり返したゴミ箱に叩き込まれ、そして今度は完全に気を失ってしまった。


「……?!」


 亨はあぜんとして、この突然の乱入者を見つめた。

 力を入れたようには見えなかったし、それより何より、そいつは彼がさっき見つめていた、あの少女だったのだ。


「き、霧間凪……」


 顕子がぽつり、と呟いた。


「凪……?」


 亨は──別にどこかを痛めたというわけでもなかったが──よろよろと立ち上がった。


「あ、あんた、凪って言うのか?」

「お兄さん、勇敢なのは結構だけどさ。周りに弾が飛び散る危険性のことも少しは考えてくれよな」


 凪は、倒した男が完全に動きが停まったことを確認してから亨に目を移した。

 そこで「ん?」と眉を寄せた。

 なんだか、亨の様子がおかしい。

 妙に口元がゆるんで、凪の方をきらきらと光る目で見つめてくるのだ。


「やっぱりそうだったか……あ、あんた。今の動きは、技は、間違いない……あんた、それをどうやって──」


 そして、ばっ、と凪の方に急に飛びついてきた。


「──わっ?!」


 凪は驚いて、つい反応していた。

 しよう仕込みの足払いで、亨を綺麗に倒してしまったのだ。

 亨は受け身も取らずに倒れ、伸びてしまった。


「ち、ちょっと何をするのよ!」


 顕子が凪に食ってかかった。


「い、いや、だっていきなり来るから──」


 凪も、らしくもなくとまどっている。


「お、おい、大丈夫か?」


 凪が彼を抱き起こそうとしたら、亨は目をぱちりと開いて、


「あんたは、誰からそいつを習ったんだ? ──〝ゲン〟って人からか……?」


 と訊いてきて、そしてあらためて気を失った。


「…………」


 凪と顕子は気絶している亨を挟んで、なんとなく見つめ合った。


「……よくわかんねーけど」


 それまで黙っていた弘が、茫然としている姉と凪におずおずと話しかけた。


「ここから逃げた方がいいんじゃねーかな。なんか警察とか来そうだし……」


 周囲でざわざわしていた人々が、銃の乱射で逆にいなくなっていた。誰かが危険を通報している可能性は高い。


「…………」


 三人は、揃って亨に目をやる。

 なんだか迷子が親を見つけたときのような顔をして、大男はのんに気を失っていた。