2 ②

(うーん……)


 考え込んでいると、いきなりリビングの電話が、ぷるるる、と鳴ったのでぼくは飛び上がった。

 それでも、とりあえずは電話に出た。


「……はい」


 と警戒しながらおそるおそる言うと、受話器も向こうからいきなり、


『おや、あんたか正樹。じゃああんたが勝ったってことだね』


 と聞き慣れた声がした。ぼくは大声を上げた。


「な、凪姉さん!」

『姉さん、とか甘えた呼び方はするなって何度も言ってるだろーが』

「ど、どういうことなんだい? なんで家が空っぽなんだよ! 織機は?!」

『ああ、オレのマンションの方にいる。で、今その家は空き家だ』

「そ、そんなこと聞いてないよ!」

『ああ、言ってなかったから』


 あっさりと言われたので、ぼくはがくっときた。


『でも正樹、あんた学校から綺の携帯に何度も電話してたのにね。彼女、あんたには何も言わなかったんだ。へええ。ま、そういうことだね』

「……どういうことだよ」


 ぼくはふてくされた。織機は自分から色々言うタイプではない。てっきり姉さんが言っているものだとばかり思って、そのことを喋らなかったのだろう。……というか、そう思いたい。


『ところで、高代さんはどうした?』

「高代? ……って、この変な侍のことか?」

『そうそう。あんた、殺してないだろうね』


 さらりととんでもないことを言われる。


「凪、こいつのことを知っているのか?」


 ぼくは大声を上げた。


『いや、よくは知らない。でも』

「でも?」

『なんかさかきばら先生のことを慕ってるらしくて、そんならってんで、一番弟子のあんたを紹介したんだよ』


 榊原先生というのは、外国でぼくが空手や護身術を教わっていた師匠のことだ。姉さんの知り合いでもある。


「し、紹介って──ぼくはいきなり襲われたんだぞ?!」

『いや、オレがとりあえずかかってみろ、って言ったから』


 あっさりと言われた。ぼくは絶句して、そして震える声で、


「そ、それじゃあこれは……凪の差し金なのか?!」


 と言った。姉さんは『うん』と簡単にうなずいた。


『ついでに言うなら、高代さんの〝服〟もオレがあげたものだ。先生の昔の服だよ。高代さんが欲しがったんでね。しっかし先生もなんでそんな服侍ってたんだろうな。バイトで映画のエキストラでもやってたのかね』


 おかしそうに言う。しかしぼくは「…………」と言葉にならず、笑うどころではない。

 姉さんが時々、とんでもなく人が悪いということは知っていたが、今回のこれは完全に……してやられた。


「……と、とにかくそっちに行くからな!」


 気を取り直して強い口調で言うと、姉さんは、


『いいけど、でも綺なら今日はいないよ』


 と意外なことを言った。


「え? だって学校は土日休みって……」


 織機は料理のプロ養成専門学校に通っているのだ。


『なんでも、学校長の食事会の、したごしらえのアシスタントにばつてきされたんだって。昨日なんか材料の買い出しまでして、大変だったんだぜ』

「……聞いてないよ」

『だって、オレが〝あんたが帰ってくる〟ってことを綺に黙ってたから』

「ど、どうして?」


 ぼくがほとんど悲鳴のような情けない声を上げると『いいかい』と姉さんの冷静な声が返ってきた。


『あんたのことを気にして、せっかくの勉強のチャンスを棒に振らせるわけにはいかないだろう。綺は一生懸命やってるんだ。あんたも彼女が好きなら、そういうことに気を配ってやりな』

「……そ、そりゃわかるけど。なにも黙ってなくたっていいじゃないか」

『あの娘はなんだかんだ言って、まだ周りに気を使いすぎる癖が抜けてないんだよ。あんたのことを気にしすぎて、肝心の時にミスでもしたら大変だろう』

「…………」


 ぼくは反論できなかった。織機に会えるというだけで浮かれていた自分の気持ちがしぼむのを自覚した。しかし……それでも、


「……だったらなんでそういうことを、凪は前もってぼくに言ってくれないんだよ……」


 愚痴っぽく言ってしまう。


『いや、それはただの意地悪だ』


 姉さんはあっけらかんと言う。ぼくはもう文句を言う気にもならない。

 そのとき、背後で「ううん……」という呻き声がした。


「あ──起きたみたいだ」


 凪に乗せられた〝高代さん〟とやらが気絶から目を覚ましたのだ。


    *


 ……高代亨は暗闇の中でその声を聞いた。

〝……おい、おまえ。おまえだよ。聞いてるか?〟

 ……なんだ? ここはどこだ、何にも見えねえ。

〝んなこたどーだっていいんだよ。オレの声が聞こえてんだろう、おめーはよ?〟

 なんだこりゃ。えーと、俺はどうなったんだっけ。……ああ! そうだ。あの〈サムライ〉の弟子の人とやり合って、そんでもって……

〝──ひとの話を聞けっつーんだよ!〟

 なんだよさっきから。俺は気絶してんだろう? つまりこいつは夢ってことじゃねえか。夢のくせに色々うるせえよ。

〝夢だあ? けっ、おめーはおめでたい奴だな? 自分が〈突破〉したことも知らねーでよ〟

 とっぱ? なんだそりゃ。

〝オレの名はエンブリオ。そしておまえはオレの声を聞くことができた……だからおまえはすでに〈感染〉していたのさ。そして今、戦いの中で引き金が引かれたというわけだ。なにしろ人生の宿願に出会ったんだからな。条件としては見事に果たしていたことになる〟

 ……? なんのことだ?

〝おまえは「人は何のために生きているのか」考えたことがあるか?〟

 ……なんの話だ?

〝人は「自分の中の可能性と格闘するために生きている」……少なくとも、オレが作られた理由はそのための武器としてだ。オレは「人から眠れる才能を引き出すため」に存在している〟

 ……だから、なんの話なんだよ? なに言ってるかさっぱりわからねえぞ。夢なら俺にわかるように話せ。

〝人間の心のことを、ある心理学者は卵にたとえた……殻にもって、その中でどんどんもうそうとか憎しみといったものが自動的に成長していくのだ、と。何が貯め込まれていっているのか誰にも、本人にもわからない。だがそいつらは確実にそこにあり、いずれ殻を破って出てくる日をひたすらに待っているのだ……それを〈時限爆弾〉と言った者もいる〟

 ……殻?

〝そうだ。そしてオレはその殻に反応する、ある波長っていうのか──そういうものだ。共鳴おんってあるよな。ある種の音を鳴らしただけでガラスが割れたりするやつだ。アレと同じで、オレの声が聞こえる者は、その段階で殻がもろくなっている。そしてきっかけさえあればそれは容易に破れて──表に出てくる〟

 ……? ……? おまえ、日本語喋ってんのか? まったく頭に入らないぞ。

〝おまえはモノホンの馬鹿だな。オレはおまえの頭の中に残るただの反響に過ぎない。つまりオレはもうおまえの頭の中にいるわけだ。オレの使ってる言葉とかもおまえの知ってる物だけだ。それなのにわからないのかよ〟

 ……うるせえな。確かに俺は頭悪りーよ。

〝やれやれだぜ。もっとも、そういうバカだからこそ逆に一つのことに集中し、こんなに簡単に〈突破〉することができたんだろうがな。だが一つ警告すると──それじゃ足りないぜ〟

 足りない? 何が足りないんだ。つーか、そもそも〈突破〉って何なんだよ?

〝おまえはもう一度オレのところに来なくてはならない……おまえの〈才能〉はそれでやっと完成する。そう、卵の殻は破るだけじゃ足りないんだよ──そこから出てくる力っつーもんがなけりゃ、穴のあいた殻の中でそのまんまくたばるだけだ。動物は殻から出てきてまず何をする? そう、呼吸だ。オレがその最初の一息を与えてやる。そうすればおまえの〈才能〉はめでたく成立するだろう。ただし──条件が一つあるぜ〟

 ──条件だあ?

〝そうだ。おまえが真の〈サムライ〉になるためには、その能力を得るためにはこのオレを見つけだした後で……オレを殺してくれ〟

 殺す──だと?

〝いいか、約束だぜ。オレを殺してくれるなら、オレはおまえをサムライにしてやる。そいつが条件だ──〟