3 ②

「…………」


 ぜんとしているぼくの前で、亨がとうとう最後の一人を仕留めた。


「……ひ、ひいいい……!」


 そいつは騒ぎの音を背に、その場から必死で離れようとしていた。しかし足を骨折してしまっているらしく、いずり、両手で懸命に地面をいている。

 一番最初に、高代亨に吹っ飛ばされた男である。ヘルメットがとれて、その下の若い顔がき出しになっていた。まだ十代の、子供の面影の濃い人相だった。


「じ、冗談じゃねえぞ……あ、あんな化け物」


 彼がぜいぜい言いながら逃げていくと、その前にひとつの影が立ちはだかった。

 顔を上げると、それは少女である。


「…………」


 冷たい眼で見おろしているその少女は、さっき高代亨に穂波顕子と呼ばれて助けられたその本人である。


「は、話が違うじゃねえか!」


 彼はそいつを見てもおびえず、逆に食ってかかった。


「あんなとんでもねえのがいるなんて聞いてねえぞ! ちょっとびびらせるだけだって約束だったじゃねえか!」


 しかし少女は彼のそんな必死さなどまるで無視し、


「金を受け取った以上は、どう状況が変化しようが、おまえらがあいつらの敵となった事実は変わらない。おまえは敵を前に逃げるのか?」


 と平然と言った。それはさっき亨にすがりついていたときとまったく変わらない声で、それ故にますます不気味なものになっていた。


「……な、なんだと?」

「敵前逃亡は、戦場では最も許されない行為のひとつだ。それに対しては即座に──迅速な裁きで対応される」

「……!」


 彼がただならぬものを感じて、後ずさろうとした。

 だが遅かった。少女の姿をしたそいつが突き出してきた手の、その指先から恐るべき速さで爪が飛び出すように伸び、その切っ先は正確に彼の顔面を突き破り脳を破壊して頭の後ろまでを貫き通した。

 そして爪は一瞬で元のように戻る。その速度が速すぎて、ろくに血すらついていない。


「しかし……サムライはやはり殻を破っていたか。しかもこの私〝パール〟の予測をも遥かに超える戦闘力のようだ……作戦レベルを引き上げるとしよう」


 そいつは呟くと、きびすを返して高代亨と谷口正樹の方に向かって歩いていった。


「──高代さん!」


 さっき亨に〝穂波さん〟と呼ばれていた少女がぼくらのところに戻ってきた。隠れていたらしい。


「大丈夫だったか?」


 亨が優しい口調で言う。その言い方は普通の亨だ。しかし──


「ち、ちょっと亨。一体どういうことなのか説明してくれよ!」


 ぼくは切迫した口調で彼に詰め寄った。


「あんた、本当は強かったのか? それともなにか理由があるのか?」


 言われて、亨は困ったような顔をした。


「いや、それが俺にもよく──どう言えばいいのかわかんねーんだよ」

「しかし……!」


 ぼくらがもめめていると、さすがに騒ぎが知れたのだろう、玄関からこっそり顔を出してこっちを覗いている人がいた。ぼくが眼を向けると、びくっとして扉を閉めてしまう。この分では警察も来るだろう。


「……あーっ、なんだか面倒なことになりそうだな」


 ぼくは混乱しながらも、とりあえず凪姉さんにこの事件を知らせようと思って携帯電話を取り出した。

 しかし、かけようとしてもどこにもつながらない。


「あれ? 故障かな……?」


 さっきの騒ぎで、だろうか。しかし別にそういう記憶はなかった。外観もまったく異常はなく、電源ランプもついている。


「……私のもつながりません」


 穂波さんも携帯片手に深刻な声を出した。

 電波が混雑するような時間でも場所でもない。どういうことだ? どこかで妨害電波でも流してでもいるというのか……?

 ぼくらは漂ってきた嫌な感じに顔を見合わせる。


「どこかで電話を借りよう」


 ぼくがそう言ったとき、サイレンを鳴らしてパトカーが二台この場にやってきた。おまわりさんが四人、出てきてぼくらに銃を向ける。日本にしてはいきなりの対応だな、とぼくは思った。


「動くな! 武器を捨てて両手を上に上げろ!」


 言われて、素直にぼくら三人は両手を空に向ける。亨は手にしていた鉄パイプを捨てた。


「あのですね、お巡りさん──」


 ぼくが説明しようとしたが、彼らは聞く耳持たずに三人が前に出てきてぼくらの腕をねじりあげるように摑んだ。手錠を掛けられるかと思ったが、いきなり礼状もなしに掛けられるものでもないのだろう。


「喧嘩か? ずいぶん派手にやったもんだな、ええ? このぶっ倒された連中の数から見ておまえらだけってことはないな。他の奴らはどこに行った?」


 そう聞かれても、亨が一人で全員をのしてしまったのだ。だから答えようがなく黙っていると、反抗的と取られたらしい。ぐいっ、とさらに強く摑まれた。


「まあいい。たっぷり絞ってやるからな。来い!」


 ぼくをどん、とはね飛ばすように乱暴に押しながら、その警官は一人だけパトカーの側にいた同僚に声をかけた。


「おい署に連絡だ。それと救急車だな。倒れている連中を収容しよう」


 一応、バイクの連中のことも気には掛けていたらしい。まあいいか、とぼくは思った。とりあえずこのトラブルは決着がつきそうだ。警察でねちねち小言を聞かされるかも知れないが、まあ生命に別状もなかったし。

 でも、ぼくはどうしてこうトラブルに巻き込まれやすいのだろうか。この間も学校を一週間以上もさぼらなければならない事件に関わってしまったし、その後始末も終わってやっと自由の身と喜んでいたと思ったら、またこれだ。これが学校に知られたら、今度は卒業まで寮に閉じこめられることになるんじゃなかろうか……どうにも気が重い。その前に、やっぱり一目でもいいから織機と会いたいなあ……。

 ぼくがそんな脳天気なことを考えていたときのことだった。


 ──ぱん。


 ……と、知らない人には妙に気の抜けた音に感じるであろう、がした。

 それは火薬の破裂する音──銃声だった。

 パトカーの側にいた警官が、かまえていたままの拳銃をいきなり発砲したのだ。

 そして──ぼくの腕を摑んでいたはずの警官から力が急に、がくっ、と抜けた。


「……え?」


 警官はぽかん、とした顔で、胸に広がっていく赤い染みを見ることもなく、ずるっ、とぼくの身体にしなだれかかるようにしてそのまま倒れ込んだ。

 何が起こったのか、把握するには残る二人の警官には時間がなさすぎた。発砲者はそのまま二発、ためらうこともかんげきを置くこともなく連続して引き金を引いた。


「──がっ!」


 二人とも、胸を貫いた一撃に血を背中からほとばしらせて倒れ込んだ。

 ぼくは、とっさに伏せていた。それがぼくの命を救った。

 三人を仕留めたそいつは、次にぼくを狙っていたからだ。弾丸が、びゅっ、と頭のすぐ上をかすめていく嫌な音がした。


「──だっ!」


 気合いの声がして、亨がすかさず鉄パイプをいきなり撃ってきたそいつに投げつけていた。

 それは命中し、そいつは地面に転倒した。

 ぼくは身体をあげて、走った。

 そいつに向かって、ではない。距離的にそれは間に合わないことはわかっていた。相手につく前に拳銃を再びかまえられてしまう。だからぼくが向かっていったのは、ドアが開けっ放しの、今殺された警官が乗ってきたパトカーだった。

 来て、すぐにぼくらに銃を向けたりしていたからエンジンも切っていない。そのままアクセルを踏み込んでハンドルを切る。


「────!」


 謎の発砲者は向かってきた車に、さすがに身をかわした。その間にぼくはまたハンドルを切る。

 亨と穂波さんがいる方に、走る。


「乗れ!」


 ぼくが叫んだときには、すでに作戦を読んでいた亨が穂波さんを抱えて後部座席に飛び込んでいた。

 発砲者が体勢を立て直して、また撃ってきた。パトカーの防弾ガラスに、びしっ、という嫌な音が走るが、さすがに破れない。


「──逃げるぞ!」


 ぼくはアクセルをいっぱいにふかして、後ろから撃ってくる弾丸のなか、やっとドアを閉めつつその場から走り去った。