3 ③

「…………」


 今、同僚達を情け容赦なく射殺した警官は、虚ろな目で去っていくパトカーを見つめていた。


「────」


 そしてそれが追いきれない、ということを認識すると、すでに催眠術に類する処理をされていた彼はすぐに頭に刷り込まれてしまっている次の指令を開始させられた。


「────」


 地面に倒れているバイカーたちに視線を落とすと、銃を気絶している彼らに向けて、これまた平然と引き金を引いた。弾丸が切れると、本来支給されていないはずの予備の弾を取り出して、素早くそうてんして作業を続ける。二十秒後にはその場で生きているのはそいつだけになった。


「────」


 そのままそいつは残ったパトカーに近寄り、無線を手にした。

 車両番号を名乗り、緊急事態であると告げ、そしてそいつは放送を開始した。


「殺人事件が発生。犯人グループは警官三人を殺害しパトカーを強奪、現在市内を逃走中。極めて凶悪犯であり、拳銃を所持している。犯人の一人の名は高代亨。百九十センチ程度の大男で、サムライ風の奇妙なふんそうをしている──」


 そして放送を終えると、そいつは自分の拳銃を自分の胸に向け、そして引き金を引いた。

 のけぞり、そして倒れて動かなくなる。きちんとした検死をすればそれが自殺だということはすぐにわかるが──事件は今、進行の真っ最中であり、調べる作業は同時にやっていても間に合うことはない。

 連絡に駆けつけたのであろう、パトカーのサイレンがその死体だらけの場所にどんどん近づいてきた。


    *


 なんだかパトカーが何台も何台もサイレンをけたたましく鳴らして街中を走っていくのを見て、穂波顕子は不吉な感覚がした。

 彼女は今、路上で高代亨の住んでいるアパートに向かっているところだ。住所は、バイト先でこっそり亨の履歴書を覗いたことがあったので、その記憶を頼りに進んでいる。電車一本にバスを乗り継いで行けるところで、それほど遠くでもない。


(なにかあったのかしら……まさか、高代さんに何かが……)


 彼女がそんなことを考えていると、


『なにかがあったみたいだな、おい』


 と、ペンダントとして首から下げて、胸元に入れている例の携帯端末が喋りかけてきた。


『そして賭けてもいいが、こりゃあの大男に絡んだことに間違いねーと思うぜ』


 言われて、顕子はぎくっとした。


「ど、どうしてそんな風に思うのよ!」


 ひそひそ声で、しかし強い調子でつい訊いてしまう。声は答える。


『タイミングが良すぎるからだ。あいつは昨日、既に半分〝殻〟を破っていた。その状態で何かが起きれば、まだ自分の〝才能〟に無自覚なヤローは歯止めを知らずに無茶をしちまう。ひょっとすると何人か殺しちまってるかも知れねーなァ。ひひひ』


 底意地の悪い言い方だ。


「…………」


 顕子はまさか、と断じることができずに不安をふくらませた。

 それでも気になってしまうので、やはり訊いてしまう。


「高代さんの〝才能〟って──なんなのよ?」

『オレにはわからんよ。もうあいつとは離れちまってるからな。あいつの心の中でも声は聞こえているだろうが、そいつは残響だからオレ自身とは無関係だ。しかし穂波顕子さんよ、あんたの目覚めつつある〝才能〟なら、そいつが出始めればどういうものか教えてやれるぜ。ただし条件があるがな。オレを殺してくれ』

「…………」


 顕子は押し黙る。


『簡単なんだよ。このオレが今入れられている器を粉々にしてくれりゃいいんだ。オレはたかがエネルギーの波長に過ぎないんだからな。囲っているこの反射殻がなくなりゃ拡散して消え失せる。そう、幽霊みたいなものだ。この世にいなくてもいい存在なんだよ』

「…………」


 そいつが何を言っているのか、もちろん顕子にはちんぷんかんぷんだ。しかしそれは、これが彼女の妄想ではないということでもある。

 そしてこいつは、彼女に〝特別な何か〟があるのだと言う──


(そんなものはないわ……)


 自分はごく普通の人間だ。ただの女の子だ。あの不良の霧間凪みたいにどこかじようじん離れしていたりもしない。


(そうよ、そんなものは何も……)


 と彼女が思いかけたとき、ふいに、かつてあるひとが言っていた言葉が脳裏に浮かんだ……


〝それはね顕子ちゃん、生きているということ、生命いのちというものがこの世にあること、それ自体がひとつの奇蹟だからだよ〟


 ……それは十年ほど昔、彼女の近所に住んでいた、ちょっと変わった高校生が言った言葉だ。顕子が〝キョウ兄ちゃん〟と呼んで慕っていた彼はある日突然に行方不明になり、そして死体で発見された。死因は滑って転び、頭を強打したためだったらしい。彼女は深く悲しんだ。彼が死んだのは、ちょうど今の彼女と同じ歳だ。本名は……残念ながら思い出せない。彼の家族はその後すぐに引っ越してしまい跡形もなく消えてしまったし、まだ彼女は小さい子供だったのだ。そのころは漢字すらほとんど知らなかったのだから。

 しかし何故、今そのひとのことを急に思い出したのだろう?


(どうして……)


 彼女は、彼のことを思い出すと今でも胸が痛むのを自覚した。


(……いや、待って。そうだ、確かキョウ兄ちゃんはなにかおかしなことをしているって話があって……)


 何かを思い出しそうになりながら、顕子は亨のアパートへの道を歩いていった。だがその足が強張るように停まる。

 アパートのまわりに警官がたくさんいるのだ。


「……な、なによこれ?」

『偶然にしちゃ出来過ぎだよなあ、ひひひ』


 また意地悪く言われた。だがそれに腹を立てる余裕などない。

 停まっているパトカーでは警官がどこかに無線で連絡を取っている。


「はい、容疑者の部屋はおさえましたが、ここに逃げてきてはいません。警戒を続けます」


 などと言っている……〝容疑者〟だって?

 まさか本当に……亨は人を殺して警察に追われているのか?

 彼女はアパートにこそこそと近寄った。でも警官はあちこちにいるのでその目を盗もうとすると、家と家との狭い隙間のような道とも呼べないようなところを進むしかない。


『あー、危ねーなあ。おい、どうせ奴がなんかやらかしたに決まっているんだからよ、警察に捕まるよーなことはやめとけって』

「……うるさいわね!」


 彼女はつい、声を出してしまった。

 するとそのとき、ごとん、という音が彼女のすぐ近くの足元から聞こえた。

 見て、そして悲鳴を上げそうになる。

 狭い区画で土地を取り合ったので家と家との間隔が狭いのだろう。そしてそのせいで、電信柱がまるで壁の間に隠れるようにして設置されている。その周りだけ、四角く取り囲むように壁がよけている。

 そして、音の元はその、路地から覗き込んだだけでは見えないその場所にあった。

 そこには一人の少年が倒れていて、そして彼は血だらけになっていたのだ。


    *


 もとさんぺいは十五歳だ。

 彼は最近、とことんついていなかった。

 いつからそうなったのか、ということを思い返すと、どうも今年の二月頃に、変なものを見てしまったのが始まりだったのではないかと思う。

 駅前にある〝ツイン・シティ〟という大きな百貨店に買い物に来たのだが、間の悪いことにその日は一ヶ月に一度の定休日だったのだ。

 風の強い日だった。

 百貨店の屋上では、さいじように風を入れないための幕のひとつが外れて、ばたばたとなびいているのが下から見えた。


「……ちぇっ」


 彼はなんだか無性に腹が立ってきてしょうがなかった。よりによって、なんだって俺が来たその日がたまたま定休日なんてことになるんだよ、とすごいじんに遭遇したような気がしてならず、ひどいいらちを感じた。

 そんなときだった。

 彼が見上げているその屋上から、ひとつの人影が、ばっ、と飛び出したのだ。三平はぎようてんした。


(──じ、自殺か?!)