3 ⑤

 さっきも携帯電話がまったくつながらなかった。これは偶然とは考えにくい。もしかして本当に妨害電波が流されているのでないのか? しかしどこから? ぼくらはさっきの場所からは既に遠く離れている。そんな広い区域をカバーできるほどの特殊使用電波と言ったら……軍事用、くらいしか考えにくい。


(しかし──となると、これはただのトラブルじゃすまないんじゃないのか……?)


 大規模なものが裏で動いている気がした。


「…………」


 ぼくが押し黙っていると、後ろの座席で穂波さんがじーっ、とぼくを見つめているのがバックミラー越しに見えた。

 なんだか──刺すような鋭い目つきだったので、ぼくは少しぎょっとした。


「な、なんです?」


 彼女はぱっ、と顔を伏せた。


「いえ……弟はどうしたのかな、って考えると」


 沈んだ声を出した。そうだった。彼女は弟さんとはぐれた、と言っていたのだ。それは心配だろう。目つきが悪くなっても無理はない。

 そこで亨が、


「とにかく交番とか見つけて、そこに話をしよう。それが一番早い。そりゃ俺たちは一回は捕まるかも知れないが、少なくとも弘の身柄は警察で捜してくれるだろう」


 と考えを述べた。適切だ。


「そうだな──そうしよう」


 ぼくはハンドルを切った。

 するとそのときである。

 突然、通信機のスピーカーから人の声が聞こえてきたのだ。

〝──十二号車に乗っている者、聞こえたら返事をするんだ!〟

 ぼくらは顔を見合わせた。十二号車──このパトカーのことか?

 ぼくはあわててマイクを摑んだ。


「はいはい! 聞こえます!」


「──つながったぞ!」


 警察の特設対策本部では、謎の大量さつりく犯との交信の成功にみな色めき立った。交渉の開始だ。

 だが話をしていくうちに、彼らは困惑の色を隠せなくなった。

 どうもそいつらは、自分たちで殺したという意識が全くなく、こともあろうに警官のせいだと主張しているのだ。それもまったく悪びれることなく。


「どういうことだ……?」


 本部内が少しざわついた。

 そんなとき、ひとりの刑事が、


「……本気で信じ込んでいるということは、これは相当な異常者と見るべきでしょう」


 と言った。その一言で本部はたちまち、


「ああ、なるほど」


 と皆が一様にほっとした顔でうなずいた。


「しかし、となると通常の自首の説得など効果がないぞ」

「ここは強硬手段をらざるを得ないのでは。市内であるし、奴ら拳銃を持っています。一般市民への被害だけはなんとしても食い止めなければ」

「どうする?」

「今のところ、奴らは自分たちが〝被害者〟だと信じ込んでいるのを利用して、どこかに誘導できないかな」

「やってみるか」


 ……人には、いやこの場合は組織には、そういうことを考えにくいというパターンがいくつかある。例えば警官による犯罪の存在、というものなどそれがよほど明確になっていない限り警察内部ではあまり歓迎されない発想だ。だから……別の発想を、たったひとりの刑事が言っただけでそれはたちまち本部内全体の意志として認知されてしまう。なんのことはない。警察が犯罪者に禁止されていながらしばしば行う〝誘導尋問〟〝おとり捜査〟に類することを、今、彼ら自身がされてしまったのだった。


「…………」


 その、事態を大きく動かした本人である刑事は、こっそりと対策本部から抜け出した。そして足早にその場を去り、警察署の、普段はあまり使われない裏手の通路を通って外に向かう。

 だが、出入口の寸前の角を曲がろうとしたところでその足がびくっ、と停まる。


「…………!」


 そこに、ひとつの人影が立っていた。

 背はそれほど高くない。瘦せていて、顔立ちだけを見れば少年だ。だがどこか鋭すぎて、子供とはとても呼べない雰囲気がそこにはあった。

 薄紫の服を着ている、そいつは静かに刑事に向かって話しかけてきた。


「その顔……あの裏切り者〝パール〟に皮膚をいじってもらった変装か? 本物を殺して、顔と身分証を手に入れたという訳か」


 刑事は一歩後ずさる。


「お、おまえはなんだ?」

「話はすでに全部、昨夜おまえらの仲間から自発的に教えてもらった。ダイアモンズだったのだな、脱走者サイドワインダーが当座の逃走資金を得るために〝エンブリオ〟を売り渡そうとして、直前で気を変えた相手というのは……。ダイアモンズはパールがいるせいで能力は高いが、いかんせん少数勢力。自らだけでは数が足りないので警察を使うだろうというのは、容易に予測のつくことだな」


 淡々と話しながら、そいつ──リィ舞阪ともフォルテッシモとも呼ばれる男はゆっくりと下がっていく相手にあわせて前進する。


「う、う──と、統和機構か……?」


 刑事は……いや刑事に変装していると見抜かれたそいつは、今や脂汗を全身から流している。


「…………」


 フォルテッシモは、穏やかな顔で微笑みながら、なおも一歩前進する。


「し、刺客か。俺たちを……殺しに来たのか?」


 男の恐怖の混じった声に、フォルテッシモは、にいっ、と笑いを深くする。


「さて……どうしようかな」


 フォルテッシモはそこで足を停めた。

 その一瞬に男は反応した。拳銃を引き抜いて、フォルテッシモに向けようとした。だが──その手の中に、確かに抜いたと思った銃がない。

 ごとり、という音がしたのでとそっちを見る。するとそれはフォルテシモの足元で、そして──その足が今確かに抜いたはずのその拳銃を踏んでいた。

 いつ取られたのか──いや、これはもうそんな次元では説明がつかない。取ったのなら手にしているはずだ。それがなんで足元にあって、しかも足の下にあるんだ? 一瞬でそんなことができるはずがない!


(……な、なんだこりゃ……!)


 男は、自分が認識してきた世界の常識を越える存在と遭遇しているのを実感した。


「……う、うう」


 呻いていると、するとフォルテッシモが目を大きく開けて「ほっ」と笑った。


「いやいや、今のはそんなにとんでもないことでもないんだよ」

「……え?」

「反射動作というのがあるよな。例えば自転車の運転だ。一度乗れるようになれば、あとはどんな状況になっても身体がひとりでにバランスをとってくれる。それと今のトリックは同じだ」

「…………?」

「おまえは実戦を相当くぐり抜けてきた口だろう。そして戦闘訓練も身に叩き込まれている。銃を抜くのは反射動作でやっている。だから……今、銃を抜いたつもりになっていた。意識で手を懐に入れ、そしてグリップを握って狙いをつけているわけでなく本能的にやっているのだ。そのために逆に一瞬わからなかったわけだ。銃は懐の中から既に消えていたということが。そしてそのおまえのちょっとした混乱の隙に取っていた銃をこっそり後ろの死角から下に落として、同時に踏んだ。ははっ、簡単な話だろう? 前もって銃がなくなっていただけで、別におまえの手の中から俺の足元へ瞬間移動した訳じゃない……最初から俺が踏んでいたんだ」

「…………」


 楽しそうに説明するフォルテッシモを前に、男はどうしようもなく顔を真っ青にしてがたがた震え出すのを止めることができなかった。簡単だって? トリックだって? そんな馬鹿な説明があるか。だったらその銃を奪い取るのは、いったい、いつ、どうやったと言うんだ……?!

 そこでフォルテッシモが口調を一転、冷ややかに訊いた。


「ところで……おまえはどこにいくんだ?」

「な、なに……?」

「おれは、これから裏切り者パールのまつさつと、そして〝エンブリオ〟の回収に向かうわけだが……おまえ自身はどこに進むつもりだ?」

「…………?」

「つまり〝俺の前に立つ気があるか〟つーよーなことを、訊いているわけだなァ、コレが」


 くっくっくっ、と凍りつくような響きと共に笑う。

 男の方は、となる。

 こいつはもう……自分たちより先を行っている。おそらくは、まだこっちにはわかっていない〝エンブリオの現在の姿〟までも摑んでいる。だからこその余裕……!